藤原ちからの欧州滞在記2024 Day 28
金曜日。広場にいた小さな子が、手に持っていた剣だか銃だかのオモチャでわたしたちを狙い撃ち。しばらくごっこ遊び。公民館を覗いたら、なぜか日本語で「傘ぽん」と書かれた傘ぽんを発見。サン・フランシスコ地区に消防車が並んでいる。何が起きたんだろう? 住人たちがそれぞれの窓から顔を覗かせていて、いろんな人種の人たちがここには住んでいることが可視化されている。警官がわたしに近づいてきて、スペイン語は話せるか、まあいい、いいかこの通りを行く時は気を付けるんだ、電話や財布を取られないようにな、と警告する。警告を無視したわけではないけれど、わたしたちはその坂道をくだっていく。
坂道をほぼ降りきったところに本屋があり、Xavierさんという人としばらくお話。グッゲンハイム美術館がバスクの文化に対してこれまで冷淡であった、という彼の見解は興味深い。ビルバオにおけるバスク語の重要性を思い知る。正直なところ、スペイン語すらほとんどわからないわたしたちにとって、バスク語はまだはるか遠い言語だと感じてしまうけど、実里さんはめげずにバスク語での挨拶にトライしている。
今日も旧市街をリサーチ。フェミニズムカフェで少し作業。そして萌さんに、リサーチ用の動画の撮り方や、周囲を警戒する方法などをワークショップ的なやり方で伝えていく。彼女は、わたしたちが治安を恐れて旧市街に篭っていると勘違いしていたフシもあるけれど(そんなわけないやん)、もちろんわたしたちはビルバオのどこでも歩けるし、逆にどのへんがどんな時に危なそうかという危機察知感覚もそれなりにはある(じゃないと、世界最凶都市と呼ばれるヨハネスブルクとか歩けなかっただろう……)。5月の滞在中に萌さんにもある程度その感覚をつかんでほしいし、半年間コミュニケーションをとってきたとはいえ、まだまだ共有しきれていないorangcosongの前提についても相互理解を深めたい。
ジェラート屋、観光案内所、文具店、安売りショップ、八百屋などを回ってから、宿の前の広場へ。ラミーというトランプゲームをしている人たちと実里さんはすでに顔見知りのようで、その輪に混じって見学。彼らはアルジェリア人のグループらしい。実里さんはDuolingにアラビア語をインストール……。
さすがにちょっと疲れの見える萌さんを宿に送り届けた後、実里さんと近くのバルに繰り出す。いつも黒人系の人が多いあの店に行ってみたい、と実里さん。そこは広場に面したバルの中ではちょっと異色な雰囲気の店で、暗い店内を外から覗いていると、テラス席でビールを飲んでいる男性が英語で、俺の店に寄っていくといいよ、中に入りなよ、と言う。「俺の店」って言う常連さんがいるなんて良いお店だな、と思いきや、彼はおもむろにカウンターの中に立つ。あ、ほんとに俺の店だったのか……。彼はガンビアの出身らしい。最初わたしはザンビアと聞き間違えてしまって、おい、ザンビアはめっちゃ遠いんだ、そうじゃない、ガンビアだ、小さな国だけどな、と訂正される。申し訳ない……。彼は兵士としてロシアに行ってたこともあるらしく、その時の写真を見せてくれる。英語圏のあなたがなぜビルバオに?と訊くと、ここはバルセロナやマドリードと違って暮らしやすいんだ、もう住んで9年になるよ……と言う。もうひとりカウンターに立っている女性は小さな赤ん坊を抱いていて、その母子が家族ですか?と思いきや、いやそうじゃない、あのベイビーのパパはあいつだよ、俺の娘はほらそこにいるでっかいやつだ。なんというかこの店自体がゆるやかな大家族のようなものなのかも。さっと帰るつもりだったのに、居心地良くておかわりしてしまう。
さらにもう一軒バルをハシゴした後、宿に戻ると、少し休んだ萌さんは予想以上に元気を回復していて、結局朝の4時頃までおしゃべりは続く。