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チューターになる: ホスト側のzoom活用

 8月の半ばに、大学二年次の必修授業Academic Writingの担当だった先生から、一年生にTOEFL対策として英語を教えるチューターにならないか(なってくれ)という内容のメールをもらった。何かの間違いだろうと思った。

 私は恐れと不安で縮み上がったメールを送った。どうやら間違いではなかったらしく、返信が来た。このときは、良い機会かもしれないけれど、不安だし、現実的に出来そうならやらせていただきますという気持ちだった。というのも来年に交換留学を控えていて、授業単位やら手続き準備やらで忙しそうな予感がするのだ。私は器量がいいわけではなく、かといって体力があるわけでもないので、役割を請け負うときは慎重になりたい。

 とりあえず一回話し合いたいからzoom来てね、と先生に言われ、結局そのままの流れでやることになった。”やらないかも”という選択肢が加味されてない雰囲気だった。学部の三年から選出されたメンバーは4人で、優秀かつ熱いBTSファンである私の友達もいた。


 と、ここまでの下書きが2021年の9月初頭に更新されていた。そのあとは忙しくてちゃんと記事にできていなかったのだが、チューターの仕事、仕事未満のそれ、が2021年12月に終わり、学期末にかけて最近それの振り返りシートの提出も終わったので、備忘録的に、zoomで教える側になるのが実際にどんな感じであるかについてすこし書きたいと思う。その経験から生徒として気づいたことにも触れつついきたい。なので題名は本来なら『チューターになった』が正しいけど、去年の書きかけたタイトルをそのままにしておく。

1. パワーポイントは大事

 いうまでもなく講義のパワーポイントは大事だと、生徒としても思っていたが、喋る側(講義展開する側)にとってもそうである。要点をまとめたパワーポイントは後ろめたくないカンペである。特にチュートリアルの90分は英語で行っていたため、純日本人の私にとって大きな助けになる(逆にないと死ぬ)他、ぴかぴか一年生の生徒にとっても非常に必要で大事なものである。喋る側としてはパワーポイントを事前にしっかり準備しておけば、モタモタした感じなく内容を進めることができるし、生徒からしたらポイントが視覚的に捉えられて理解しやすいのと、万一聞き逃してもなんとかなるというのが大きい。

 本当に聞き手想いのパワーポイントはなるべくわかりやすい言葉で、短く簡潔にまとめられるべきである。もちろん、簡潔で、視覚的で、効果的なPPTの使用は多くのユーザーの目指すところであると思う。でも私はこのチュートリアルを通してパワーポイントづくりに今までになく勤しんだおかげで、それを、とても、なんというか……本当に心から、感じるようになった。

 チュートリアルで何かを教える側を経験する前は、PPTの出来なんてまちまちで、時には妥協しまくりだった。たとえば課題で英語でのプレゼンをする際、言語の壁も伴ってスライド内の文字量がついつい多くなりがちである。その方が、スライドつくったけどあまり内容を覚えてなかったり、内容をついど忘れしたときも、スライドの文を読めばいいので安心である。でも聞き手としてはそんな文をたくさんは読んでいられない。とくにオンラインだと、身振り手振りや表情、声のトーンと言った非言語コミュニケーションの役割が発揮されにくくなるため、なおさらパワポに詰めこんだ情報(必ずしも効果的でない)で勝負しがちだと思う。もっと言えばやる気がないプレゼンのスライドほど引用文のコピペで埋め尽くされがちであるし、そんな消化試合のような発表を聞き手はさほど聞いてないのがオンラインの実情である。外国語でプレゼンする日本人にとって親切なのは言うことの9割書かれたカンペ的スライドであるが、聞き手に親切なのはわかりやすくて読みやすい、必要な情報が揃ったスライドだろう。

 この「話し手にだけ親切なスライド」というのは割と大学の講義でも使われているのではと感じるようになった。例えば教授が講義のスライドに、論文の言い回しをそのまま持ってきていくつも文章を載せていたりすると、非ネイティブにはかなりつらい。もちろん超有名な一節だったり、インタビューの回答などであれば、そのままクオーテーションをつかうのが効果的なこともあると思う。でも単純に著者の主張を説明したいだけのときにいくつも文をコピペしても瞬間的に伝わりにくい。その後大抵かみ砕いた説明が口頭でなされたりするので問題はないっちゃないのだが、だったらスライドを文章でびっしり埋めるまえにやりようがありそうなものである。先にわかりやすく結論を書いて、その後に参考を載せるとか…。素人なので正直わからないが、たとえマーケティングと講義とでスライドの使い方が変わるにしても、生徒に引用を丸暗記してもらいたいわけでもない限り、そのまま詰め込むのはいかがなものかと思うようになった。そういうスライドは大抵、画像が挿入される余白すらもない。

 丁寧なスライドはつくるのに時間がかかるが、いつ見返しても良いものである。事前準備の一つとして大切なポイントだと思う。

2.音声データや動画はパソコンにダウンロードしたものを使おう

 学生低スぺパソコンにとって資料をオフラインでアクセス可能にするのはスムーズな進行にかかせないものである。今回のことで新たに気づいたことは、TEDTalkはダウンロードできてもTEDeducationはダウンロードできないということ、iTunesで音楽もPodcastもダウンロード可能ということ、GrooveMusicは操作しやすいが倍速再生はできず、Windows Media Playerは可能ということ、などなど。

