エール ―若き画像研究の旗手へ― 第6回 特別企画 山本和彦・輿水大和『エール的対談』
輿水
お若き友人の画像技術研究者に贈る連載「エール ―若き画像研究の旗手へ―」,第6回目は「対談的エール」という企画で,この学界でご高名な山本和彦先生にご登壇いただきました。
このような次第で,その黎明期から長きに亘って画像センシング技術研究会やIAIP(精密工学会 画像応用技術専門委員会)などの研究会を大事にされてきた山本先生とご一緒に,画像技術界をいとおしみつつ,具体例を通して画像技術界の若い方々に向けたエールをお届けしたいと思います。
現在,画像技術界で若い,気鋭の研究者がジワジワと増えており,これはとても喜ばしいことです。一方で現在産学を席巻する深層学習技術(Deep Learning,以下DL)に若手研究者とともに如何に対峙するか,どう取り組むかなどのディープな課題もあると感じます。
今回,この対談を実現するにあたり山本先生より7つのキーワードをいただきました。
まず1つ目は「研究開発に対する心構え」です。
2つ目は学術会議の成功の見分け方について。SSII(画像センシングシンポジウム)やViEW(ビジョン技術の実利用ワークショップ)などの会議について,つね日ごろ山本先生がおっしゃっていることに踏み込みたいと思います。
3つ目のキーワードは「若者の揺らぎを最大限にいかす秘訣」です。
4つ目として,画像技術界の在り方を眺望するうえで先生が仰られております,「富士山はなぜ美しいか」についてお聞きします。
5つ目は,研究開発における“動的平衡”についてです。これは山本先生がDIA(Dynamic Image processing for real Application:動的画像処理実利用化ワークショップ)というワークショップを立ち上げたことに関係すると考えています(山本先生はガチガチに固まった学会ではなく,もっとダイナミックなものに意味があるとお考えに違いないと,私は想像しています。ここではその“動的平衡”を取り上げます)。
6つ目はDLについて。現在DLという新しい技術がおしよせています。一方で1970年以前から,画像技術がコンピューターに載ってきたその黎明期を見てきた山本先生や私にとっても,それを体験していない若手研究者も,DLをどう受け止めたらいいか,さまざまな考えもあります。
7つ目は「研究テーマの賞味期限」です。
今回は,これら7つの話題を中心にお話し伺えたらと思います。
まずは一番目の話題,山本先生の研究の姿勢,先生がおっしゃる心構えの具体例として,国際会議のIW-FCV(International Workshop on Frontiers of Computer Vision)のエピソードと絡めてお話しをお願いいたします。
山本
私は,文字認識を手始めに,医用画像,屋内から自動車を含む屋外の非整備環境認識まで,半世紀に渡って研究開発してきました。この多様な現場に近い画像処理の研究開発で大事なことは情熱と考えます。当面の打算や名誉ではなくて,俺はこの世界に生きるという覚悟ともいえるでしょう。これを堅持し続けるために自分一人だけでは生きられないことに気づくことが大事です。
自分が何者であるかは周りが決めることで,相対的な関係のなかで自分の存在があると考えています。若い人たちへのエールとして,この世界で長く頑張るとき,周りの仲間は大切です。
IAIPのサマーセミナーでは,長年「俺は画像処理が好きだ!」と,みんな揃って大声で3回唱和することをお願いしていました。最初は小さい声にしかならないですよね。「もっと大きい声を出して!」とお願いすると,2回目は多少声も出る。でも,「もっともっと腹の底から! !」とお願いすると,ようやく「俺は画像処理が好きだ! ! !」と大声で叫んでくれます。すると参加者の反応が二つに分かれます。同意してくれる人と,なんでこんなことを言わせるんだと思う人です。同意してくれた人は腹の底から「俺は画像処理が好きだ! ! !」と言ったとき,自分がこの画像処理の世界でどう生きるか,再認識できるのではないでしょうか。
