2020年、最初の人生会議。
人生会議。
2020年1月5日、午前。
立ち話のような人生会議を推奨している僕だけど、
たまには、腰を据えて、さぁ始めましょう。という人生会議だってする。
今日は、今年最初のそういう機会を持った。
愛する人が大きく体調の変化を起こして、動揺する家族。
病院からもらって来たたくさんの医療情報。デジタルな選択。
30年以上の療養を支えて来た、
デジタルなら、白か黒なら、グレーとしか言いようがない、
でも、カラフルで思い出深い1日1日。
それをズラーっと並べる。
迷う辛さ、悩む辛さ。
思い出せることが多いほど、迷いも悩みも深い。
30分、僕は一言も話さなかった。
話せなかった、話す時間がなかった。
まぁ、マシンガンてやつ。
聴ききった。
30年以上の日々、これまでも共に悩んで来た日々、
そして、僕らでは想像しましたなんて到底言えない壮大で壮絶な
濃すぎる、体験と悩み。
噛みしめれば、噛みしめるほど、意味が出る。
だから、迷うんだ。
辞書とか、電話帳とか、グーグルみたいに、調べれば結論が出る時代
迷ってるのがストレスに見えることがある
でも、違う。
だから、迷うんだ。
30分経って、やっと息継ぎをしたその隙間で、
僕は話してみた。
今の状態、の、人生における 意味。
今の体調、の、身体における 影響、ではなく。
家族が主語のものがたりと、本人が主語のものがたりって
何か違うんですかねえー。
とか。
これ以上、迷いたくない。辛い。という、方に
もっと迷いましょう、悩みましょう。と言い続けた。
まずは、本人主語のものがたりを、もっと見ましょう。
本人ともっと話をしましょう。
もっと、迷えるように。悩めるように。
と、最後は提案してた。
生きててほしい、苦しんでは欲しくない、幸せに過ごしてほしい、
微妙に矛盾する想い。
2時間近く話して
何か変わったんですか?とか
何か決まりましたか?とか
聞かれたら、Noかな。
でも、この2時間話して
未来を共有できましたか?とか
将来は幸せになりますか?とか
聞かれたら、Yesだな。
「本人と、もっともっと話をします。」と笑顔で帰って行きました。
次は、本人も一緒に話したい。です。
弱ること、力つきること、死ぬこと、をはっきりと言葉にあえてすること。
それは、あたりまえで、だからどうってことではないんだから、選択に影響しすぎない方がいいことを伝えること。
迷い続けること、悩み続けることを推奨すること。
辛い時、主語のほとんどが、あなた、になっていること。それはそれで良いことだけど
本人を主語にして話しているのと勘違いしないように、と忠告すること。
を、2時間気を張って参加しました。
またゆっくり話しましょう。まだまだ。
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