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神の愛を求めなさい
あなたは、真実の愛の中にいますか?
偽りの愛の中にいますか?
愛についての神のメッセージです。
愛に生きると決意したのなら、その決意を忘れずに生きなさい。
人は人としての生活に呑まれてしまうものだ。
決意を常に念頭に置いておく事も難しいだろう。
それでもいい、一日のうちに何度でも、愛に立ち帰りなさい。
つまらないことに腹を立て、人の言葉に傷つき、イラついたとしても、その時、愛の態度を取れなくても、それでいいのだ。
一人になり私の元に帰り、愛に帰れば良いのだ。
そうしているうちに、あなたは愛に守られるようになるのだ。
それは、帰れば愛されるという、私への信頼と、あなた自身の愛への信頼が強くなるからだ。
その愛への信頼が、あなたを守り強くするのだ。
愛のプロテクトを持てば、些細な事では動じなくなるのだ。
そして、そのプロテクトを持てば、あなたは他人を正しく見られるようになるのだ。
あなたの為と言いながら、あなたを苦しめ傷付けてきた者と、あなたを信頼しあなたを尊重する者と、どちらに愛があるのかを、あなたは知るのだ。
それは、あなたの世界を反転させるかも知れない。
それまで大事だと思っていた人間関係、グループ、家族が、自分にとって害であると知ってしまうかもしれない。
それでも、あなたは真実を知るべきなのだ。
何故なら、あなたは真の愛の中で生きるべき人だからだ。
あなたは、愛されるべき人だからだ。
あなたの世界を、正しい目で見て欲しいのだ。
そして、偽りの愛を続けるのをやめて、真実の愛に目覚めて欲しい。
今、あなたが怖れているのも、分かっている。
偽りに慣れすぎて、真実の愛に気付けるのか、また、偽者を選んでしまうのではと、怖れているのだ。
だが、あなたが私の愛に触れ、私の愛を信じ生きるのなら、私の愛が魔法のように、あなたを守るのだ。
私の愛が、それが偽者か本物かを見分けるのだ。
怖れるよりも、私に助けを求めなさい。
私だけでなく、あらゆるスピリットがあなたを守ってくれるのだ。
怖れずに、人と関わっていきなさい。
愛は、あなたが人と関わり、人と繋がる事を求めているのだ。
愛は、人と人とが出会わなければ、生じないものでもあるのだ。
あなたの心の中にだけ、しまっておいてはいけないのだ。
愛という宝は、失わないように土に埋めてはいけない。
それは、人に与え、人に与えられ、互いに増やし、大きくしていくことで、あなた方を豊かにしていくものだ。
たとえ、失うことがあったとしても、それでも与えなさい。
だが、闇雲に与えてはいけない。
それは、あなたを傷つける行為である。
あなたが持つものは、あなたがこれまでの人生で育ててきた、あなたの愛なのだ。
それは、苦しみ傷つき、流した涙で出来ている。
そして、喜び楽しみ、心が震えた感動でも出来ているのだ。
それは、あなたの宝であるのだ。
だからこそ、その宝を大切に扱ってくれる人に与えなさい。
大切に扱わない者に与える意味は無いのだ。
たとえそれが、親や兄弟、配偶者、恋人など近しい人であっても、いや、近しいからこそ気を付けるべきなのだ。
その相手が、人生に満足していないのなら、特に気を付けなさい。
それは、自分の人生を大切に出来ていないからである。
そういう人は、他人の人生を大切に扱うことは出来ないのだ。
彼らに、あなたの人生、愛という宝を与えることは、あなたの不幸である。
それは、あなたに何も与えないからである。
愛という名の下に、搾取されてはならない。
あなたが掴んでいる愛は、暖かく巡り合う愛であるか、あなたの一方通行で戻ってくることのない愛であるか、今、よく目を開き見つめる事だ。
あなたが今幸福で、何の問題も無いというのならば、あなたは愛の循環の中にいるのだ。
だが、それならば、私の話をここまで聞くことは無かっただろう。
ここまで、私の話を聞いたのであれば、あなたが愛を求め、愛に疲れているという証なのだ。
認めたくなくとも、今確かめてみることだ。
真実に耐えられないのなら、私と、スピリットを呼びなさい。
誰でもいい、天使でも、マリアでもキリストでも、龍でもよい。
あなたの心に合うものを呼びなさい。
彼らに守ってもらいなさい。