話を元に戻すと,IW-FCVの設立に先立って,言語の異なる国々の方とつきあうときに一番大事なことは,やはり情熱,誠意,お互いの思いが通じることと,感じておりました。
輿水
IW-FCVでは2022年にHonorable Contribution Award(貢献賞)を創設し,第1回の受賞者は山本先生でした(ご受賞おめでとうございました!)。IW-FCVの設立当時,山本先生のお手伝いをした私は,この受賞は先生がずっと捧げた心構えにふさわしいと感じます。
画像処理の分野も,現在多くの国際会議がありますが,とかく運営が無機的でシステマチックに見えます。一方で先生の関わる国際会議はどれも,人間関係が原動力になっていると感じます。先生がそのような運営を意識なさったきっかけはどのタイミングでしたか。
山本
ICPR(International Conference on Pattern Recognition)などをはじめとする大きな国際会議は,参加して発表して帰ってくるイメージですよね。しかし私は,学会の大事さはそれにとどまらないと強く感じていました。そのきっかけは,メリーランド大学のローゼンフェルト教授のもとで研究させていただいていた時の経験です。学生を含め当時の仲間が,自分のその後の人生を決めた気がするのです。のちに彼らと,何かをしようとするとき,いろいろなことをお願いできる関係性が持てたのです。これはとてもうれしい経験でした。研究はもちろん大事で,そのための学術界ですが,それ以上にお互いの気持ちを交わすことが大事と切に思ったのです。今はzoomなどもありますが,やはりできるだけ直接会って議論することに意味があると思います。
輿水
ここではもう少し,「情熱を傾ける」話題にこだわりたいと思います。IW-FCVは山本先生が創設者と僕は思っていて,これは大規模で人のつながりが希薄になりがちな国際会議に対するカウンター的国際会議,その,学術的行動隊のようなものをイメージされたのではないかと考えています。
日本人的な発想では,誰かが作った舞台,誰かのふんどしで相撲を取ることにだけ情熱を傾ける人が多いと感じます。一方で舞台そのものの運営に情熱を傾ける,そもそもその舞台装置をどうするか,または新しい舞台を作りたいという情熱もあるでしょうに。画像技術界の若い人たちにエールを贈る意味で,日本で活動する僕たちに欠けているもの,または伸ばしたらいい点は何か,お話しいただけますか。
山本
学会発足に先立って,戦後補償の一環として先端技術の転移のためにいまだ復興期の韓国を訪れました。そこで日本で博士号を取得して帰国した多くの研究者がおられることを知りました。一過性の技術指導にとどまらず,せっかく日本との絆を深めた方々がいらっしゃるのだから,彼らが輝ける場を提供したいと思いました。その一環として学会(IW-FCV)を設立させていただきました。かつて日本人が米国に追いつけ追い越せと励んだのと同じように彼らも頑張って,当時を想像できないほど先に進みつつあります。
我々も常に新しいこと,新しい世界を志向し,論文でも考え方でも,クリエーティブな新しい世界を拓く情熱が大切です。われわれリサーチャーである研究者は,言い換えれば探検家かもしれません。未知なるものに挑戦する情熱があり,その世界の中で生きようとする,これが研究者ではないでしょうか。
輿水
ありがとうございます。次は二番目の話題です。山本先生は日頃「学会は参加者の帰る時の顔を見た時に初めて成功したかどうかが分かる」とおっしゃっています。
学術界には中央集権的な面もあるといえますが,そこに地方分散的な活動のスキームを作ると面白くなるんじゃないかと,そう山本先生はお考えかと私は想像しています。
例えば2017年にはDIAを島根で開催しました。地元で古くから盛んな,たたら製鉄の見学会や講演会の開催など,刺激的で活きた学びの場になりました。
学術会議は単に参加者数が増えればいいわけではない。この点で山本先生のお考えに私も啓発いただいていますが,実はみなさんも薄々感じていませんか。この件,あらためてお話しいただけますか。
山本
