「帰国子女らしくない」帰国子女の苦悩
「帰国子女といえばどんな人?」
と言われたらどんな人を思い浮かべますか。
英語できる!明るい!陽気!元気!楽しそう!キラキラしてる!
あるいは
自由人。強引。うるさい。自己主張激しい。
などなどプラスもマイナスも色んなイメージが出てくると思います。
実際このような言葉を、私も浴びてきました。
でもこれらは「ステレオタイプ」です。
多くの人に共通しているように感じることは、全体にも共通しているのでは
ないか、と何となく錯覚してしまいますよね。
ですが、「多い」≠「全員」だということを私1人の苦悩を通して知って
いただけたらと思います。
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私は英語ができると言われるのが嫌いだった。
確かに私は小学生のころ、海外に住んでいた。
住んでいた地域は英語圏で、現地校にも通っていた。
でも単に海外生活の思い出は単に楽しいものだけではない。
英語に嫌というほど触れて、泣きながら英語でしか書かれていない宿題をやり、
やっとこさ基礎的な英語の壁を乗り越えた先にさらなる長文の英語が待っていた。
長文の内容も、人種差別。植民地主義。独立戦争。・・・。
本当に難しい。授業の内容にもついていくのがやっとだった。
その中でも必死に食らいついて、同時並行で日本語の勉強もした。
そう。
海外に身を置かれたからと、自然に英語力が身につくほど簡単なものではない。
帰国子女は努力して帰国子女になっている。
それが私たちが「帰国子女」と自らを呼んでいるアイデンティティである。
海外に住んでいたいこと、英語ができること、海外のノリがあること、
異文化理解があることなどを主張したいのではない。
私たちは苦しい環境の中でも食らいついてきた自分たちを認めたいのだと思う。
こんな風に英語や異文化に食らいついて生き延びてきたわけだが、
日本に帰ってきてからは、何度も胸を締め付けられる思いになった。
「帰国子女なのにこの英単語知らないの?」
この一文が一番嫌いだった。
内心、「『日本人なのに日本語の単語知らないの?』と同じで特大ブーメランじゃん、、」
と思いつつ、悔しくて泣いた日もあった。
確かに小中学生の煽りでしかないのかもしれない。
だが、これが何度も続いて、トラウマになってしまった。
人の前で英語を使うのが怖い。
英語が強みだなんて言えない。
帰国子女って言うのが怖い。
更には、私が優秀な帰国子女のいる高校に通ったこともあり、
自分より遥かに英語ができる友達に多く出会った。
そして私の中でこんな感情が芽生えた。
私は英語が得意ではない。
帰国子女にならなきゃよかった。
帰国子女のアイデンティティ、プライド全て捨て去りたい。
大学のセンター試験でも、英語で満点を取れないことが一番私を苦しめた。
「満点なんて目指しているところがそもそも高いじゃん。」
「英語できるんでしょどうせ。嫌味じゃん。」
こんな風に思う人は多いだろう。
実際に同じことを何人にも言われた。誰にもわかってもらえなかった。
こうして私は、私の中の「帰国子女」を封印した。
大学では聞かれることがない限り、明かしていない。
特に支障はない。
逆に私は海外経験、異文化体験を、現在学んでいる社会学に活かしている。
社会学で私の経験が活きるとき、いつも何となく嬉しくなる。
帰国子女の私が認められた気がして。
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私は「帰国子女」=「英語できる」は間違いだと思います。
帰国子女は海外に滞在し、そこでその人なりの努力をしてきた人なのです。
確かに、違う文化の中で育ったり、日本の文化をよくわかっていなかったりする場合も
あるかもしれません。
ですが、「英語ができて当たり前」だなんて言わないであげてください。
私のように苦しんでいる人もいるかもしれません。
帰国子女に限らず、誰しも何かを抱えて生きています。
人知れず努力をしてきた人を否定するような人が1人でも減りますように。
ぽん🍊
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