ポジティヴヘルスの源泉を辿って。Dr.Jungの実践と現場を体感し、彼の言葉を記録する。
Dr.Jungと5年ぶりの再会。ポジティヴヘルスのコンセプトづくりから関わり、常に自身の地域で実践と発信を続けているユング。今回改めてオランダの医療の歴史と、地域で実践するべきことの変化。Jung自身の体験から生まれたポジティヴヘルスの実践について話を聞くことができました。
ポジティヴヘルスはタクシーの運転手と同じ。
タクシーに乗ったらまずはなにを尋ねられますか?
「どこには行きたくないですか?」
「なにをここに置いていきたいですか?」
「どこから来ましたか?」
違いますよね。
「どこへ行きたいですか?」
です。
時代と共に変わる“健康”と“医療”
Jungはこの村の3代目の家庭医。
この3代の間にも、社会の様子や平均寿命、健康の考え方、医師がやるべきことはどんどん変わっていきました。
1900年代前半1960年頃まで。1960年から2000年頃。そして現在。Jungは村の家庭医の時代と共に変わる役割と社会背景を、この3世代に分けて整理してくれました。
初代の頃。1900年代前半、1960年頃までの話。第二次世界大戦後、戦争で破壊された村。当時の平均寿命は55歳。村には下水もなく、飲み水の質も良くない。医師が使える薬も限られていて、今と比べたら“医療”としてできることは限られている、それでも医師は村にとって重要な存在でした。医師として、質の良い水を手に入れることが大事だと考え、水道水をひくことに努め、それらをジャーナリストを呼んで見せ、発信に繋げていくことで、社会全体の課題を変える必要がありました。
この頃「健康とは何ですか」と聞かれれば、それは「生存(to survive)」でした。1950年のオランダに家庭医(GP)は4500人、専門医は2900人。地域では教会の存在も大きく、村をまとめる役割を担っていました。
二代目の医師が赴任して、1960年から2000年頃の話。オランダの平均寿命は半世紀の間に25歳も伸びて82歳に。1948年にはWHOが設立され、健康が定義されました。「健康とは、単に疾患がないとか虚弱ではないことではなく、身体的、精神的、社会的に、完全に良好であること」カンペキな状態を定義し、それは実現できると考えられていました。Jungは楽観的な時代、と表現していました。健康とか医療の話だけではなく、技術開発や経済などすべてにおいて「なんでも変えられる、なんでも解決できる」と社会が考えていた、そういう意味で楽観的な時代ということです。
この時代の「健康」は「長生き(Live as long as possible)」です。実際に寿命は延びているわけですが、延びたのは“人生の終わりのほう”、つまり疾病のある期間が長くなっただけのようにも見えます。生活習慣も変わり「病気になるのは早くなったが、お金や薬は増えたのでそれで対処していく時代」とも言えます。医師の数は増えて、20000人の専門医と9000人の家庭医(家庭医の多くは短時間勤務だったりして、実際の数は前の時代からあまり増えていないとのこと)。病気を早く見つけて早く対処する、医療のシステムは回り始めますが、教会の機能は減っていきます。社会全体の医療化が進んだ時代とも言えそうです。
そして2000年、三代目のJungが赴任します。
初代、二代目は、医師が一人で診察室に立っていたり、診療デスクに座っている。そんな写真が残っています。一方、Jungの写真にはチームメンバーが写っている。1人のドクターだけでなくチームになった、写真は、診療所のスタンスが変わっていっていることを表しています。チームメンバーが女性中心になっているのも特徴です。
2008年、WHOの60周年記念式典で、AlexJadadは3000人の聴衆に尋ねました「WHOの定義どおり健康な人はいますか?」誰も手を挙げられない、カンペキであることの難しさを感じます。一人、手を挙げて立ち上がりましたが、Alexは「あなたは違います、メガネをかけていますから」と指摘しました。オランダでは健康についての調査が始まり、Huberが新しい健康の概念を見つけ発信しました。
「健康」のキーワードに「Meaningful Life、生きがい」が入ってきました。
「健康」を考える時に「生きがい」を考える時代。であれば、医療チームはどんなメンバーで、どんなことをすればよいでしょうか?