学会はプロデューサーと実行部隊の双方がマッチングして,はじめて成功すると思います。プロデューサーの仕事は,学会をどのように実現するかを考えるため,学会が始まった瞬間に仕事は終わります。一方で実行部隊は狭い意味では学会が終わった時,ようやく仕事が終わりです。
プロデューサーの立場では,どうしてもいいことばかりを並べたくなりがちです。すばらしい招待講演者に来ていただき,おもしろいことをしてくれる人を大勢集めるなど人を集めることにエネルギーが行きます。私は自分が対応できる範囲で,適正な参加者数があると考えています。それで無理に人数を集めないようにと言っていました。学会の良しあしは必ずしも参加者の数ではないからです。
輿水
山本先生の具体的なお話で,イメージが膨らみました。
今のお話の中で興味深いのは,学会のプロデューサーと実行部隊のお話ですが,多くの場合プロデューサーというのは学会運営組織内であまり意識されていない気がしていますが,いかがですか。
山本
私は,本当はできればその両者,実行部隊とプロデューサーは乖離しないほうがいいと私たちの身近なところで思います。
輿水
とはいえ,SSIIもViEWもどこかでそのような乖離が始まっているように見えます。もしかしたら,以前からあったのかもしれませんが。
山本
学会も財政状態を考慮してできるだけ多くの参加者を集めようと考えます。この時来るときの顔を想像しがちです。大事なのは多くの参加者に満足していただけるおもてなしが確保できるかです。多くのご来場者のためにとか,会費収入アップなどといろいろ言うものの,結局は参加者が学会から帰るときの顔を見て運営する,ということを学会でどう実現したらいいのかということだからです。
その学会の特徴や,集まる人が何を期待しているかなどもありますが, 参加者の思いや思考,趣味,目的などと学会のやろうとしていることが響き合い,次回も周りに声をかけて参加しようとする。このようにして,学会のすそ野が広げられる,自分たちの思いが伝わっているかの指標になるのでないでしょうか。
輿水
ありがとうございます。
良きタイミングなのでそろそろ次の話題「若者と連れ立ってどこへ」に移ります。IAIPのサマーセミナーやSSIIなどの学会行事はすべて,若者が魅力を感じられなくなった瞬間に未来がないと言えます。この(2023年)6月,僕がSSIIの懇親会(リストランテ・アッティモ)で乾杯ご挨拶した時に,中島真人先生が「(参加者は)輿水先生のことを知らない人ばかり」とおっしゃったのです。その時僕が思ったのは,わたしもふくめてこの学会の諸老輩のことを知らずにSSIIに魅力を感じて集まった若い人が8~9割なら,彼ら自身が創作する未来が膨らむ可能性がたかまった証左なのかも知れず,これは悪くないということです。本心は,恥ずかしくももう少しは僕のことを知っていてほしかったんですけどね(笑)。
余談はさておき,そこで山本先生から頂いたキーワードに 「若者と連れ立ってどこへ」(若者のゆらぎを最大限に生かす秘訣)とありました。
2023年のSSIIは現地とオンラインのハイブリッド開催で2000人近くの参加者がありました。若者たちというのは,年齢だけでなく学術的なパラダイムの中で新しい価値感を持たなければと考える先輩たちも若者たちの仲間に含めたらよいと思います。DL技術でその若い研究者たちが画像処理技術に対して情熱を傾ける姿を,私たちは現実に目の当たりにしています。
先生が「若者たち」と言うときに思い出すのは,ご縁の深い岐阜大学やソフトピアジャパンの山本研の多くの若い人たちです。佐藤雄隆先生や林純一郎先生,加藤邦人先生,飛谷先生,相澤先生など多くの方を育てられたことを思い出しました。「若者のゆらぎを最大限に生かす」ことは大変興味深い視点かと思いますので,そこに焦点を当ててお話しをお願いします。
山本
はい,その前に一つお話ししたいと思います。SSIIに輿水先生のことを知らない世代が増えたのは素晴らしいことです。規模が大きく広がったということだからです。木に例えれば,大木になって中心となる木の幹も枝も見えなくなるくらい若者という葉っぱが青々とまわりを取り囲んでいるということです。
