毎日、メガネ屋 2021.07.13~東京オリンピック2020とスポーツサングラス~
東京オリンピック2020とスポーツサングラス
東京オリンピックの開催が間近となりましたが、純粋にオリンピックが待ち遠しいといったムードで無くなっているのが残念でなりません。
2008年の北京オリンピックで、メガネナカジマはマウンテンバイク選手のサポートしており私も現地入りしました。「世界最大の草大会」と言っていた方がいたのですが、それは言い得ていて路上でサングラスのメンテナンスをしたり、声を掛けられた見ず知らずの海外選手のサングラスもメンテをしたりしました。挙げればキリがないほどの不思議な体験のオンパレードでした。
物凄い勢いで発展し、今後が約束されていた中国の首都 北京での開催は華々しく、日本でやるならば必ず出来る限りの競技を観戦しようと心に誓ったのを覚えています。東京オリンピックの観戦チケットもフルスイングで応募し、5競技ほど当選しました。一縷の望みを託し、払い戻しもしなかったのですが無観客開催となってしまいました。現状を考えれば仕方がありませんが、フルスペックの日本オリンピックを観たかったというのが本音です。
日本のスポーツサングラスは2000年シドニーオリンピックで陽の目を見ます。44年ぶりに南半球で開催されたシドニーオリンピックは9月開催となり、北半球とは季節が逆です。そんな事情からサングラスが注目されるなどと誰もが想像していませんでしたが、マラソン女子で金メダルを獲得された高橋尚子選手が、35km地点で"サングラスを投げ捨てスパート"。
それはそれは象徴的でシーンで、ご本人曰く「高いサングラスなので、知り合いが見えたので拾ってくれるだろうと投げた」と。それが日本におけるスポーツサングラスの幕開けになったように思います。そして投げられたサングラスはOAKLEY社のMフレームというサングラスでした。その後、OAKLEYはご存知のようにイチロー選手や長嶋茂雄監督が着用され、一気に日本でもスターダムへと駆け上がっていきます。MLBで大活躍されている大谷選手もオークリーのサポート選手です。
メガネナカジマは1996年頃から輸入商社を通じてOAKLEYを少量づつ仕入れていました。そう『ミッション:インポッシブル』(1996年公開)で、ロッククライミングを終えたばかりの主演 :トム・クルーズにミッションが下るのですが、あのシーンに出てきたサングラスがROMEOというOAKLEYのサングラスなのです。1999年には正規でオークリーの取り扱いを始めましたので、日本のメガネ店としては最初期からオークリーを取り扱っています。オークリーがスポーツサングラスのパイオニアであると言っても良いでしょう。
シドニー以降、オリンピックの毎にスポーツサングラスシーンは盛り上がってきましたが、2012年のロンドンオリンピック頃から陰りが見え始めました。どういうわけかオリンピックとスポーツサングラスの注目度の相乗効果が薄れてしまったのです。
いくつかの要因があると思うのですが、プロ・アマを含め短期間にアスリートへ浸透しきった事が大きかったように思います。もうスポーツをするのにスポーツサングラスは当たり前のことになったんですね。
2015年頃までメガネ店でのセールスは好調だったようですが、メガネナカジマは2011年の震災を境にセールスが低迷します。スポーツサングラスを取り扱う店が増えすぎたことが原因していました。しかし私はスポーツサングラスへの熱量は冷めることなく、GOODMAN LENS MANUFACTUREという世界初のスポーツサングラスのカスタムパーツを製作するブランドを2011年に立ち上げます。純正でラインナップされていないレンズや、フィッティングを改善するカスタムパーツ、アフターケアが終了してしまった部品などを作るカスタムレーベルです。
当初は「改造品を作っている」とか「オークリーにチクってやる」などの嫌がらせを多数受けました。しかしメガネナカジマのように多くのスポーツサングラスを販売している本気のショップのオーナー方々が賛同してくれました。やはり店頭でお客様に向き合っていると、困る課題は一緒なのです。良いサービスをお客様へ提供したいと考えているスポーツサングラス店のオーナーさん達は、私のこういった活動を今でも支えてくれています。
2021年秋には念願のスポーツサングラスブランド「XAZTLAN」を立ち上げます。「XAZTLAN」は私のメガネ屋人生の集大成と言っても良いプロジェクトです。ポストOAKLEYに成る事を本気で狙っており、ジャイアントへのチャレンジがすでに始まったという2021年の夏です。
この内容は「boot」で連載しているものを転載しています。
中島正貴 1978.04.10生 神奈川県在住
有限会社スクランブル 代表取締役
1999年、町によくある時計・メガネ・宝石の兼業店であった実家を「メガネナカジマ」へ専門店化する。ネット通販が一般に普及する前から取り組み始め、「二十歳そこそこの若造が業界を荒らすな!」と物凄い嫌がらせを受ける。また日本におけるスポーツサングラスの創成期から、メガネナカジマではスポーツサングラスに特化させており、「カーブの強いサングラスの度付なんて掛けられたものじゃない!」と同業者から強烈なバッシングを受ける。が、常に支えて頂いたのはお客様であり、お客様が「こんなメガネ・サングラスを作りたい!」という要望が何よりの励みであった。
そんなお客様からの要望からスタートしたサービスが「GOODMAN LENS MANUFACTURE」のような世界初のカスタムレンズレーベルを生み出し、セラコートのようなリペア塗装の開始に繋がる。
また2015年には失われた東京のメガネ作りを復興すべく、2011年に廃業した敷島眼鏡(東京・柴又)のメガネ職人を再び集結させ、横浜に自社眼鏡工場「GYRAD」を設立。関東で唯一のメガネ生産工場となり、テレビ・ドラマ・映画の撮影で使われるなど、話題に事欠かない。東京のメガネ作りの歴史は日本のメガネ産地である福井県・鯖江市よりも古く、100年以上前に福井へメガネ作りの技術を教えたのは東京と大阪の職人だった。そんな東京のメガネ作りは工芸品のような手間暇が掛けられており、独特の風合いと艶が特徴である。GROOVERはそんな古来の手法を駆使して作られており、アメリカ・カナダ・フランス・香港・韓国・中国で成功を収めている。残念ながら日本への流通量は、GYRADの年生産分の20%ほどに留まっており、国内であまり注目されていないのが悩みの種である。
2019年より、かねてから構想のあったスポーツサングラスブランド「XAZTLAN」の立ち上げ準備を始める。当初、VCや投資家からの出資を募っていたが、政府・自治体の助成金プロジェクトの採択もあり投資案件は一時見送りし進行中。東京オリンピックのアスリート着用も決まり、2021年10月に一般の方、バイヤーへの展示会を予定している。