見出し画像

私の発言 香取 秀俊氏 研究の醍醐味は未踏の荒野を探し当てること

東京大学 工学系研究科 物理工学専攻 教授 香取 秀俊

香取 秀俊(かとり・ひでとし) 1964年東京都生まれ。1988年東京大学工学部物理工学科卒業。1991年東京大学工学部教務職員のち同助手,1994年東京大学大学院・論文博士(工学),独マックス・プランク量子光学研究所 客員研究員。1999年東京大学工学部 総合試験所助教授。2010年東京大学大学院工学系研究科物理工学専攻教授,科学技術振興機構・戦略的創造研究推進事業・ERATO香取創造時空プロジェクト研究総括。2011年理化学研究所 香取量子計測研究室 主任研究員(兼務) ●研究分野:量子エレクトロニクス ●2005年European Time and Frequency Award,2006年日本IBM科学賞,2008年Rabi Award,2010年市村学術賞特別賞,2011年ジーボルト賞,2012年朝日賞,2013年東レ科学技術賞ほか。

量子コンピューターの研究に向かって

聞き手:香取先生が現在,進められている光格子時計の研究・開発に着手するきっかけ,経緯についてお聞かせください。
香取
:もともと私は量子コンピューターには大変興味がありました。学生時代に物理学者のRichard P. Feynman博士による量子コンピューターの提案に関する記事の解説を読んだのがきっかけでした。博士の学位を取得後,1994年に独マックス・プランク量子光学研究所(Max-Planck-Institut für Quantenoptik : MPQ)の客員研究員となったころ,量子コンピューターに関する研究・開発が米国でまさに始まろうとしていました。「量子システムの計測と操作を可能にした実験手法の開発」を理由に2012年ノーベル物理学賞を受賞したDavid J. Wineland博士が単一イオンの制御技術を洗練し,それにインスパイアされたIgnacio Cirac博士,Peter Zoller博士らが捕獲イオンを使った量子コンピューターの実現可能性を議論したのが1995年です。この魅力的な提案は,世界中の研究者を瞬く間に虜にしました。
 イオンを使った実験は歴史が長く,イオントラップはW. Paul博士が1953年に考案しています。その後,1980年台にH. Dehmelt博士がトラップされた単一イオンの状態の観測手法を確立し,単一イオンを使う超高精度な原子時計の可能性を議論しています。Dehmelt博士のポスドクとして研究を始めたWineland博士は,30年を経てDehmeltの夢の時計を実現しました。イオントラップの研究は世代をまたいで脈々と継承されてきました。
 私が留学したMPQのボスは,当時のイオントラップ研究で,Wineland博士と双璧をなしていたH. Walther先生でした。イオントラップ研究の最前線に居合わせたことは,大きな収穫でしたが,帰国して自分の研究室をもつことを考えると,あまりにも確立された分野(フィールド)であるという印象を強く受けました。雑草さえ生えないくらいに整地され尽くされたフィールドになりつつありました。

練習問題を解くのが嫌いな性格

聞き手:香取先生は,先達の研究者がすでに着手している研究フィールドにはあえて踏み込まず,別の研究フィールドを探求して,そこから独自のアプローチで研究することを選択される印象を受けますが,いかがでしょうか。