もう一つだけ余計なこと言わせてもらいます。
ロートルが若者にエールを贈るなんて,という冷めた見方も当然あるでしょうが,少し考えていただきたいのです。木々に幹や枝葉がなかったら,それは草むらです。
少し話がずれますが,植物は,草むらから進化して枝や幹を使い縦に向かって生き延びようとして大木になりました。木の幹を分解すると,幹はほとんどが材木のような固形物で,表面だけが葉っぱなどに栄養や水を与えるために動いています。大木になる過程で,自らは年輪を重ねた固形物に代わるのです。われわれはそういう役割とも思っています。
輿水
この連載のエールの趣旨は, いつまで経ってもノービス(初心者)である自分がドングリの背比べの若きノービスにエールを贈っているにすぎず,決して大上段から若者に教訓をたれることではないと,理解していただければと思います。
さて,先生にバトンをお返しします。研究を進めるうえで肝心なことは若者と連れ立っていくことという,先生のお考えについて,より具体的なお話しをお願いします。
山本
まず「若者を連れて行くのはどこか」からお話しします。その前提として,若者が委縮することを一切しないことです。若者のゆらぎ,自由度というものを大切にして,できるだけ自由な発想が大事だとまず若者に意識させます。次にどこに行くかですが,実は我々にも本当の行き先は分からない。これは非常に大事なことです。
若者と一緒に行く場所は3つと私は考えます。分かりやすいほうから順に挙げると,まず1番目は,研究分野のど真ん中。2番目が最先端の未知の領域ですが,なにせ未知ですから実は我々にも何が最適かが分からない。
そこで3番目として,既知と未知の境界付近,分かることと分からないことの境目が挙げられます。既知と未知の広大な領域との境界(エッジ),ある意味レアな領域に価値があると言えるでしょう。具体的には,まずざっくりと興味分野の論文を読んだら,一度閉じて自分ならどうするか考える。そこで再度論文を読むと行間に,言及していない問題や解決すべき問題が見えてきます。
輿水
まず大前提として,課題こそ若者と一緒に共有することが大切ということですね。その時の中心は枝葉ではなく,基本問題のようなところから問いと課題を若者と一緒に共有したら,あとは若者の個性のゆらぎ,ゆらぎを言い換えれば多様性,これを100%生かすことですね。問題も何もかも自分で発見し解決する,なんてことは考えずに,若者と一緒に歩くことが本質であるとお聞きしました。
課題を共有したら本人の得意な部分,多様性を生かす心持ちで若者との研究を心がける。これがメッセージとして伝えたいことと私は受け止められるように感じています。
山本
エッジのいいところは,半分は未知という点です。円が大きければ大きいほど半分以上は未知で,誰も知らない世界です。自分たちで何かができるのは,あくまでも既知の部分だけです。未知の部分については私は知らないことですが,若者にはやってみたら面白いかもとまでは言える。そして既知のことなら,経験からこのようにやったらいいよと言える。エッジ部分に若者と一緒に行くと,個性豊かなゆらぎがあり,発想力も様々な若者が生きてきます。そうでないと,がちがちに固い考えに若者を引きずり込み,例えばDLもAIもすでにやることがないとか,何か新しいことないですか,なんて老人のようなことをいうようになってしまいます。
しかし未知な部分では,そんなことはいえない。エッジには誰も知らない未知があるがゆえに,ゆらぎ,多様性,ダイバーシティがあることが最大の価値です。それを受け入れて生き残るのが社会なり学会なり,学術の世界であり最終的に産業界へ行き,一般の人に受け入れられていく。
しかしその出発点は,ゴロゴロとした石ころのような無味乾燥なエッジかもしれません。若者の発想力で方向が定まり,その発想をもとに,その若者が生きていけるように支え,行き詰まったら新たな輝きの兆しが見えるまで,エッジのところにとどまるように励ましつづけます。
輿水
ありがとうございます。先生の強いメッセージに改めて励まされました。次は「なぜ富士山は美しいか」のお話をお願いいたします。
山本
