藤原ちからの欧州滞在記2024 Day 22
土曜日。ちょっと寝不足だけど体調は悪くない。朝、去年も何度かランデブーしたチャイナタウンのお菓子屋さんで、荒川いづみさんにインタビュー。いづみさんは30年くらいミラノに住んでいて、こちらの舞台芸術の制作会社で働いてきた経歴がある(御本人いわく、ヨーロッパ各都市に滞在する期間も長かったから、ミラノに住んでいると言える期間はもっと短いそうだけど)。去年の『演劇クエスト ミラノ、霧のエージェント』ではイタリア語への翻訳を担っていただいたのみならず、リサーチや生活面でも大いに支えていただいた。ルートの選定にも、いづみさんやジョルジョさんとの会話が大きく影響している。ミラノという大都市に生きている(眠っている)何かを感じることができるまでにかなり苦戦したので、いづみさんがいなかったらもっと厳しい滞在になっていただろうし、作品の質も大きく変わってしまっただろう。
伝統的なシチリア料理の店でジョルジョさんも合流。ここにこんな静謐な店があるとは……そして前菜からしてめちゃめちゃ美味しい。ジョルジョさんは、あのARCIのトラットリアでシモーヌ・ヴェイユの作家紹介イベントをした後、さらにドイツ語圏の詩人・小説家であるインゲボルク・バッハマンと、ウルスラとかいうファンタジー作家も取り上げたらしい。ウルスラって誰だろう? 「闇の左手」という本を書いていて、ル・グウィンという人と結婚してその姓になったらしい。あ、そうか、アーシュラ・K・ル=グウィンのことか、とそれでようやく気づく。わたしも『ゲド戦記』の原作シリーズは若い頃に愛読していて、ずいぶん前だからもうだいぶ内容を忘れてしまったけど、何かしらの影響を受けていたりもするかもしれない。そんなこんなで楽しい話をして、結局ご馳走になってしまう……。去年もずいぶんご馳走になってしまったから払いたかったんだけど、お店の人まで味方につけられてしまう(君たちは払わなくていいんだよ!的な)。
センピオーネ公園を抜けて、トリエンナーレ・ミラノの建物Palazzo dell'Arteへ。その中庭で、建築家でキュレーターのニーナさんとのトーク。わたしたちとしては彼女の活動もシェアしてもらいたかったんだけど、ニーナさんはあくまでトリエンナーレのキュレーターという立場での参加とのことで、聞き手に徹してくださった。言語はイタリア語と日本語で、いづみさんが通訳を引き受けてくださった。聴衆の中ですでに『演劇クエスト ミラノ、霧のエージェント』をプレイしてくれた人たちに感想を訊いたら、そのひとり、ドミニコさんはもうすぐ終わることになりそうだけど(今回は猫時計を数字で埋めていくシステム)終わらせたくない……と言ってくれた。彼は冒険の途中で撮った写真をプリントアウトしたものをわたしたちにプレゼントしてくれた。彼の冒険の書は使い込まれてボロボロになっており、冒険感がかなり増している。また、ユーリさんという人は、実はミラノにはトラウマがあったけどこの作品が自分とミラノとのあいだに新しい関係性をもたらしてくれた、という嬉しい感想をくれた。彼はそれでorangcosongのことを調べたそうで、なんとこの日記もGoogle翻訳を使って読んでいるとのことだった。トークが終わってから実里さんいづみさんジョルジョさんとユーリさんとで中庭でビールを飲みながら、キプロスの映画祭で『Perfect Days』を観たという話をしていたら、知ってる、日記で読んだよ、と彼は言うのだった。とにかく、『演劇クエスト』のミラノ版が刺さる人には刺さる作品になったのは間違いないようで、作家冥利に尽きるけど、でも『演劇クエスト』はつくった後は冒険者たちに委ねられたものになる感覚が強くて、だからどこかで、へえーそうなんですね!と他人事のように聞いている感覚もある。
18時からGalleria d'Arte Moderna di Milanoにて、6時間演奏されるコンサートに、1時間ほど遅れて駆けつける。Morton Feldmanの「String Quartet II」をQuartetto d'archi di Torinoというグループが演奏する趣向らしい。格調高い、そして天井も高い部屋の中で、聴衆は寝そべったりスマホをいじったりクロスワードパズルみたいなのをやったりしながら自由に過ごしている。ちょっとだけ覗いてすぐ帰るつもりだったのに、何が起こるか最後まで見届けたくなるこの感じ、なんだろう? その昔、STスポットで観た東京デスロックの『モラトリアム』(2012年上演)を思い出す。どうしてもその体験が忘れられなくて、上演の1年後くらいに劇評を書いたのだった。
https://www.wonderlands.jp/archives/23939/
その劇評ではベンヤミンの「遊歩者」の話を書いたけど、今日のニーナさんとの話でも「遊歩(flâneur)」が話題になった。いわゆる日本語の「散歩」とも異なるその概念について話しながら、これまで歩いてきた世界各地のいろんな路上のことを思い出していた。ジョルジョさんに教えてもらったイタリア語の「zonzo」という言葉のイメージも手繰り寄せながら。結局のところ自分は、路上を歩いている身体に興味があるのかもしれない。そしてたぶんそれはコンテンポラリー・ダンスの文脈で語られるような身体とも、文学者の散歩や徘徊によって立ち上げられる孤独に思考する身体とも少し違っている、あるいは、その双方の影響を受けている。わたしとしては複数の言語圏を歩くということが重要で、「flâneur」も「散歩」も「zonzo」も究極的には翻訳不可能な言葉だ。それぞれの言葉が含意するイメージが、さらに個々人の身体に落とし込まれていくプロセスで、まったく異質で独特なものとして生成されていく。そして身体は、歩くうちにやがて疲れるけど、眠りや食料の摂取によってエネルギーを回復して再起動する。その繰り返しによって、身体そのものに記憶が蓄積されていく。
話を「String Quartet II」に戻すと、上演開始から2時間半くらいのところで、弦がぶつっと切れる。それで拍手が起きていったん休憩ということになり、演奏者も観客も休憩所でお茶を飲んだり談笑したり……しかしその中断によって集中力が途切れることはなく、むしろハプニングを共有する共犯者としての謎の一体感が生まれてくる。これはますます帰りたくないやつだ……。実里さんも帰りたくないらしい。でも明日は早朝からワークショップがあり、そのための準備もしないといけないから、泣く泣く帰ることに。
夜のミラノを歩いていく。この道は去年、大道寺梨乃と3人で歩いた道でもある。チャイナタウンで、また昨日と同じ店に入ってみる。持ち帰りのつもりだったけど、実里さんが汁物が飲みたいというので、店内で食べることに。土曜の夜のパオロ・サルピ通りは大混雑で、店のオペレーションもまったく追いついていない。青島ビールを飲みながら、美味しい羊肉麺と餃子がやってくるのを、気長に待っている。