「期待は怖れである」

2022年6月9日自宅にて。
神棚に手を合わせながらも、あれこれと思いが巡り、集中出来ない。安易で卑しい期待が浮かぶ。
期待しちゃいけないと思い直した所で、
頂いた言葉。


期待とは、怖れである。

人は怖れるからこそ、先を思い巡らし、
得られるものを期待する。
あるいは、得られないのではと不安になる。
あなたは何を得ようと期待したのだ?

(何もかもが上手くいく様な魔法が起きる事を期待しました。)

その期待は間違ってはいないが、
怖れから発してはならない。
ただ望みなさい。
怖れからではなく、愛から望みなさい。
愛から望むとは、望んだ後、
その望みをすすんで手放すことだ。
愛の中に怖れはない。
それが叶わなかったらと、
不安になることはないのだ。
望みを宇宙に放ちなさい。
そして、その後は宇宙に任せなさい。
結果を気にして、右往左往してはならない。
それは神である私と、あなたの中の神への
不信を表している。
我々を信じていれば、あなたは安心して、
望みが叶うのを待つだろう。
あなたが心を乱すのは、我らが望みを叶えるのか
疑っているからだ。
あなた方は常にその疑いを持ちながら、
我らに願いを託す。
「信じてはいないが、祈る他に術がない」
そうやってあなた方は我らに、
不信と願いを同時に託すのだ。
それらは、互いに打ち消し合い、
我らに届く前に消えてしまうのだ。
願うのであれば、自らの不信を先に消しなさい。
不信が消せないのであれば、
願いは保留にしなさい。
保留には出来ないという程、
切実な願いなのであれば、
その不信を今すぐ消す努力をしなさい。
あるいは、神に願うのをやめて、
自力で叶えると決めなさい。
しかし、それも難しいだろう。
自力で叶えるには、
自身への信頼が不可欠である。
あなたが信じるべきはあなた自身であり、
あなたの中の神である。
あなたがあなたの神を信じるならば、
それは私を信じることになるのだ。
あなたがしてきた、今までの神頼みは、
「運が良ければ叶うだろう」
といったものではないか?
神を真に知る者だけが、
本当の神頼みが出来るのだ。
それは、まず神を知り、
神を信じることから始まるのだ。
多くの人は私を知ろうともせず、
信じてもいないまま願いを託す。
そして、願いが叶わないと、
「神などいない」と私を否定し、
全ては運が良いか悪いかだと考えるのだ。
だが、開運、強運などという言葉に
踊らされてはいけない。
運があなたに味方するのではない。
あなたの中の神が、あなたに味方するのである。
裏を返せば、あなたの神が、
あなたに味方をせねば、
あなたの望むものは、何も得られないのだ。
あなたの神を味方にする方法は簡単である。
あなたの中に神が居るという事を認めることだ。
その神が私と同じ力を持っていると認め、
その力と共に生きると、決めることだ。
神の力と、あなたの間に線を引いてはならない。
神の力をあなたの為に使うと意識するのだ。
神の力を怖れるのではない。
神の力は愛であると知るのだ。
愛を怖れてはいけない。
ただその愛を受け入れなさい。
そうすれば、愛はあなたの中に流れ、
あなたの中に神の力が流れ込むだろう。
それはあなたを強く成長させるのだ。
そして、それがあなた自身への信頼となり、
あなたの神への信頼となるのだ。
その信頼が、私と繋がり、
あなたの願いは、
その信頼によって叶っていくのだ。
神頼みとは、決して、「祈って待つ」という、
消極的なものではないのだ。
自らを信頼し、
自らの神を受け入れ、
その力を享受すると決意することで、
神との信頼を結ぶという、
積極的な働きなのである。



今回のお話しは、耳が痛い所が多く、
「その通りです。すいません。」
と謝りながら、書きとらせて頂きました。
私も二年前までは、
年に一度初詣くらいしか神社に行かず、
手を合わせて願うのは、
自分本位の事ばかりでした。
それも本気で叶える気なんて無かったな…
棚ぼたで叶ってくれればという程度でしたね。
何年も前から、引き寄せの法則とか、
スピリチュアルについて学んで来ましたが、
現実的には、
引き寄せの法則も上手くいかない、
どれだけ本を読んでも、変われない自分がいて、
情けなくて腹立たしくて、嫌でたまらなかった。
私はいつも、
誰かに救われる事を望んでいたのだと思う。
自力でなく、凄い能力を持った人とか、
癒やしてくれる人とか、他力本願だったんだ。
自分の事なんて信頼どころか、
自尊心も無かった。
そんな私がここ二年で、随分変わった。
それまで見ない振りで、
騙し騙し過ごしてきた事に限界が来て、
身体を壊し、精神も壊しそうだった。
そうまでして、ようやく分かった事、
私、全然幸せじゃない。
夫がいて、子供がいて、それなりに生活出来てる
平凡だけど幸せなんだと思っていた。
それなのに、どうしてこんなに苦しいのか?
どうしてこんなに淋しいのか?
どうしてこんなに虚しいのか?
やっと分かった、私は私じゃなくなっていた。
妻として、母として、そう生きているうちに
私が消えてしまった。
何の望みもなく、何も欲しい物もなく、
なんの希望もなくなってしまった。
全て、私ではなく、家族の望みだった。
私は私を取り戻さなきゃ、そうしないと、
私は病んでしまう。
でも、そうしたら、私は私の本音にぶつかる。
受け入れがたい本音だった。
私は夫を愛していない、夫とは暮らせない。
仲は良いと思っていたのに、私の本音は違った。
私が認識していた事が、反転していく様だった。
本物と思っていた物が偽物だった。
愛も、家庭も、
私は表面を取り繕っていただけだった。
私の世界が壊れていった。
そこからが始まりだった。
私は私を知ろうと奥深くまで、探った。
隠してきた私を見つけ、
馬鹿みたいな本音を知る。
本当の愛を知りたい。
一度くらい、本気で誰かに愛されたい。
虚しい愛はもう要らない。
私はその馬鹿みたいな本音を守る事にした。
そうやって、自分を理解し、赦し、愛した。
ちゃんと愛せてるか疑問だけど、努力した。
「受け入れると世界が変わる」
受け入れの法則というらしい。
よく覚えてないけど、その頃確かに変わった様な
気がする。
急に私の意識が広がって、認識が変わった。
その頃の日記に書いていた。
「 本当の愛は、
ただ広がる愛の波動なのかもしれない。
ただそこにあって気付く、
それが愛としか言いようがないことを。
本当は気付いていないだけで、
常にそこにあって、
どれ程ダメで、罪深い私であっても、
奪われる事なく、
ただただ与えられ続けているもの。
どんなに苦しくて悲しみに満ちた日々の中でも、
きっと愛は常に、そこにあったのだ。
私が自分の事にしか、目を向けていなくて、
辛い事に、心がとらわれてしまっていて、
それで気が付けずにいただけだ。」
これが私が、神の愛、
宇宙の愛に触れた瞬間だった。
これが、私が私の神とつながった瞬間であり、
私の人生が変わった瞬間だったのかもしれない。

思わず自分の事を長々と書いてしまいました。
ここまで読んでくれた方、
本当にありがとうございます。
あ、書き忘れましたが、離婚出来ました。
これからは自分らしく生きようと思い、
自分に出来る事として、こうして神さまの
メッセージを伝える事にしました。
お付き合いくださり、ありがとうございます。
また次回も、読んで頂ければ幸いです。
長くてすいませんでした。














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