3. Googleフォームを出席簿代わりに

 チュートリアルが初まって1、2週間経った頃、学部の先生に「出席をしっかりとるように」と釘を刺された。そのチュートリアルは必修科目の一環として行われているので、生徒は一定の出席が求められる。先生曰く、オンライン上だと、本当に出席しているのかzoomに居るだけで寝ているのかわからないからとのことだった。生徒として身に覚えのある感覚ではある。
 生徒の参加を促すために用意したのがGoogleフォームでのクイズだった。フォームの問題をチュートリアル内で解き、提出してもらえば、そこで正確な出席をとることができる。提出と同時に答えがリリースされるように設定することもできるし、生徒の正答率も見ることができて非常に便利であった。

4. みんなカメラオンにしない問題

 これである。多くのオンラインで開講している大学教授の悩みではないのかと思う。優しく頼んだくらいじゃ開けてくれないのである。かといって強く要求したくなかったので、真に苦労を強いられた。学部の先生からは「強制していいよ」と言われたりしたが、私は人に強制するのがあまり好きではないのと、「私もただの生徒のくせに…」という気持ちがあって憚られた。

 とはいえカメラが閉ざされていると、圧倒的にコミュニケーションがとれない。「オンライン授業においてコミュニケーションは不要」論も展開されそうだが、そこは先生のスタイルや授業の分野の内容に依るはずである。反応もなく、表情がわからないと、生徒が理解してるのかどうかがわからないし、具体的にどこでつまづいているのかもわからない(この対策としてGoogleフォームも役に立った)。私は言語学習はコミュニケーションが大事だと思っていたので、どうしたものかと思った。

 もちろん顔を見せてくれる子、その気概がある子も少なくはなかったのだが、全体的な割合はクラスの雰囲気によってまちまちであった。クラスは4クラスあり、各クラス週二回を3週間行いローテーションするのである。こっちクラスはほぼ全員顔を見せてくれるが、あっちクラスはそうでもない、というようなことが起こった。

 加えて彼らが最終的にカメラをオンにする選択は、かなりコレクティブであり(individualの反対)、初めの5~10分にかかっている。たとえば、一人二人が素早くカメラをオンにすれば、後に続く人も多い。一方で他方が他方の様子を伺い、カメラ開放の初動に時間がかかると、もはや誰もカメラをオンに出来ず、私はその90分は暗闇に話しかけ続けることになる。チュートリアル期間中のカメラ開放率は曜日と出席者の面々によって変わった。

 生徒のカメラ未開放によるコミュニケーション障害への対応として、私から挙げられるのは3つほどである。①明るく、寛容さを纏って、最初にしっかりとお願いする②チャット機能の使用を促す③絵文字でのコミュニケーションを図る

 ①明るく、寛容さを纏って、最初にしっかりとお願いする。先ほども申し上げた通り、zoomの生徒のカメラ開放率は初動の様子に左右される。もしカメラオンを強制化したくない場合は、最初に元気よく頼み込むしかない。

 ②チャット機能の使用を促す。これは代替のコミュニケーションツールである。積極的にこちらがチャットをメモ代わりに使用し、生徒の気軽な使用も促すことで、カメラオフの生徒も意見を発信してくれるようになったので、ツールとして有力だと思う。短所はタイピングの速さとかかる時間によってコミュニケーションにラグが起こることである。生徒として経験があるが、モタモタと打ってる間に話題が次に進んでしまうと送信できなかったりする。

 ③絵文字でのコミュニケーションを図る。これは意外な発見だったのだが、カメラオフの生徒の何人かが、カメラをオンにする代わりに絵文字で気持ちを表現し始めたのだ。驚くべきことに、それから続々と絵文字でのコミュニケーションが盛んになった。zoomで絵文字で素早く簡単な反応を送ることができるのは知っていたが、実際に選べる絵文字の種類は幅広く、それを使えばより細かい表現ができるようだ。うれしい時は❤、拍手は👏、困ったときは困っている顔文字など、自由自在に送れる。生徒が顔を見せてくれるに越したことはないかもしれないが、カメラオフがデフォルトの授業でも、絵文字での交信は可能なように見える。話し手側も気軽に情報を補足するのに使えて便利だと思った。


おわり

 チュートリアルをするのは大変だったが学びも多く、中には嬉しいことを言ってくれる生徒もいて、全体的にいい経験だった。一番大きなことは、この経験を通して大学の先生の気持ちが少し知れたことである。私もシャイな気質なので、みんながカメラオフの授業の中でカメラをオンにする勇気はなかなかでなかった。しかし自分がホスト側で苦心し、先生の大変さを感じたことで、当期に受講していたオンライン授業でカメラをオンにし、絵文字などを使用して、積極的に自分から交信を試みるようになった。結果、そのセメスター最後の授業で、先生から普段の参加のお礼を言われてしまった。先生というのは本当に大変である。前の学期では状況の変化で授業が再び強制オンラインになり、先生がぼやいているのを聞いたことがある。良い授業というのは、先生と生徒が一緒になってつくるものなんだなと、経験則で感じることができた。

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