西京極開催の必要性を考える会
こんにちは。今回は京都サンガ絡みのことについて、チラッと見かけたことを元に僕の意見と、最近考えていることをサラサラと書きたいと思います。
*念のために注釈 京都サンガは2020年からホームスタジアムを、京都市西京極総合運動公園陸上競技場(たけびしスタジアム)から、亀岡市球技専用スタジアムの、サンガスタジアムbyKyoceraに移動しています。
今朝見かけたツイートの要約と僕の意見
今更西京極(たけびしスタジアム)で観たい人なんていないから、開催する必要なんてない。ホームスタジアムが亀岡に移転した程度で忘れるような人に歩み寄る必要はない(要約)
今朝方このような趣旨のツイートを拝見しました。
僕はこのようには思わないです。
確かに競技を観ることだけを目的にした場合、わざわざ西京極で観たいような人は少ないと思います。
しかし、京都のサポーターは多いとは決して言えない中で、『ホームスタジアムが亀岡に移転した程度で忘れるような奴らは観てもらわなくて結構』では些か寂しく思いますし、それでは収益面でもフットボールクラブの存在意義としても非常に危険な思想だと思います。
西京極開催が必要だと考える理由
1 元々西京極”では”観戦していた層を呼び戻すため
もちろんのことながら、これまでたけびしスタジアムで観戦をしていた人が全員サンガスタジアムbyKYOCERAまで来ていることはありえません。このコロナ禍と言う難しい状況を差し引いても。基本的にスタジアムが30kmほど遠くなってしまっても駆けつけるような人は非常にコアな層です。
しかし、大切なことは如何にコアではない層を取り込むかです。
上記の表で言うならば、真ん中の2層です。
遠いから行かない→遠いけど行ってみよう
興味はないけど近くに住んでいる→近くに住んでるし見てみよう
の作業が必要だと考えます。
ただでさえコロナで観戦機会が一時的に無くなり、生活にフットボールがなくても大して何も思わなくなった人もいると思います。また、あまり人が集まる場所へ行くことを推奨されてきていないので、興味のレベルが低い人が更に遠い亀岡までわざわざ行くことは考えにくいでしょう。
その時にやはり、身近な西京極でもう一度観戦してもらって楽しさを思い出してもらうことが効果的だと思います。
そのため西京極開催は、開催地が遠方になってしまったと言う理由を、別の要素(主に試合内容などのスタジアムでの体験)で超えさせて、亀岡でも行ってみようというきっかけを与えるために必要だと考えます。
2 京都市内の人たちにサンガが忘れ去られないために
これまでは少ないなりにも、京都市内では試合の告知などを目にしましたが昨今はだいぶ減ってしまっていると感じます。
このままでは興味のない人は、パープルサンガと言う間違った名前すら忘れてしまうかもしれません。忘れられてしまっては今後来場してもらうことはほぼ不可能です。
京都市内の方が人口は圧倒的に多いのでこの層を取りこぼしてしまうと、昇格を目指すのではなく、存続を目指すことにもなりかねません。
そのため、西京極開催は市内の普段はあまり興味のない人にも認知はし続けてもらい何かのきっかけで観戦してもらえるようにするために必要だと考えます。
3 京都府ほぼ全域がホームタウンだから
サンガは京都府内の13市と1町の地域から支えられて活動しています。
京都サンガF.C. HPより
クラブは地域のスポンサーやファンの存在があってのものです。
そのため可能な限り地域に対して、クラブが最も得意とするフットボールの試合で恩返しすることが必要だと考えます。要はお礼参りです。
ざっくりですが僕の思いついたのはこんなところです。他にもあると思うので、よければ皆さんの意見も教えてください。
コメント引用リツイート等お待ちしております!
最近考えてること
ここからは本稿とは別内容ですが最近僕が考えていることをサラサラと。
この記事を目にしてから2年ほど経過し何かのきっかけで、またこの記事を見ました。
このnoteはすごくざっくりまとめると、フットボールクラブの強さとクールさには因果関係があるのではないかと言うことを考えられた記事です。
また上記の記事の筆者の河内一馬さんは現在このようなクラウドファンディングに挑戦されています。
さて。
最近は河内さんが書かれた文章や、音声媒体もあるのでよくチェックしています。特に文章はそこそこ数があるので少しづつ読み進めて理解し、落とし込む作業を。その中で最近考えることは、
サポーターのクールさとチームや国の強さにも因果関係はあるのではないかと言うことです。
これを考える際にサポーターのクールさとは何かについての定義付けが必要になってきます。強さとは何かの定義づけも必要です。少しづつ仮説が出ている部分はあるのですが、まだまだ浅い知識からしか出てきていない浅い仮説なので、熟考の余地は多分にあるのですが、形にまとまってきた時に少しづつででもnoteに書き留めていければなと思います。今回の最後の章は、このことを少し知ってもらえたらなと思い書きました。きっと最後まで読んでくださる方は比較的僕に興味を持ってくださっていると思うので...
また更新するのでその際はよろしくお願いします!