中傷誹謗なんて、どうせ無くならない
コロナ渦のせいでSNSに大きな変化が生まれた
インスタグラムのような写真をメインとするSNSは外出自粛のせいでお題箱になってしまい
文字がメインのツイッターでは暇を持て余した人たちが叩く人をスナイパーのようにスコープを覗かせて探してる
タイムラインには誹謗中傷についての話題で持ちきりになったり
正直、少し荒れてるとは言え、いつも通りではあった、ツイッターって、そんなもんだろっていう認識があったから
問題が起きてから、皆、良くしようとする
良くなるとは、あまり思ってないけど、心の持ち方が変わってくれる人が少しでも増えればいいな程度だった
でも現実は悲しいものだった、言葉を真摯に受け止める一方、中傷誹謗した人を中傷誹謗するという悪循環が出来上がった
何故、どうして、関わりを持とうとする?
顔も知らない、調べなければ素性だってわからない
そりゃ人を傷つけて、死に追い込んだ、罪人だっているけど
所詮赤の他人、身内の敵だったり、私情が絡んでる場合もあったりするが、こちらから何もしなければ、相手だって基本何もしてこないのに、叩きに行ってしまうのだろうか
ツイッターも長らくやって7年、俗に言うツイ廃になってる身だけど、人生の無駄だよこんなの、確かに有意義な話を見かけたり、最新の情報を入手できる便利なサービス
ポジティブ面をみれば、なんだって良く見える
実際ツイッターのほとんどが、趣味についてで盛り上がってる人たち、作り話かわからない面白いジョークとか、くだらない問題定義をずっと行ってる人、飯の画像をあげる人、公式のアカウントじゃなければこんなもんでしょ
自分で見たい人を選別すれば、こんなしょーもないタイムラインじゃなくなるかもしれんが、暇つぶしを目的としてやってる場合、大体タイムラインはこんな感じだと思う
不特定多数と繋がれることは、基本悪いことだと思う、勿論自分の知らない世界を見ることができたり、身内ではできない、他愛も話もできる
でも念頭に置いておいて欲しい
知らない人、いつ自分を裏切るかわからない人、こんな人たちに信頼や言葉を100受け入れるなんて愚かなことだということだと
身内に言われるとは言葉は同じでも意味が全然違うこと
反論したって会話が成り立たないこと
どっかの著名人が機会と相手してると思ったほうがいいと言ってたように、ツイッターをやる面で全部を受け入れようとする心の持ち方はやめたほうがいい、絶対に
人の話を聞かないのはダメだけど、ツイッターの話は半分真面目に、半分冗談くらいの気持ちで聞いたほうがいい
褒め言葉は冗談で捉えるのに、罵倒は真面目に捉えるなんて、おかしくないですか?
100ある意見で99はポジティブな意見でも1のネガティブな意見に意識をおいてしまうのが日本人の悪いところすぎる
言われて、直したほうがいいと思ったところは、直せるなら直したほうがいい、ただ全部が全部受け入れる人形になる必要なんて1mmもない
自分の為になると思うことを行えばいい
ただそれで、「死」を選ぶなんていう選択はしないでほしい
あくまでこれから生きる為に直したほうがいいかなって、自分でも多少思い当たる節があるのだけ修正していけばいい
自分が思い当たらないものだったら、SNSなんかじゃなくて、信頼できる身内と相談して決めるべきだ、SNSに自分を決めてもらうなんて、自分から言わせてもらえば愚か者だ
秩序が保たれてない自分を全部出さなくていい世界で、自分を出し切って、認めてもらいたいと思ってしまったら、離れるべきだ、自己防衛大切に
PS:信頼できる身内がいない人たちへ
ごめんなさい、どうすればいいか、わかりません
同じ境遇の人を見つけて聞いてみてください