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声と五感アートラボ ご感想 Day1 ④ 聴覚 「ボウルソング」

聴覚、嗅覚、視覚、触覚、味覚

あなたの声はあなた固有のパスワード
内と外を繋ぐ感覚器の扉を声でひらき、純粋領域で五感を感じる

2023年春より新しく始まったプログラム「声と五感アートラボ」
その内容や、ご感想をご紹介します。

※「声と五感アートラボ」は、2023年10月より【 東京 】【 神戸 】にて、
2期生を開講予定。募集、受付は8月より。


◎ボウルソング vowel song 母音の歌

「vowel=母音」
じぶんの名前の母音を歌います  ex) ちはる chi ha ru → i  a  u
音は固有の振動を持ち、その音によって物体が現れます。
歌うことにより、傷ついているところを修復し、持ちすぎているものの手放しを助け、あなた固有の振動数に再び還ります。

ありのままのあなたを受容し、慈しむ歌。

Q 歌う側、見守る側のペアになって、ワークを行いました。それぞれ、どんな気づきがありましたか?

歌い始めてからしばらくして
古い修道院の情景が浮かんできた。
その中で皆で声を響かせ合っている。
千春さんや和美さんが近くで歌って下さっている時 言葉にならない想いになった。

見守る側になり最初は
「わたし」をなかなか見つけられず
Hさんのとても純度の高い部分を見せてもらった時
どういう自分の立ち位置でいようと
少し戸惑っている自分がいた。

時間の流れの中で
そこに何の思いものせずに「だだ、見ている」
という自分になっていた。

じんわりと温かいものが流れ出し、
Hさんを包みハグしているような感覚。
愛おしいなあ、、と感じていた。

歌う側の時は、今まであまり感じた事のない種類の安心感に包まれた。子供の自分が喜ぶ感じもした。
見守る側の時は、神聖な部分を見せてもらっている有り難さを感じた。

人間って、こんな姿でいられるんだと…美しかった。

歌う側の感覚は、見守ってくださる方の安定感のおかげがあり、ほぼ無だったように思います。最初は緊張していたと思いますが。声を出すことが気持ちよくて、いつの間にかその緊張は忘れて、声を出していました。

見守る側の感覚は、今までに感じたことがない感覚で、とても貴重な体験となりました。お相手をただただ見守る。歌い出す前の佇まいを見させてもらっているだけで、なんて素敵で美しいのだろう、とそれだけで胸がいっぱい、涙が溢れそうでした。

ただ見守る、見守るという気持ちに何も乗せないということ、今回初めてできたように思います。というより、こういうただ見守る、ということがあることを初めて知りました。そして、日常ではもっと色々のっけながが見守りしているんだなーと思いました。

こちら側のフィルターを透明にしていれば、いつだって人は美しく、清い存在であることに気づくことができる、自分の見たいように、人や状況を見ているんだなーと改めて感じたことでした。日常でも家族に対して取り入れたい、と思いました。

歌う側は自分の内側へ深く入っていき、そこに相手を連れていく感覚があって、見守る側の方は相手の神聖な領域を見させてもらう感覚があった。心が振動したのは、見守る側の方でした。

歌う側の感覚として、(以前参加した)Ceremonyの1回目はどきどきや緊張感からのスタートでしたが、今回ははじめから大丈夫だ。という安心感がありました。あたたかく包まれているような感覚がありました。

歌ってある時「目を開けたい」となったのですが開けるのが怖くて(見守ってくれてるAさんの暖かさは感じるのに)なかなか開けられませんでした。ちはるさんが隣で一緒に声を出して支えてくださった後、やってみよう!となって目を開けました。その景色はなんで怖がっていたのか不思議なくらいやさしい世界でした。“出来ない”と制限してるのはいつも自分なんだなと再認識。何事も勇気を出してやってごらんって思いました。

見守る側の時は、Aさんがだんだん緩まっていくのを身近で見せてもらえてあぁかわいいなぁ。と。私は皆さんとは違って「頑張って」と少し念を送ってしまいました。でも“見守る”って、見る事だけで相手を守るって事だ!良い言葉だなと家に帰った後気付けました。あったかい。

見守る側ははじめは少し怖さがありました。美しく繊細で健やかなものを開いて見せてもらっている感じがして初めとても緊張しました。途中からはきれいだなぁ、美しいなぁ、と有難い気持ちでいっぱいになりました。

歌う側は、"見られる"ことへの怖さを超えるための緊張感がありました。自分の中の「正しさを目指す」他者と接するときの癖、を外すまでが怖かったです。千春さんが声を重ねてくださった時に、外側に意識が向いて、あ、"見ている"のではなく見守ってくださっているのだなぁと少しずつ強張りがとけていくような感じになりました。

歌う時は、ただ見守らえているという安心感を。どんな風でもいい、自然体を許して受け止めてもらっている優しさを感じ、身体も心もゆるむのを感じました。
見守る側の時は、相手の方の内側から、ハートのようなピンクの光が見え、少女のような可愛らしさを感じました。
一緒に歌いたくなり、ただただ何もせず気持ちを乗せず見守る事の難しさを感じました。

見守る時→ただ居る事。なにがあっても居るよ。私は私。貴方は貴方。でもワンネス感。
歌う側→見守りありがとうございます。何をしても良いんだなーの安心感

歌う側のときは、はじめ見られている緊張感がはじめあり、目を合わせることができず、目を閉じておこないましたが、途中から見守られている安心感と信頼へと変化する感覚がありました。
見守る側のときは、耳を澄まし、やさしく見守りたいと思いました。
その中で、その方の人となりが声から伝わってくるようにその振動に共鳴しているように感じ、見守る側なのに気づいたら、見守る側の私自身が癒され、満たされていたそんな感覚を覚えました。

