特養、との16年
【特養、との16年】
2003年、福井医科大学救急で働いている時、特養から心肺停止状態で運ばれて来る方が何人か続いたことがありました。
それまでの病歴や最近の状況を伺っていると、心臓マッサージ、挿管、点滴、バルーン、集中治療、それらが本当に必要なのかと悩まされました。本人も家族も施設も救急隊も医者も看護師も、誰にも前向きになっていないような、なんとも絶望的な気持ちでした。
そしてそこから数日間の集中治療に費やされる時間や物や場所についても、考え出すと前向きにはなれません。
寺沢秀一先生とも大きな課題だなぁ、救急チームや病院が変わるだけじゃ難しいしなぁ。とお話ししたのを覚えています。
それから数年。地域側に出て、この課題にチャレンジしようと思いました。
特養の嘱託医、の制度は、様々な課題があると感じます。
しっかりした医療サポートを継続して行うにはとても困難が伴います。
オレンジでは2013年より、2つの特養の嘱託医を引き受けました。コンセプトは「教育的嘱託医」
対応全てを外部医療チーム(オレンジ)がやることは、いろんな面で困難。しかし、人生のクライマックスの生活を特養という住まいで送っている高齢者の方々が安心して最期まで過ごせるために医療チームの関わりは不可欠。在宅医療では、関わる人(家族や介護スタッフ)が経過を理解し、知識を得て安心することで、医療チームの関わりを最小限にできることがよくあります。
「教育的嘱託医」
施設の回診をして処方や指示をして去っていく。というスタイルではなく、スタッフとたくさん話をする。介護スタッフ向けに勉強会を開く。
看取り期の関わりは生活とケアの集大成であり、医療チームに丸投げするのではなく、介護スタッフが中心に関わった方が、関われる側にとっても良いこと。を繰り返し、勉強会や現場で伝えていく。
嘱託医を引き受けてすぐに、まだまだコミュニケーションが不十分なために病院に搬送された高齢者がいました。
僕のことを学生の頃から知っていて応援してくれている救急の大先輩から電話がかかり「紅谷が嘱託医なのに、こんな状態で救急外来に送って来るのか?がっかりした」と叱られました。
謝罪と、これから。これからもっと頑張りますと伝え「応援するよ」と励まされました。
あれから6年。
関わる特養は、施設看取り率が90%以上になり。搬送件数も減りました。何
より、介護スタッフ・看護スタッフが自分たちで考え、動くようになりました。看取りは、生活の延長であり、生活を支えるチームの役割であることが、文化として根付いてきました。
寺沢先生と救急外来でため息をつきながら決意した日からだと16年。制度も少しずつは変わっているようですが、もう少し、生活を支えるチームや医療の考え方や関係性が変わると良いなぁ。
昨年、サンデー毎日に、私たちが関わる2つの施設も紹介されました。まだまだ課題はあります。でも、現場で積み重ねたこと、話し合ったこと、実践したことの経験の集合が、僕らの持っているものです。うまく、次のステップにつながればいいな、と思います。