穴から見えたのは、新しい役割と現場だった
Twitterにハンマーを振り回して壁を壊している動画が流れて来た。
下河原忠道さんだ。
新しいことが始まる。
ワクワクした。
新しいことは、破壊から始まるんだから。
なんで壊してるかはよくわからなかったけど、ワクワクした。
当たり前の人の生活の大事なことを、病院や介護施設では、効率や医学・介護理論のようなもので剥ぎ取って、奪っている。そして専門職はそこには気づかないように過ごしている。
病院で暮らしたい、なんて誰も思わない。医療者だって思わない。“2連直(2泊3日の当直)だよ、最悪ー!”って2泊病院で過ごすのも嫌がる人たちが、「患者」は平気で1ヶ月入院させる。「来週の検査で良くなったら帰ってもいいですよ」って「ちょっと」みたいな言い方で1週間とか平気で延長させる。2連直も7連直も一緒なの?
「患者」というレッテルを貼ることで「生活者」では無くして、そう思い込むことで、長いこと住まわせる罪悪感を消してるのか。
「あなたは、将来、本気でここに住みたいと思ってますか?」と大会社の天下りで介護施設の施設長になったおじさんにつっかかったこともある。若い頃ね。
当たり前の人の生活の大事なことを奪われている姿を
「それ、変だよね」「そんなん、俺やったら嫌やわ」って言ってくれる人がいないと、
せっかく、街の中で「高齢者住宅」やら「在宅医療」やらやってる意味がない。
介護や医療が、生活の現場に出てくる時代、それが在宅医療、在宅介護の時代なら
家を、病院や老人ホームにするのではなく、
医療や介護を、家に、生活に沿わせないといけない。
ポジティヴヘルス提唱者のDr.ヒューバーが「社会の医療化をするのでなく、医療の社会化が必要だ」と言っている。
今は、まだ、逆が行われてる。
医療や介護が地域に出て来て、人を不幸にしてないか。生活を奪ってないか。いつだって一人反省会している。
「それ、変だよね」「そんなん、俺やったら嫌やわ」って
言ってくれる人が要る。
いる。
下河原忠道さん
で、言うだけじゃなくて、俺やったらこんなのがいいわ。と創ってみたり (銀木犀ね)
こんな風に勉強したら、医療とか介護の人も「生活」のことがわかるんじゃない?
って勉強会(VRとかね)を発信してくれたりする。
これを、専門職じゃないくせに!なんて否定する人は、白い建物の中で過ごしてればいい。
生活の場で医療や介護をやろう。と決めた人は、ちゃんと学ぼう。専門職でない人から学ぶ姿勢が絶対的に必要だ。
医学だけでは、死亡診断はできるけど。死にゆく人を支えることはできない。
死にゆく人は、死ぬまで、生活を重ねているんだから。
そして、医学は「死」が行き止まりのように感じているかもしれないけど
「生活」には先がある。死んでも繋がっていく感覚を生活者は持っている。
そんなダイナミックな生活を
医療チームが支えるためには
現場。
現場にいることが大事です。
だから、
居ても立っても居られなくなって
下河原さんが開けた穴を
その穴を見ないと、僕は医療者として大事なものが見えなくなるような。
いや、下河原さんが開けた穴を見たら、医療者なのに生活の意味がわかるのではないか。
それを信じて、石垣島に1泊2日、滞在時間30時間の弾丸。
穴を見た。
やっぱり、その穴には想いが込められていた。
地域を、みんなをハッピーにしたい。
僕は、医者として。医者しかできない立場で。医者しかできないツールを活かして。
頑張らねば。頑張らねば。
グオぉぉと燃える感じ、久しぶりだぞ。周りのみんな、大変だけど、燃えていくからね、よろしく笑。
急な訪問を笑顔で迎えてくれる下河原さんに感謝感謝です。
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