永遠に解けない問題、問題。
夜になると唐突に悟りを開いたかのように語り出す。
そして究極の域に来る。「好き」とは問題。
昨日も夜中にTwitterで呟いてたんですけどね。
何かの本で読んだのと、自分の中でそう思ってるのとあるんやけども。
虹を見た時に誰に知らせたいか。
極端な話ですけども。虹に限らず、美味しいご飯屋さんを見つけた時、テレビで面白い何かを知った時、歩いてたら猫が横切ったこと。
気づけばLINEの画像欄やトークは写真やURL、脈略のない気づきLINEばかりで。
言ってしまえば「それがどうした?」な中身です。
虹を見ようが猫が横切ろうが、自分の中で終わらせることもできる。いわばそのまま生かすも殺すも自分次第。
生かして、誰かに話して、……それでどうにもならなくても、殺した結末よりかは何かを生んでいる気がして。
要は共感なんだろうね〜て話です。
「あのね、今日ね、」から始まるその言葉を普段耳にしたり目にしたりすることの有り難さ。
些細なことでも君に伝えたい。たとえそれが今後「他愛無い話」に含まれたとしても。
意外にもその人たちのことを常に考えてるもんなんだなぁと、そういうのを伝えたいって思った時に感じるもんですな。
で、多分そういう気持ちが根底にあるからこそ、他愛無い話を生かして、私はTwitterに垂れ流してるのかなと。
ほんとに誰かに聞いてほしい面白い話は「聞いて?!!」から始めてるし(思い出してじわじわきてる)
なんてない言葉が実は大事だったりするんやね〜
さて。誰に何を話そう。
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