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ガラケーから出てきた思い出の写真
私の母は以前「もうガラケーは古いし、スマホに変えたいな。」と言っていたが、「料金も高くなるし、色々使いこなせるか心配。」ともやもや悩んでいるみたいだった。
母は今長野に住んでいて、娘の私は埼玉に住んでいる。
ある日突然母から電話がかかってきて「さっきスマホに変えたばっかりで、初めてスマホから電話してるんだよ!」と楽しそうな声で報告の連絡をもらった。
実家に帰省した時にも、どこのボタンを押せばどうなるのかとか、困った時はどうすればいいかとか色々と質問攻めにあった。
またガラケーからスマホに機種変更した時に、店員さんに写真データをmicroSDカードに移動してもらったものがあったらしく、そのデータを見られるようにしてよ、とお願いされた。
早速microSDカードをカードリーダーからUSBに繋ぎ、パソコンでデータを開いてみた。が、結局保存されている写真はたったの3枚だけだった。ガラケー本体を実家に置いたままにしてしまったので、本体を調べれば救出できるとは思うけれど、もっと沢山あるはずなのに、ちょっと物足りない感じがして拍子抜けしてしまった。
『家族団らんの笑顔がいっぱいのひと時』『四季織々の美しい花々』『雄大な中央アルプスの峰々』といった素晴らしい写真たちを思い浮かべ、そういった大切な瞬間を記録した写真を救出できるんだと意気込み、「大丈夫!私に任せて!!」と力強く引き受けてしまったものの、出てきた写真の内容もさらに私の期待を裏切ってきたというか、ある意味上回るものだった。
結局私たち家族の写真は1枚もなく、本当だったら(きっと)もっと他に色々あっただろうと怒りたくなるような、なぜ沢山ある写真のうちのベストセレクションがこの3枚だったのか、とても疑問に感じた。
確かにどんな写真にでもかけがえのない一瞬が写っていて、後で見返してみると感慨深いものがあると思う。しかしこれらの映えてない(ように見える)写真たちの力の抜け具合って一体何なんだろうと思ってしまった。
ガラケーの解像度の低さ、サイズ感、そして撮影者の技量のなさ(お母さんごめんね)なのか、とにかくそれらが相まってより力の抜けたゆるくて味のある、生活感溢れる、映えない写真が出来上がってしまっていて、今このデジタルハイクオリティとてもキレイでシャープネスな時代において、逆に新鮮に映えているように感じてしまった。『何だこりゃ〜?!(笑)』と。
以前twitterで『#猫の写真へたくそ選手権』があったけれど、その撮影の下手さとか、失敗をも楽しみ愛でることと何か少し共通するものがあるんじゃないかと思った。
今はもういない大事なあの時の写真、家族とのあたたかいひととき、子供やペットの成長を記録した写真などなど、もちろんそれらはとても大事でかけがえのないものだけれど、くだらなくて、へたくそで失敗して映えてない写真も、時間が経てば経つほど大切さの重みが増してくる。今はパッとしなかったり(嫌な思い出とかも)、時が経てば良い思い出として残るかもしれない。
毎日沢山の写真が撮られ、保存され、いつの間にか忘れて消してしまったり、紛失したり、今回のように取り出すのに苦労したりする。
壊れてデータを取り出せなくなる前に、自粛生活中にちゃんと整理しておこうとつくづく思った。
追伸:ちなみに3枚の写真画像はお恥ずかしくて全て掲載できないのですが、姉夫婦の車の写真(見切れていて全体がよく見えない)、姉夫婦のマイホームの建築途中の写真(逆光でモヤがかかってよく見えない)、このブログのトップ画像の黒いトイプードルの写真(黒つぶれで顔がわからない)の3枚でした。
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