noteは新たな居場所の候補となった。
『現実』の他に、自分にとって居心地の良い場所をインターネットに求めるのは多数派と言える現代。
多くのSNSを通じて、人は自分の中に存在する『見せたい一面』を、文字や創作物に託して発信している。
見知らぬ人と適度に繋がりながら、自分の考えや経験、創造性を吐き出し、自分好みの意見を拾い集めていく。なんと居心地よく、都合の良い空間だろうか。
私も例に洩れずその中毒性のある暇潰しツールの虜となり、複数のSNSを渡り歩いたが、近年はTwitter(現在のX)に落ち着いていた。
Twitterの単純明快な仕様とユーザー数の多さは実に私好みであり、情報収集の場としても非常に便利なものだった。
しかし、『Twitter離れ』の時は突然やってきた。
様々な要因は重なったが、全く意識することなく、気がつくとパッタリと途絶えていたのだ。
さて、どうしたものか。
Twitter廃人に片足を突っ込んでいたはずの自分が、Twitterに気持ちが向かない。
これは由々しき事態だ。
Instagramには気が向いたら投じることもあるが、現在の自分とは温度差がある。TikTokは見る専門だったが、それもYouTubeのショートに軍配が上がった。ブログや個人サイトの運営は、はるか昔に楽しませていただいたことがあるが、どうしたものか。
そんな時、新しい選択肢が与えられた。
それが『note』だった。
noteの使い方を説明するページには、以下のような説明書きがあった。
クリエイター、などと自称できるほど才能や努力に満ちた輝かしい存在ではないが、昔から何かを創作することは好きだった。
文を書くこと、絵を描くこと、歌うこと、とにかく様々な表現が好きだ。きっとそういう人間は、この世界に溢れているのだろう。
そんな人間が集っているような気がする、この空間を新しい居場所の候補とした。自分自身がこのnoteをきっかけに、何かに挑戦するチャンスを得たり、そうでなくとも頭の中を整理して心健やかに生きる一助になりうるのではないかと期待してる部分と、自分よりも早くここに辿り着いて活き活きと自分らしく輝いている誰かの1ページを覗き見したい部分とが、心の中でむくむくとしているからだ。
私はここに芽吹き、深く根を張り、いつの日か花を咲かせるのだろうか。
そして、それはどんな花なのだろうか。それはまだわからない。
期待を込めて。
OrAngE.