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読まれないブログについて

読まれないブログに価値はないのか?

ブログが読まれないと気分的に落ち込む時もある。収益化なんてしてないけれど、せめて2~3人くらいには読んで貰えたら励みになる。沢山の反響とか、いいねとか頂けたらもちろん嬉しいけれど、平和的にしみじみやっていきたいから炎上しない程度でいいですよ、なんてちょっと謙虚になってみる。

読まれないブログに価値はないのかと言われれば、「そんなことないですよ、価値は充分ありますって」と言ってあげたい。有益な情報でもなく、問題を解決するノウハウでもなく、感情の共有だったり、役に立たないもの、くだらないもの、ありきたりなもの、などなど。自分はそこに価値はないと思っていても、他者はそうは思わないかもしれないし、時代や国が違えば価値なんて変わってくるのかもしれない。

役に立たない、くだらないって何だろう?

例えば、ダ●ョウ倶楽部の熱湯風呂、アツアツのおでんを食べる、の芸。Youtubeで映像を見てみると、本当にくだらないと思う。だけど面白いとは思う。でも何度も見ていると飽きてしまう。けれど、なぜかまた思い出して見てしまう。

生産性のない行為とか、暇つぶしみたいなもの、でも何となく好きでやってしまうこと、役に立たないしくだらないんだけれど、もう少し俯瞰で見てみると、そんなことにでも価値はあるんじゃないかと思う時がある。

遊びについて

子供や動物が楽しそうに遊びに熱中している。赤ちゃんは何でも物を口に入れてしまう。遊びながら学んでいるようにも見えるし、犬もぬいぐるみや骨を噛み噛みしたりする。本能に直結した、やらずにはいられない遊びがあるんだと思う。

他には車のアクセルやクラッチなんかにある遊び調節、電車のレールとレールの隙間としての遊び、神社や寺の入り口から本殿へと続く道のりや距離感を意識して作られた参道、主役を引き立てる余白の美、より自然な風景を作るための日本庭園の景石(捨て石)、などなど。

遊びって、人と人、ものともの、現実と夢、本能と理性、それらの間を取り持って折り合いをつけたり、調節するための重要な役割なんじゃないかと思う。

価値を見出す

そのくらだないもの、そのものだけを見てみるとやっぱり何も役には立たないし、やっぱりくだらない。しかしその周辺にあるものとの関連性を見ていくとやっぱり必要で重要なものだったんだときっと気づけると思う。

役に立つもの、有益なものだけではどうしても疲れてしまう時もあるだろうし、それらを補う潤滑油というか、引き立て役というか、より自然な状態であるための役割なんだと思う。

というわけで長々と書いてしまいましたが、「読まれないブログだって価値は充分あるんだぞ」って自分を励ますためにも言ってみました。





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