最初は、これも無理、と思いました。
先に見守ったときは、「応援しよう、応援したい」と思って見ていました。彼女は、自由に真剣に実験されているようでした。
見守ってもらって歌ったときは、腹をくくって歌うと決め、歌う人を演じ切るようなつもりで歌いました。旅人になって、浜辺を歩いたり、これまでに出会ったたくさんの人の顔を思い浮かべたりして一音一音を出しました。紹介するような気持ちで歌っていたかもしれません。

見守る側は、大丈夫だよ〜見守ってるよ〜とハグする気持ちでいて、歌っている人の呼吸とリズムが合ってきて、さらに自分は歌っていないのに気持ち良くて瞼を閉じてしまいそうになりました。
そして、歌っている人の感情のようなものを感じれた気がして、良かったね、もう安心だね、と心の中で思いました。
歌う側は、恥ずかしさや緊張はなく、大丈夫とゆう空間の中で歌えました。自由に自分の出したい音程やリズムや形で歌えました。いつもなら、手のひらは上に向けていたり、手を軽く組んでいることが多いけれど、膝の上に手をそっと乗せて温かさを感じながらでした。気持ちよく自分のまま音が出せていたように思います。
シェアの時に、手を取り合っている感覚がしたと言ってもらえて、しかも私の手は下向き相手は上向きだったらしく、まさにその手の形だったなと。感覚をシェアしたら、どちらの時もお互いにハグし合っていたのだなと感じれて嬉しくなりました。
見守る側「気持ちいい/眠い/あったかい」→歌う側「スッキリ/凪」でした。

この人を守ってあげたい、と気持ちを込めて見守りました。その後に「本当に安心感があった」と聞いて、言葉ではないコミュニケーションでも気持ちは伝わるのだな、と感じました。
歌う側の感覚の時は、誰かに聞かれている、という感覚から、自分だけの世界ではなくそこに”誰か”がいる安心感とそして緊張感があるような。自然と誰かの気持ちに声を寄せようとしている自分の心の中の複雑な感覚を感じました。
見守る側の方が安心できるのは、普段のコミュニケーションでも同じだなあ、と思います。

歌う側では向こう側、若しくは遠くにいるわたしを声で引き留めて、こちらに呼び戻すようなイメージが見えました。
こちら側のわたしが声によって手招きをずっとしていて、遠くにいるわたしが「はっ」と気付いてこちらにやってくる。どんどん近くなってきたら、ハートチャクラの所から糸でふたりが繋がって、どんどん引き寄せ合って、抱きしめあって、最後はひとつに溶けあって「わたし」になる。という感じでした。
ひとつに溶け合いはじめる頃にうっすらと涙が出てきました。もうちょっと長く続けていたら、ちゃんと泣けていたのかな?と思います。そしたら、ちゃんとひとつになりきったんじゃないかな?と思いました。
あちら側のわたしとハートが繋がりはじめたくらいで心臓の鼓動が早くなって心音がよく聴こえるように感じました。身体の周りには何かあたたかい膜のような空気のようなものに包まれている感じがしました。

見守る側ではずっとTさんを見ていると息遣いがシンクロしていきました。 見守っていると手のひらだけがあたたかくなって、Tさんと向かい合わせで手を取り合っている感覚になりました。
わたしは下側から手を添えて、差し伸べているような感じでTさんが上から手を添えている感覚でした。
その時の気持ちはただ黙って、何も言わずに隣で寄り添っていよう、という感じです。優しく微笑みかけながら、ずっと寄り添い続けるような感覚でした。

目を見ようかなと思ったのですが、焦点が合わず、少し目線を外したほうがお互い心地良さそうなので、胸あたりを見ながら行いました。
最初は、一人で歌っている感覚でしたが、見守られている安心感が生まれると、もっと自由にやってみようといろんな声を出せました。

見守る側の時 Kさんの静かだけど、旅をするような声が(いろんな音域というより、声から伝わる旅感でした)とても素敵だなと思いました。 途中眠気?にも似た感覚で、どこかにいってしまいそうになり、なんとかこの世界にしがみついていた瞬間もありました。どっかに行っていた時もあったように思います。
見守るとなると、ついつい何か送ろうとしてしまうのですが、何かをしようとするのではなく、ただ信頼して見守る、そこにいて、確かにKさんが歌っている、その証人になることを、ただただ楽しみました。

歌う側は見守られることに慣れてないので緊張してしまって声がふるえたりしてました。隣でちはるさんが一緒に歌ってくれていたときはすごい圧というか、横から押されている感覚がありました。
見守る側は大丈夫だよ安心してねという気持ちで見守っていました。呼吸とか(閉じてる中で感じる)目の動きとか見て感じられるところにどうしても目がいってたように思います。

最初は、一瞬、見守られる中で声を出すことが恥ずかしいという気持ちがわずかにでましたが、いやいや、その見守られる中での声を出すことを安心してするんだよね。とすぐに気持ちが変化して、思う存分、歌うことができました。
最初は、思考が働き、どのように歌うかに意識が向きがちでしたが、途中から、「私」がいなくなり、以前、voiceヒーリングしたときに見えた、洞窟の中の太母(賢老人)みたいな人がいて、そこから、何かが外れたかのように歌い始めた感じがしました。
目を開けたときに、Mさんが、温かいまなざしで見守ってくれていて、菩薩様みたいだなーと感じました。

見守るときも、今、Mさんの意識が少しずつ変化しているように見えて、そのうちに、Mさんの周辺の空気が揺れ始めて、不思議な感じがしました。見ているとき、一緒になって、ふわーとなってしまいそうで、いやいや今は見る側だしと思い直すこともしました。

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