BLUEZONEとの出会い、実践
Jungはかつて、医師として中央アメリカ、ニカラグアで活動していました。医療が整備されていないニカラグアでは、病気を治す設備を考えるよりも先に、病気にならないことが重要。つまり、「医者なしに生きていく」がテーマ。活動は感染症が流行しないようにトイレづくりから始まりました。オランダ大使館からの補助金でコンクリートを買って住民と共にトイレをつくる。そんな日々の中、気がついたのは住民の年齢のこと。診療所に来たある患者、60歳くらいかなと思って確認すると、なんと90歳と答える。身分証明書が間違っているのか、年齢の数え方がおかしいのか、最初はそう思った。トイレづくりの手伝いに来てくれている50代に見えた男性は70過ぎだという。医療の乏しいこの地に住んでいる人たちは、なぜこんなに元気で若々しいのか。
そこは、BLUEZONEと呼ばれるコスタリカから20kmくらい離れた場所でした。
BLUEZONEとは、世界に散らばる健康長寿な地域。
世界5つの地域がBLUEZONEと呼ばれ、日本の沖縄もそのひとつ。
BLUEZONEの要素を以下のように4つに分けて考えました。
・自然との関わり、自然と近くにあること
・適切な食事、野菜を自分たちで育てる
・コミュニティでつながりを感じられること
・生きる目的、意義があること、すなわち“生きがい”を持つこと
ニカラグアで、いわゆる「医療・医学」ではない要素で、若々しく元気に暮らしている人たちに出会ったJungは、オランダの家庭医としてBLUEZONEの概念をどう使おうか考えていました。
村に戻ったJungは、まずは住民と一緒に歩くのを始めました。BUEZONEの4つの要素を、アクティビティに1つずつ加えるように考えたわけです。
その活動を通して気づいたこと。糖尿病患者のデータは、ウォーキングイベントを行うだけではその場限りの効果ですが、自然とのつながりや仲間との活動の気持ちよさや楽しさがあれば、それが習慣となり、医療データの改善も継続されていくのです。
1年間はこのアクティビティには州からの支援があり、さらに続けたいと考えていましたが、補助金は続かず、保険会社に相談したけどダメ。さて、どうする?
新しい“健康”を支える仕組みや制度を整える
Jungには娘がいました。重度のてんかん、知的障害、盲目。ハッピーな子どもで音楽が大好きでした。村のお祭りで家族で音楽ステージに立っている写真を見せてくれました。それが、彼女が亡くなる1ヶ月前の写真とのことでした。
娘が亡くなり、なにをすれば良いかわからなくなるほど呆然とした時間を過ごし、2週間後に仕事を再開。それまでは毎晩何度も起きて娘のケアをしていた、その時間とエネルギーをもっと仕事に注げると思っていましたが・・2日働いて気がつきました。疲労感の原因は仕事だった、娘ではない。
カエルが浸かっている水がだんだん熱くなっても気がつかず茹であがってしまうエピソードがありますが、まさにそれ。自分の仕事も徐々に悪化する中で気づいていなかった。娘が亡くなったときに、お湯から一度出ることになった。もう一度戻ってみたら、熱湯だと気づき、すぐに飛び出した。仕事のやり方を変えなければならない、とその時思ったそうです。
村の診療所に来て10年で、診療数は2倍になっていました。医療のニーズがどんどん増えていく。社会は医療を求めている、求めすぎている。新たに家庭医を雇うことにしました。そうすると、また25%診療が増え、2人目のドクターも疲弊し始めました。
これ以上やっても同じだ。制度の問題だ。
保険会社と交渉し、保険のシステムの修正を行っていった。
診療回数ではなく、1人あたりの健康管理についての支払いのシステムになれば、診察室で診療する時間を、ウォーキングに使うことができる。
「困りごとは?」「これまでの病気は?」「どうなりたくないですか?」という質問をやめて「どうなりたいか」から話すことにするだけで、診療の質が変わります。ポジティヴヘルスの概念を実際の診療に取り入れていきました。
忙しい診療の中で「今日はどうしましたか?」と聞かれた患者に与えられた時間は平均10秒とも言われています。それを2分間にしたらどうなるか、調査してみました。2分間聞くだけで、60-70%の人は自然と区切りがつくことがわかり、またその時間を持つことで患者が「どうなりたいか」まで聞き出せることもわかりました。
診療回数ではなく、1人あたりの支払にする。診療時間の1単位を10分から15分にする。保険会社と共に医療システムを修正していきました。
オランダでは家庭医の紹介がないと病院を受診することはできません。1000人の受診のうち、何人が病院に紹介されるかのデータでは、オランダ全体では徐々に紹介率が増えているのに比べて、Jungの村、Afferdenでは減っています。
患者1人あたりのコストも変化しました。
処方薬は -15%
メンタルケアのコストは -34%
病院受診のコストは -16%
家庭医のコストは +37%
合計では -7%
1人あたり117€、村全体では30万€のコスト削減になりました。
地域での活動そのもの
Jungとそのチームは、村に新しいコミュニティセンターを立ち上げました。そこでは、住民が中心となった「ASB(Afferden Samen Beter)」(Samen Beter=Together Better)というチームが活動しています。全村民2000人以上がメンバーです。そのうち60人がアクティブメンバーとして企画や運営に関わっています。ASBは自助と互助を高めるチーム。自分の価値を大切にし、お互いを尊重する。自分になにができるか、それをお互いのために発揮する。そんな考え方です。「住民が自分自身の指揮者であるか、が大事」コアメンバーの住民がそう説明してくれました。キーワードは「出会い」「つながり」「自然」。ハーブガーデンはその象徴。ケアスタッフが減っていく時代だからこそ「ご近所サポーターズ」をつくっていくのだ、と。
日本でできること
ヘルスケアを考える時に「医療で区切られた“健康”」から考えるだけでは、お金をかけたらかけただけ、病気になるのが早くなり、より医療のコストが増えていくという循環に陥りかねない。BLUEZONEの人たちとより乖離していく。
「つながり」や「生きがい」なんて、日本の医療者があまり好まない言葉をあえて軸にして、地域の環境やつながるきっかけの整えにお金をかける方が意味がありそうです。