言語化「金か肉か」
どちらかがもらえるとすれば、ほとんどの人は金を選択するだろうと思う。
肉は好き嫌いもあるだろうし、お金はあっても邪魔にはならないから。
また、お金が入っても贅沢するのに高級な肉というのはあまり選択肢に入らないのでは、とも思う。
でも、金があれば肉は買える。
この変換の手間を惜しむか否か。
肉が食べたいときに金か肉かと聞かれたら、肉を選ぶんではないだろうか。
金よりも肉。それは己の中の渇望に左右される。
肉に満足したら金が欲しくなる。
ふむ。
それでも、おおよその人は金の需要の方が高いと思う。
金で買えるのは選択の自由だと思う。
質の良いものは大金がかかる。
結局肉だけを狙って選択する人からすれば、金はそれに足るだけあればいい。
しぼりこめないから、漠然と金を欲しがる。
たとえば、子どもが大切で、成長を促すのであれば子どもに金は使う。
その環境が手に入れば、それ以上は望まなくてもいいはずだ。
しかし、生活も大事だし、夫婦の時間も大事だしとなる気持ちもわかる。
大事なことの優先順位をつけられずにあれもこれも金を使って結果お金がないということになる。
資金力は選択の自由を拡げる。
数多くの選択をしたい人は金を欲すればいいけれど、人生は有限だ。
こんなことをモンハンのスキル構成やりながら考えてしまった。
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