香取:第一人者といわれる先達の研究者が築いてきた研究フィールドに後発で追随するには,そうした方々に輪をかけた能力と努力がないと,勝負になりません。一方,未踏のフィールドであれば,そもそも勝負する相手がいないので負けることは無いし,何をやっても楽しい。最小限の労力と努力で皆を驚かすことができます(笑)。
 こうした発想は,実は負けず嫌いな性格によるものかもしれません。誰かの作った“練習問題”を人と競争して解くのが嫌なのですね。(笑)。学校の数学教育では,“計算練習”と称して答えがある計算問題を繰り返し解く練習をさせます。私も学生の間はがんばって解いていましたが,研究者になると「人が作った問題をわざわざ自分の時間を使って解く必要はないだろう」と考えるようになりました。周りを見渡しても,自分より,器用に素早く問題を解ける優秀な人は山ほどいるので。
 これをイオントラップ・コンピューターの研究でいえば,Wineland,Cirac,Zollerらによってもう練習問題が与えられてしまった。私がMPQにいた頃は,みんなでその問題を解こうと一生懸命でした。皆がやっているなら,自分までやる必要はなかろうと思いました。やるからには,彼らと直交するやり方がいいなと。イオンでやっているなら,中性原子を使ったアプローチはないかな?と,イオンの系と等価な中性原子の系を作りたいと思うようになったのはこの頃からです。これが光格子時計の原点でした。
 今振り返ると,光格子時計を皆が得体の知れないものだと思っていたころが一番楽しい時期でした。当時は,会議に行くと,その合間に研究者の友人を捕まえては「光格子時計は面白いよ,やったら?」と冗談交じりに誘っていました。ところが,光格子時計を皆が研究するようになってスタンダードなアプローチになってしまうと,私の嫌いな“皆で練習問題を解く状況”に変わってしまいました。最も苦手とする他の研究者と競い合って問題を解く立場になってしまったわけです。こうなると,当初目論んだ “最小限の労力で楽しく研究する戦略”が大失敗になってしまいました(笑)。作戦が成功しすぎたばっかりに,自分の戦略を,自分で無効化してしまうという大いなる矛盾です。とはいえ,まじめに研究する立場では,これは願ってもない,いい状況です。研究をさらに進展させるためには皆で競争して研究を進めるのは必要なことです。自分で設定したゴールに向かって私たちの研究チームが到達する責任もあるとも感じています。
 しかし,その反面,それに伴って以前感じていたときめきや楽しさが失われることは,私にとって大きな悩みでもあるのです。実は,こうした現状を打開するため,そして楽しかった10年前をもう一度味わいたいとの一心で,新たな研究フィールドを懸命に模索している最中にあり,とても苦しんでいるところです(笑)。研究者って,常に何か新しいことを追い掛けていなければ,不満足感にさいなまれてしまうのだと思います。

