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広島ってどんなところ?

古くから中国地方の中心的な役割を担い、重工業やかきの養殖、柑橘(かんきつ)類の栽培を中心に発展した広島県。原爆の投下という凄惨(せいさん)な歴史を乗り越え、自然や文化とともに最先端の技術産業を次世代へつなぐ広島県の魅力をお伝えします。


原爆ドーム

チェコの建築家の設計で、大正4年に広島県物産陳列館として完成した建物です。原爆投下により損壊し、頂上の鉄骨の形状から戦後に原爆ドームと呼ばれました。被爆した当時の状況を残しつつ、複数回の保存工事を経て現在に至ります。戦争の悲惨さと平和の大切さを伝えるシンボルとして、平成8年に世界遺産に登録されました。

嚴島神社

日本三景のひとつ「安芸の宮島」として知られ、ユネスコの世界文化遺産に登録されています。推古天皇元年、宮島を治めていた佐伯鞍職(さえきのくらもと)が創建したとされます。宮島全体が神の島と崇められたため、陸地ではなく潮が満ち引きする場所に建立しました。現在の社殿は平清盛が建てたもので、国宝や重要文化財の建造物が数多く残ります。


広島東洋カープ

広島県を保護地域とする日本のプロ野球球団。 セントラル・リーグ所属。 本拠地はMazda Zoom-Zoom スタジアム広島。 自動車会社のマツダ(旧・東洋工業)をメインスポンサーとし、マツダ創設者の松田家が経営権を持つ。


筆の生産

安芸郡熊野町で生産される書筆や画筆、化粧筆などは、ブランド筆として知られます。江戸時代の熊野の農民が閑散期に筆や墨を仕入れて販売、後に筆職人と結婚した熊野の女性を中心として、これらの生産がはじまりました。呉市川尻(かわじり)町でも江戸時代から筆が作られ、どちらも国の伝統的工芸品に指定されています。


福山琴(ふくやまこと)

最高級の桐(きり)を用いて琴職人が仕上げる琴で、華麗な装飾と優れた音色が特徴です。国の伝統的工芸品に指定されている唯一の楽器で、国内シェアのおよそ7割を占めます。歌謡が盛んだった福山藩では江戸時代の初期から琴を生産しており、京都で箏(そう)曲を習得した葛原勾当(くずはらこうとう)が広めたとされています。


広島城

天正17年に毛利輝元が築いた城で、尾張の武将で後に安芸・備後の大名となった福島正則、和歌山藩主だった浅野長晟のほか、浅野氏の12代が入城して栄えました。現在は本丸と二の丸、石垣と内堀のみが残り、国宝に指定されている天守閣は昭和33年に復元された後、歴史博物館として開放されています。



広島風お好み焼き

戦後の広島では、アメリカから配給された少量の小麦粉を水で溶き、野菜を加えて焼いた「一銭洋食」が普及しました。昭和30年代には住宅の一部を店舗にしてお好み焼きを売る店が増え、豚肉や麺(めん)を加えたスタイルが定着。昭和50年に広島東洋カープが優勝した際、広島風お好み焼きがテレビで放映され全国に広まりました。


広島かき

広島県のかきの生産量は全国1位を誇り、その量も全体の半分以上を占めます。広島かきは1~2月に旬を迎え、殻は小さいものの身は大粒で肉厚、うまみが多いことで知られます。広島湾は波が穏やかで程よい塩分を含み、プランクトンの量や水温の変化も適しているため、室町時代から400年以上もかきの養殖が続いています。


尾道ラーメン

尾道市や福山市などに普及するラーメンで、鶏ガラと瀬戸内の小魚を出汁にした醤油味のスープと背脂のミンチが特徴。元祖の人気店では、鶏ガラと豚骨を出汁に使います。昭和初期に中国人が支那(しな)そば(中華そば)を売ったことがきっかけで、戦後に元祖の店がオープン。昭和30~40年代に現在のスタイルになったとされています。


とうかさん大祭

広島県の三大祭りの1つで、広島市の圓隆寺(えんりゅうじ)の鎮守である「稲荷(とうか)大明神」の御神体を、6月第1金曜日から3日間だけ開帳します。「ゆかたの着始め祭り」とも呼ばれ、期間中は浴衣を着た女性が多く訪れます。祭りの名称は、稲荷を音読みで「とうか」と読んだことに由来し、寺が建立された翌年の元和6年にはじまったとされます。


呉市の観光スポット

呉市は戦前から工業都市として栄え、戦時中に置かれた海軍工廠(こうしょう)が戦艦「大和」を建造しました。呉の歴史や大和の模型などを展示する「大和ミュージアム」、実物の潜水艦を陸上で展示する「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」、海上自衛隊の潜水艦と護衛艦を見学できる公園「アレイからすこじま」などがあります。


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