某宗教と私

私は親が某宗教のそこそこ重めの信者で、というか親戚はほぼそうなんですけど、
私や妹、あと一部の従兄弟は冷めてたり興味がなかったりするんです。
日本は信仰の自由があります。
肉親であっても、子供に信仰を強制することはできません。
でも実際、そんな憲法はあまり役に立たないんですよね。

養われているのだから、言うことを聞け。とねじ伏せられ、
親が信じているものを信じられないのか。と泣きつかれ、

辟易している方に、お伝えしたいことがあります。


私もめっちゃ困ってる!!!!


ほんとどうすればいいんでしょう。
この某宗教関連さえなければ、ほんとに良い家族なんです。
某宗教を強制されるのが嫌なだけで、親や親族を傷つけたいわけじゃないんです。
結局傷つけたくない方が勝って、集会とか行っちゃうんですけどね。ワハハ。
こういう宗教系の愚痴って言い辛いので、同じだ!って人も見つけにくいんですよね。

だからこの記事を書きました。
信仰が必要な人がどんな人か、信仰が不要な人がなぜ不快感を持つか、
その辺の考え方がまとまればモヤモヤやしんどさも多少軽くなると思うんです。
超~~個人的な考えなので、皆様個人の理論をそれぞれ持って、
うまくこの理不尽な状況をやり過ごしていきましょう!!!

そもそも、現代は情報が膨大にあるのでわざわざ宗教を心の支えにしなくても生きていけますよね
宗教自体にあまりプラスのイメージが無いって方もいます。
でも、宗教がないと生きていけない方も一定数います。
そういう方々って、どういう方なんでしょう。

それは、誰にも許してもらえない人なんだと思います。
周囲の人間にも、世間にも、自分自身にも許してもらえず、
動けなくなってしまうことがあります。

人と会っても、なんだか騙しているような気分になる。
ご飯を食べても、申し訳ない気持ちになる。
夜寝るときは、自分を責めて、恥じて、目が冴えてしまう。

そういうとき、好きなことがある人は、好きなことをします。
でも好きなことが何もない、無趣味の人はどうなるんでしょう。
発散をする方法を知らない人が、一番簡単に発散できるのが信仰です。
対象、手順、ルールが最初から用意されていることで、無心になって集中できます。
そうすることで自分を表現し、ストレスを発散することができます。
「がんばる」ことで、許されると思えます。

とてもいいシステムです。同じ信仰を持つもの同士で交流もできます。
ですが冒頭で言ったように、他にやりたいことがある人には不必要です。
その人独自のシステムがある以上、押し付けは害悪でしかありません。
もうピザ食べてるのに、ラーメン出されても困りますよね。
胃袋に限りがあるように、人の時間にも限りがあります。
それを、「不要なもの」に使ってしまって良いんでしょうか?
ピザでお腹を満たしたいのに、人の顔色を伺ってラーメンを食べるなんて、
悲しすぎます。ラーメン好きです。この例えこそ必要なんでしょうか。

私は言いました。高校生の頃だったと思います。
「私はピザで生きていけるから、ラーメンはいらないんです。」
母は言いました。

「でも、ラーメンが一番美味しいんだよ」

これが信者です。他人だったらとっくにチャーシューにしてると思いますが、
親なので、私を産んで育ててくれた、たった一人の母親なので、私はラーメンを食べています。
悲しすぎます。ラーメン自体は好きです。とんこつ派です。この情報は不要ですね。
流れで自己紹介しますが私は某宗教は嫌いですが宗教自体が嫌いなわけではないです。
母のことも大好きです。もし母の悪口を書かれたら胃がちぎれるほどつらいです。
ラーメンが全部出てしまうので勘弁してください。ほんとに良い母なんです信者という一点を除いて。

ただ「押し付け」が嫌いです。これは宗教に限った話ではありません。
人にゴリ押しをしても。その人の気持ちは変わりません。
その人を否定し続けているだけです。
おすすめしたものを拒まれて悲しいときもあるでしょう。
ですが拒んでいる人も同時に苦しい思いをしています。大切な人に応えてあげられない苦しみです。

私はこれを母に伝えるべきかもしれません。でもまだちょっと、勇気が出ません。
なかなかアンタのせいで苦しんでるぞ!とは言えないですよね。
自分はこういう考えで生きてるんだよ。みたいな方向で、なんとか伝えられるといいですよね。

...

こちらはYahoo!ブログにて2015年に書いた記事になります。

サービス終了とのことで、備忘録ではないですがなんとなく残しておこうと思いました。

未だ伝わってはいないですが、家族とは良い関係でいたいと願っているので頑張ります。

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