イカロスのタトゥーとイタリアンロマンスの話
そう話すのは、前の週に意気投合して、2回目のデートを迎える1歳年上のイタリア人男性。オランダの夜は5月ながら10度を下回るので、外の席のオレンジのヒーターの真下のテーブルに向かい合って座った。
私の惚れやすくロマンチックな性質もあり、ヒーターのオレンジの光と青グレーの空が雨でモザイクになって、今年の1月にクレラー=ミュラー美術館で見たゴッホの「夜のカフェテラス」(1888年)を現実で体験しているように感じた。
彼の5つのタトゥーとその意味について語る彼。
私もタトゥーへの憧れがないわけではないが、特に自分にとって意味のあるモチーフがない。入れるなら腰の下あたりにすることは決めている。
私のばあちゃんとママは「タトゥー」なんて小洒落た言葉は「入れ墨」には相応しくないと思っている(つまり、入れ墨=ヤクザの世界観の持ち主たち)。タトゥーを入れたとてみせるわけでもないし、別に連絡するわけでも、合うわけでもないけど、タトゥーを入れたい願望がないのに、わざわざ入れて嫌がらせをする必要もない。
その日は、ビール2杯のずつで2時間アートや建築、構造デザインの話などをした。
その翌週、イカロスの墜落のタトゥーデザインのアイデアについて意見が欲しいと彼からデザインが送られてきた。
ヘンドリック・ホルツィウス(Hendrik Goltzius)の「パエトンの墜落」のパエトンの身体だけを切り取って羽をつけたデザインだった。これは「イカロスの墜落」ではない。彫る前に教えてあげないといけないと思った。
(こんな感じ。。。)
彼にこれはイカロスではないということを伝えると、全く動揺する様子もなく、「そうなんだ〜。Pinterestに"Fall of Icarus"で検索してきたら出てきたからこれにした。」と、どうでもよなそうな様子。
私には、このデザインがパエトンであることが、イカロスの神話と自身の親和性に価値を感じている彼のタトゥーの意味に大きな影響を与えるように思えた。一生、このイカロスという名のパエトンを彼は連れて歩くことになるのだ。しかし、これは、タトゥー・バージンである私がmaking a big deal out of nothing(大げさに考えすぎているだけ)なのかもしれない。
パエトンの神話では、パエトンの父ヘリオス(太陽神)が、パエトンのどんな願いも叶えると約束する。そこでパエトンは太陽神の戦車を運転したいと願い出る。ヘリオスは火を噴く馬が引く猛烈に熱い戦車を制御することはゼウスでも難しいと息子に警告したが、パエトンは頑なに要求し、ヘリオスは息子の望みをかなる。パエトンが戦車に乗り込むと、太陽神の重さに慣れていた馬たちは、戦車が空だと思い混乱して、パエトンはコントロールを失う。暴走した馬たちは大地を焦がし、アフリカを砂漠に変えた。大地は燃え尽きる危機に瀕し、助けを求められたゼウスは雷で馬車を打った。過信と専門知識の欠如や自然との調和に関する教訓の話として知られている。
パエトンはイカロスの神話ほど知名度が高くないが、車ファンであれで、2002年にライバルのメルセデスとBMWが支配する高級車市場に対抗するため、フォルクスワーゲンがPhaetonを車名に起用したことを知っているだろう。
上の2つのホルツィウスの版画に着目しても「パエトンの墜落」には燃える大地と宙に舞う馬たちが描写され、「イカロスの墜落」には父親で共に迷宮から脱出を試みたダイダロス、太陽、そして海が描かれている。
とはいえ、たしかにデザインとしては「パエトンの墜落」の方が顔の表情や性器の描写もなく、肩甲骨とその周りの隆々とした筋肉はちょうど羽も生やしやすそうではある。
結局、私があれこれ言うことでもないし、彼がよければそれでいいのは間違いない。ただ、引っかかる。
ある金曜日の朝、オンラインで英語を教えている小学5年生の女の子に、イカロスとパエトンの神話を説明したあとに、この違和感の話をした。彼女は想像力と語彙力、話の説得力には毎度、度肝を抜かれる。
私にとって彼女は”ちっさい先輩”で、日常的に結構な頻度で「ちっさい先輩ならこの状況にどう応えるだろうか…」と思うほどだ。
彼女によると、結局彼がよければ、外野の私たちがあれこれ言うことではない。けど、ギリシャ・ローマ神話はイタリア人にとって、日本昔ばなしみたいなもんでしよ。そりゃ、桃太郎の設定で主人公が一寸法師はおかしいし、違和感しかないでしょ。作者は死んでるから何も言わないけど、私だったら日本人として一寸法師と桃太郎はまちがえたくないし、まちがえてたらタトゥーにはしないとのこと。
ここで文化的アイデンティティとしての神話をさらっと指摘してくる”ちっさい先輩”はさすがだなぁと思いつつ、彼とのデートは5回ほど続いた。
全体的に好印象ながら、彼のことを少しずつ理解し始めている感覚はなく、彼は私の話に対して同意するだけで、自分の意見を述べたり反論したりすることもなかった。関係の初期段階でまだ心を開くことに慎重だとか、過去の経験から自己防衛的な態度を取っているとか、期待値の不一致だとか、考えられる要素は多々ある。ただ考えても仕方がないので、「1ヶ月半ほど経つのに出会う回数を重ねてもあなたという人を学んでいるという感覚がない。別にそれが問題というわけではなく、ただもう少し心を開いて気持ちをシェアしてくれると嬉しい。」と伝えた。
最初彼は、「それは大した問題ではない。」とか言ってたけど、結局、自分は愛とはなにかわからないし、自分が何者なのか分からないからそれを発見するまで誰とも一緒にはなれないとか言ってタトゥーを見る前に一方的にフラれてしまった。この種のフリ文句には慣れつつあるし、26歳男子なので驚きもない。とはいえ、ちょっと悲しい。
ただ、私は少しの皮肉と少しの愛情を込めて彼のイカロスタトゥーがパエトンであって欲しいと思う。イカロスという名の“羽を持つパエトン”は、彼が今経験しているアイデンティティ・クライシスの象徴だと思うからだ。
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P.S. この文を書き終えた翌朝の話。
今朝、現在40代で20代のときにタトゥーを腰のあたりに掘ったご近所さんとタトゥーの話になった。
彼は、「オーバーシンキングとタトゥーは相性が悪いよ。どんだけタトゥーの意味を考えて意味を持たせても、タトゥーアーティストは意味なんて微塵も興味ないし、結局デザインとしてイケてるかダサいかだけの話しかしないよ。そもそもタトゥーは瞬時に勢いで判断して入れるものだからね。」と言ってた。今まで、考えていたことの無意味さも含めてなんかスッキリした。
タトゥーを入れてる人が多いなか、タトゥーを入れてないことが逆に私の性格を象徴していて、ある種のステイトメントなのかも、とも思った。