粗品が急にこっち側に来た|「漫才過剰考察」著:高比良くるま
現M-1王者である令和ロマンのボケ担当:高比良くるまが、漫才、というかM-1に対して過剰に考察している。「過剰」と名がついているのも納得の過剰さで、文章にされていることの3~4割はあんまり理解できなかった感じがする。何回も読み直したら理解できる部分が増えていくのだろうけど、本当に過剰だから別に理解しなくていいかなーとか思ったりしている。
過剰な部分もあるけど、めちゃめちゃためになったというか、「なるほどなー」と思った部分も沢山あって、読んでよかったなと思う。一つはM-1で流行る、ウケるネタの流動性だ。前年までのM-1の傾向だったり、M-1自体の環境の変化だったり、そういう色々な要因があって、結構面白いくらいに流行りの漫才の傾向が変わってきているんだなと思う。
くるまは、霜降り明星の優勝した後に時代が変わったよね、と記している。霜降りが優勝する前までは、和牛だったり、スーパーマラドーナだったり、内容とか演技のテクニックが極められ続けていた時代だった。でも、霜降り明星の「シンプルだけど、でも強い」漫才で優勝したことで、そのテクニックに関する過熱具合が緩和されたんじゃないか、と考察している。それによって、トム・ブラウンだったり、ヨネダ2000だったり、テクニックを重視しない荒唐無稽な漫才が受け入れられるようになってきたのではないかと。
今はどういう流れになっているのかというと、「ネタバレ」との戦いだと言う。これまでの予選に対するブラックボックスさが取り払われて、YouTubeでは3回戦が、準々決勝、準決勝では有料配信がされるようになって、M-1ファンはそのチケットを購入することによって、そのネタを見ることができる環境に変化してきている。且つ、M-1決勝戦の観客の、そんな準決勝などの配信を見た「お笑いファン」の割合が大きくなっている背景もあるとくるまが言う。だから、準決勝で大ウケしたネタが、決勝戦では伸びない。何故ならそのネタがネタバレしているから。(前に劇場で観てめちゃくちゃ面白く感じたカベポスターの「ずっゼリ」ネタが跳ねてなかったのも、そのせいなのかな)
その背景を汲み取って、令和ロマンは準決勝で大ウケしたネタを、M-1決勝戦では披露しなかったらしい。すごい決断。その仮説が正しいとは限らないのに、それを信じる自信と、大ウケしたネタを捨てる勇気がすごい。
お笑いが、「ないないw」のお笑いと「あるあるw」のお笑いの2つに分けられることを初めて知って、でも確かになと思った。「シェフどこー!? シェフどこー!?」ってのが「ないないw」のお笑い。「コーンフレークの生産者の顔が浮かばへんねん」ってのが「あるあるw」のお笑い。今M-1は「あるあるw」から「ないないw」にシフトしてきていて、その押しのけられた「あるあるw」のお笑いはYouTubeとかSNSに流れてきている+「あるあるw」が食傷気味の芸人さんはだからYouTubeのお笑いが嫌いという2つの考察も、はぇーそうかもって思った。
特に印象的だったのが、最後に記されてある粗品とくるまのロングインタビューだ。くるまは全編を通して、M-1が盛り上がればそれでよかった、別に優勝しなくてもよかったと記している。怖い。地道努力系キャラの心をへし折るヒールみたいだ。そのことを正面から伝えたら、あのカリスマ的存在の粗品が引いていた。ドン引きしていた。僕もドン引きしていたんだけど、「あ、粗品もこっち側なんだ」という感慨があって、何故か少し親近感が沸いてしまった。ヤバい奴にもっとヤバい奴をぶつけたらなんか味方になってた、みたいなのってよくあるのかな。