登らぬバカ,2度上るバカといわれる富士山ですが,実際に富士山に行くとほとんど草もなく,石がゴロゴロしたがれきの山です。私も足場が怪しい道を,富士山が美しいなんてよく言うわ,などと難儀しながら登りました。これが富士山の現実です。山ですから,どこから見るかによってすべて稜線の場所が違ってきます。遠くから見た稜線も接近してきたら見え方が変わるのもエッジの理論かもしれません。俯瞰で全体を見ることで浮かびあがる美しさがある。産業界のためになるのは個々の石が稜線を作ったように,個々の技術が現場にまで届き広大な市場を形成する連環が生まれていくことが大事だということです。
輿水
富士山が美しいこととは少し違うかもしれませんが,富士山の裾野の景勝地で,非常にきれいな伏流水が湧いている忍野八海のことを関連して思い出しました。
誰も見たことのない本当の課題に出会うのはエッジであると山本先生は先ほどおっしゃいました。富士山でいえばきれいな伏流水,湧水に出会えるのは広く拡がる富士の現地でしかない。本物の学術・技術テーマが見つかるような現場を設えていてくれる。石ころだらけの富士山のエッジ忍野八海が湧水を恵贈しているかのごとく…。学術界のだれも見たことのないような課題がノービスの僕らにも見つけることができるのですね。
つまり,アカデミアの湧水のような知にエッジという名の現場から乖離したら何も出て来ないという自覚をもちましょうということを,富士山が美しいことから気付いてほしいというお声かけを山本先生が率先してすすめておられた。改めて噛みしめたいと思いました。ありがとうございました。
最後に余すところ三つ,5番目の動的平衡の話と6番目の深層学習の話,7番の研究テーマの賞味期限というキーワードを共有しています。
DLが扱う,何がしたいかという問題設定は,これまで私たちが向かい合ってきた画像技術のテーマと1mmも違わないと思います。当然ビジネスに役立てたいですし,研究推進でも本質的な一石を投じることとなるでしょう。それで何らかの可能性を感じて応接しているのが現状と思います。これら3つのキーワードを織り交ぜて,山本先生のお考えを締め括りにお話ししていただければと思います。
例えばDLについて考える際にも大事なこととして,その科学技術が立脚する前提と仮説は何かを考えてみることです。科学と技術には必ず仮説があろうかと思います。いかがでしょうか。では,深層学習はどんな仮説に基づいているのかが分かれば,自ずと付き合い方が見えてくる気がします。
山本先生からご紹介いただいた本に竹内 薫さんの『99.9%は仮説』があります。山本先生と私の間では,このことについて考えたいとあれこれと話していました。ちなみに先ほどの話に出てきた佐藤さんや加藤先生など,今までも画像技術をけん引して現在中堅,大物になっている方々が機械学習技術に対して新しい問題を提起していることに僕自身は刮目しています(例えば,本連載『エール』記事)。このことについても,深層学習技術を画像技術界でどのように対峙したらいいか,その中に動的平衡や賞味期限の話も織り交ぜつつ,まとめに向けてお話ししていただければと思います。
山本
産業革命の時代,ワットの蒸気機関によるエネルギーの有効利用により産業の様相を一変させました。このような状況に対して2種類の人がいました。一つは,蒸気機関を否定する人たち。もう一つは素直に受け入れてその弊害と問題点をクリアして,自分たちの産業に役立ててきた人たちです。
そのような歴史を考えたとき,DLは産業革命と同じような可能性を秘めていると感じます。AIなどが天上の学者などの世界ではなく一般市民に手が届くところにきた。富士山のようにすそ野が広がって,それを使う技術としてハードウェアも,ツールも,実験も含めそのような状況がみえてきたと思います。
これに規制などの枠を設けず,育てることが大事と思います。ではこの状況で我々は何をすべきか。これは輿水先生が最近発刊された『画像技術の宝物 上巻』(アドコム・メディア(株))でお話しされているように,我々がそれを支える技術の掘り下げをしてもいい。