彼らの癒しを求めなさい。
そして、守られながら、あなたの真実に目を向けなさい。
それは、あなたの愛を守るために必要なプロセスなのだ。
あなた方が、真実を自らの中に探す時、それまでの愛が愛であったのか、見失うような時がくる。
偽りの愛に支配されていたと知るものもいるだろう。
騙されたと、怒りに震える者もいるだろう。
今、気付いたばかりであるならば、その怒りに身を任せ、よくよくその感情に浸り、安全に発しなさい。
安全に発するとは、自身と他人を傷つけない方法をとる事だ。
怒っているからと、被害者であるからと、その相手に感情をぶつける事は、危険である。
それは、相手にとってではなく、あなたにとって危険なのだ。
それは、ひとたび被害者という立場に入ると、そこから抜け出せなくなるからだ。
それは、あなたを更なる不幸へと落とすのだ。
あなたの怒りも、憎しみも、恨みも、そこにいては永遠に消える事はないのだ。
理不尽に思うかもしれないが、それが真実である。
あなたは、相手を責め、相手から謝罪を得ようとするだろう。
だが、それが簡単に得られる事は少ないのだ。
彼らも理論で武装し、互いに攻撃し合うのが、人である。
常に自分が正しく、他人が間違っている、そう考えるのだ。
そして、争いのループにはまり、理解も和解もなし得ないのだ。
どれだけの人が、親、兄弟と決別し生きているか
あなたにも想像がつくだろう。
そこには、愛というものが入り込めないのだ。
互いに愛を求め合っているはずなのに、愛は訪れることはない。
あなたが愛を求めているのであれば、この争いのループにはまってはいけない。
その始まりは、自分を被害者だと認識するところからである。
あなたは被害者である。
それは正しいが、私から見れば、その相手も被害者なのだ。
あなた方は、どちらも愛における被害者であるのだ。
多くの人が、愛を知らずに生きているのだ。
愛を知らないが故に、互いに傷つけ合うのだ。
あなたを傷つけた相手も、愛を知らず、愛に飢えた人なのだ。
充分に傷つき、苦しみ、悲しみ、孤独に耐えてきた、一人の人なのだ。
あなたは、その人に向けて、「愛してくれなかった、傷つけた」と責めようとしているのだ。
その人の姿は、あなた自身の姿でもあるのだ。
鏡のように映し出されているのは、あなたの姿だ。
そしてその鏡に、あなたは、今攻撃しようとしているのだ。
それが、あなたにそのまま跳ね返るのは、分かる事だろう。
その鏡に映る自分に、今必要なものは何であるか。
それは、怒りをぶつける事ではないだろう。
それは、傷ついたあなたを優しく包み込む事だ。
あなたは悪くないと言って抱きしめることだ。
あなた自身の傷に向き合い、泣く事を許し、怒りを吐き出させ、あなたの声を聞いてやる事だ。
今、あなたが求めているのは、あなた自身の愛なのだ。
その愛であなたを包み、休ませてあげなさい。
その為に必要であれば、天使の愛、私の愛を求めなさい。
今は、自分を愛し、守る事に集中していなさい。
あなたをこれ以上、傷つけ不幸にしないためである。
そしてその為に愛を受け入れ、愛に生きなさい。
そうすれば、あなたはいずれ癒され、苦しみを脱するのだ。
そして、争いのループに入る事もなく、余計に傷つく事もないのだ。
あなたが苦しんでいるのなら、私の愛を求めなさい。
求めれば、与えられるのである。
ここまで読んで頂きありがとうございます😊
思い返すと、私自身もずっと被害者として生きてきてしまった気がします。
そこから抜け出せず、とらわれて、被害者役に執着していたのかもしれません。
自分で自分を苦しめて、そこに縛り付けていたのかも知れません。
被害者である事に執着しても、何もいい事は無かったですね。
相手は傷つけた事なんて忘れてて、昔の事で責めるなんてと、呆れられるだけです。
時間を無駄にしたなと、思い知りました。
愛が無いと気付きたくなかった為でもあります。
自分の目を塞いできた事も、今思えば後悔です。
それも、全て学びであったと、今は思います。
まだ、完全には立ち直れてはいないですが、ようやく、気が楽になってきました。
笑ってる事が多くなって、幸せだなとも思えます。
この先に、本当の愛を共に分かち合える人がいると信じて、再出発です!
また、次回も読んで頂ければ、幸いです。
ありがとうございました😊