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空と水色とわたし-52
私は長いことフロンターレを応援しているものの、
サッカーのことはよく分からない。
戦術やシステム、ルール、海外リーグ、選手・・・国内の有名な選手でさえも知らないことがある。
それでもいつも楽しく試合を見ている。ありがたいことだ。
サッカーの試合を見ていると、ボールを止めて蹴ってドリブルをしたり
ゴールへ進んでいくこと、守備をすることがまるで簡単なことのように思えてしまう錯覚に陥る。
人生で一度だけ仕事の関係でフットサルに参加したことがあるのだが、
コートに入ってすぐにそれは間違いだったことに気付く。
ボールを蹴るだけでも難しいし、経験者からすごく早いボールが来たらまず止められないし怖いのだ。
まぁ、ボールを蹴ったのは小学校の遊びの数回程度で、運動神経がとても良いとは言えない超初心者の女性の感想なので、プロのサッカー選手と比較するのはとてもじゃないけれどおこがましいお話ではあるのだが。
それ以来、私は選手のプレーに関して、不満を口にすることは無くなった。
その代わり、良いプレーには惜しみない拍手を送る。
それはともかくとして、2017年1月1日の天皇杯に時を戻すとする。
前述の通り、私には試合を振り返ることはできない。
試合中の細かいことはあまり覚えていないのだ。
ただ、めずらしくこの舞台に立っても不安になることなく
「いける!」
「いけるかもしれない!!」
と思いながら、応援していた。
延長戦に突入してもその気持ちは変わらない。
強い想いと祈るような気持ちで声を出し跳ねる。
この応援がたとえ自己満足なものだとしても、
ふとした瞬間に選手に届いてほんの少しの力になればそれでいい。
1mmでも後押しできたらいい。
どうか届いて。
しかし、相手は試合巧者の強豪チーム。
勝者のメンタリティとでも表現すればよいだろうか。
勝利へのこだわりと隙の無さ、落ち着きが一枚も二枚も上だった。
延長戦の末、私たちはまたしても優勝に届かなかった。
試合後、90+30分の応援と負けたショックで私は呆然と立ち尽くしていた。
あぁ、負けてしまった。と認識はしていたが、それ以外の感情はあまり湧いてこなかった。
ともあれ、結果は受け止めよう。悔しいけれど相手はすごい。
ここまで勝ち抜いてきた私たちだって立派じゃないか。と表彰台を見上げると銀色のメダルをかけた悔しそうな選手たち。
ここで悔しいという感情が溢れてきて泣きそうになる。
数分後、表彰台には勝者たちの笑顔とそれを下から見上げる選手たち。
我慢できずに泣いてしまった。
彼らはどんな気持ちでこの光景を眺めているのだろうか。
考えたら余計に辛くなるので何も考えないようにする。
結果はともかくとして、今日で長かった2016シーズンも終わり。
今日で風間さんとヨシトは最後だ。
きちんと送り出さなくては。と涙を拭いて選手たちがゴール裏にやってくるのを待つ。
こちらに選手たちが向かってくるのを見るとまたしても泣きそうになり
上を向いて涙がこぼれないようにこらえるも、ヨシトの涙で涙腺が崩壊してしまう。ひどい有様だ。
選手たちを見送り、周囲の観客も帰り始めたがしばらく動けなかった。
なんとか気持ちの整理をして、スタジアムを後にする。
帰りの新幹線の時間が気になるし、下姉にリクエストされた551の豚まんを買わなくてはならない。
さっきまで泣いていたくせに気分はもう豚まんなのだ。