さらにもう少し掘り下げれば, DLでいえば,それまで蓄積したいろいろな画像処理の知識やノウハウなどをどれだけこの世界のなかに埋め込んでいけるかに実践的に取り組むことが勝負所(?)と私は思います。広い意味で,エンジンとしてワットの蒸気機関が産業革命を牽引したように。
その意味でやはり古いことはできるだけ学んでほしいと思います。それが若い方々含めてこれから新しい,広い意味での情報処理エンジンというような形で裾野を広げる。そのような状況に今我々は置かれていて,右往左往している状況からかつての自分たちのアイデア,感覚を駆使して知識を紹介していく,そしてそれを若者のみなさんにお役に立てるように噛み砕く枠組みが大事だと思っています。
輿水
おおざっぱで,無茶ぶりなお願いに丁寧にお答えいただいてありがとうございます。ここを避けて通ることはしないという考えもあって少し強引にこの話題を死守しました。
連載『エール』シリーズは,今回の「対談エール」をもって一旦区切りとなる予定です。このことも意識しながら今回の対談を締めくくっていきたいと思います。
という訳で,今日の最終,7つ目のテーマである賞味期限の話です。例えば,DL技術は今まで我々が半世紀くらいかかわった画像技術の歴史がその序章であった,と言わんばかりのポテンシャルを湛えた新技術で,深層学習との付き合い方,対峙の仕方という部分に対しては,賞味期限どころか,いつまで食べ続けたら決着がつくのか分からないくらいに賞味期限の長い課題です。この課題はもちろん,画像技術だけが対象ではないジャンルを跨ぐ共通の課題でしょう。
6番の話題にあげた動的平衡は,学術あるいは技術とそれぞれのよいところをもちますが,それを既成概念や予定調和に縛られず,動的平衡というぐらいなのでダイナミックに,動きの中で新しいことが出るかもしれないという期待を抱きながら付き合えばいいのかも知れません。
特に昨今,J.ヒントン先生(トロント大)やアルトマン氏(OpenAI)が「Statement on AI Risk(?)」という声明を出しています。本文が10行ほどの文章ですが,ディフェンシブな警鐘が勝ちすぎな宣言にしか僕には感じられなかった。
新しい道具は使わないという選択はない。DL技術はドラえもんの四次元ポケットのような,時代の道具である。例えば産業界の現場から,ある課題を解決したいとお話をいただいたときの事例として,画像技術なら,この画像をこの技術にこう組み合わせてロジックを組んだというようなものがすでに世の中には多く出回っています。画像をとにかく見せ続け,あなたのやりたいようにラベリングしたら多層ニューロンが「何とかしてくれた例」は多く,その守備範囲と性能にびっくりした人は大勢いて世界がバズっています。
そして,よく考えれば深層学習DLという技術の根幹は何が仮説かということで,先ほどの竹内 薫さんの書籍のお話で,面白い視点を山本先生から教えていただいたと思います。
「データセット」といわれるものを見せ続けているとき,ニューラルネット,多層ニューロンをネットワークとしてさまざまなモデルを選んで使われます。でもこれが一番いい,あの仮説は違う認識の人のニューロンを仮説にして作ったものですが,福島邦彦先生や甘利俊一先生の成果に強く依存してその大きい仮説を私たちは手に入れていると思います。この仮説もほかに仮説がないわけではなく,もっと新しいものもあるかもしれない,という欲張った期待感を持ってもいいと思います。
このような次第で,深層学習の技術に接して産業技術革命に匹敵するぐらいの受け止め方を,期待を持ってもう少し,賞味期限の長い夢を見続けていたいと思います。 山本先生,本日は本当にありがとうございました。
連載 『エール ―若き画像研究の旗手へ―』はいったん今回で一区切りとなりますが,『エール』を贈りたい人物も事案もいよいよ熱を帯びるばかりです。山本先生におかれては引き続きお力を戴きたくお願い申し上げてあらためて御礼を申し上げる次第です。本日は本当にありがとうございました。
輿水大和先生ご執筆の「画像技術の宝物」シリーズは電子書籍で販売中です。(印刷版:オンデマンド版の書籍も販売しております。価格は電子書籍とは異なります)