光格子時計をインフラに有用なアプリを創出

聞き手:現時点では,光格子時計の実用化のビジョンとして資源探査,地震予知などへの応用を想定されています。

香取:現在,取り組んでいるのは“時空のゆがみを見る時計”です。現在の光格子時計は実験室全体を使って実験する大がかりな装置ですが,その小型化を図りたい。資源探査,地下探査などを想定すると,少なくとも自動車の荷台に積載できるサイズにしたいと考えています。時計自体のサイズは60~×60~×60~程度と小型ですが,それに付随するレーザーがその10倍くらいの大きさです。とはいえ,レーザーはすべて半導体レーザーを採用しているため,おそらくエンジニアリングの努力次第で縮小していくことは可能と思っています。
 実際には,測地応用の領域までつなげていきたいと考えています。例えば,参照用の光格子時計をある場所に固定しておき,もう1つを自動車に積んで動かすとしましょう。そうするとこの車載の時計は(参照時計に対して)相対論的なセンサーです。車が速度を上げれば時間が遅れ,山に登れば時間が進み,密度の大きな地下資源の上を通れば時間が遅れ,地下に地殻変動で空洞が形成されていれば時間が進む,…という具合です。そのように考えると,GPSを使った従来のカーナビゲーションシステムが,光格子時計を自動車に搭載することで,時空のゆがみが見える相対論的なカーナビゲーションシステムへと進化するって冗談を言っています。
 一般講演ではよく話をしますが,画家のSalvador Dali が物理学者のAlbert Einsteinの相対性理論(相対論)に触発され,絵画作品「記憶の固執(柔らかい時計)」の中で,ぐにゃっと曲がっている時計を描いているのです。この絵画の本当に驚くべき点は,Einsteinによる相対論の発表から約25年後の1931年に,Daliは時空が曲がった様子を頭の中でイメージし,キャンバス上に砂漠を背景にして枯れ木にぐにゃっと曲がった時計がぶら下がっている情景を描いているところです。Daliは,“時空のゆがみ”を認識していたからこそ,曲がっている時計を描き出すことができたわけですが,私も1世紀遅れでようやくその境地に達しました。今後は光格子時計を使えば,この絵の進化バージョンとして“枯れ木に引っ掛かっている時計の時間が進んでしまっている状態”を実際に見ることができるでしょう。
 われわれの認識が大きく変わる点は,宇宙スケールの現象や巨大な加速器など生活とかけ離れた世界で問題になると思っている相対論の世界が,1~10cm程度のパーソナルスケールで見えてくることです。足のつま先と頭てっぺんで時間の進み具合を見比べることができ,頭頂部では16桁目で時間が早く進んでいることが確認できたりするわけです。時空間が重力でゆがんでいるっていうことがパーソナルスケールで見えてきます。これは,計測において何かに役立つ可能性はあるでしょう。例えば,地下に高密度の資源が埋まっていれば,その場所は重力が強く時計の針がゆっくり進み,資源探索のセンサーになります。福島原発事故後,一般市民がガイガー・カウンターを使って放射線量を測定するようになり,東京・世田谷区の住宅の敷地内から高い放射線量が検出される出来事がありました。このように,測定機器が広く普及し自由に使用できる状況になると,思いもかけない発見をする可能性も高まるでしょう。そうした発想で追究していけば,今後は光格子時計の有効なアプリケーションが創出できると考えています。このように考えると,前述した光格子時計の研究・開発の“ゴール”のハードルはどんどん上がっていきます(笑)。
 そもそも光格子時計を提案した2001年ころは,「そんなアイデアでうまくいくの?」という否定的な見方が大半であったこともあり,当初は「光格子時計が動作する」ことが私にとってゴールの1つでした。ところが,2005年にそれを実現すると,「光格子時計が18桁の時間計測を可能にすること」が次の現実的なターゲットになりました。この当時,新聞記者にいつごろできますかと聞かれて,10年くらいかなと言っていました。10年っていう数字は,今は目途が立たないという婉曲表現でしたが,今ではもう2-3年できそうな気がしています。
 “時空のゆがみ”の探索については,東大と理化学研究所(理研)で開発する18桁の光格子時計を,設置し2地点を光ファイバーでつなぎ,計測時間が比較できるように準備を進めています。18桁の時間比較では,東大の時計の高さと理研の時計の高さを1cm単位まで測定することができます。逆に,15kmも離れた時計の高さを1cmの精度で,従来手法で測量する方が大変です。例えば,東大付近の水準点から東大の地下の実験室まで三角測量をしていかないといけないでしょう。そんなことをするよりは,時計の進む速さの差を見る方が簡単そうです。こうして光格子時計は“高さを決めるツール”に進化します。これまでの時計は皆で同じ時間を共有するためのツールでしたが,光格子時計はこんな用途を想定すると “時空計”となるわけです。
 こうしたデモンストレーションを,ここ1年の間で発表したいと考えています。ホームページで東大と理研に設置した時計の周波数差をリアルタイムで表示できたらいいなと思っています。アクセスしてくれた人に,この時空計の応用のインスピレーションをもってもらえたらいいと思います。2台の時計の周波数差が一定であれば,相対的な高さに変化はなく,ある時期を境に周波数が徐々に変化すれば,どちらかの時計が設置されている地下で何か異変が起きていることを示唆するでしょう。このように2地点を結ぶ時計のネットワークを実証することが最初のステップで,次の段階として光格子時計が一般に広まり,例えば10~おきに光格子時計が設置される状況になれば,それを光ファイバーで結ぶことで,その地域の地下の重力分布状況をリアルタイムに表示する観測網になるでしょう。ひょっとすると地震の予知に役立つかもしれません。
 また,多くの人が正確な時間を共有する必要性を感じ,光格子時計が実用化され利用が広まれば,そのバイプロダクトとして当初予想し得ないさまざまなアプリケーションが創出されていくでしょう。正確な時間は現代の高度情報化社会のファンダメンタルなインフラであり,今後,ますます正確な時計は重宝されることでしょう。今でさえ,毎朝お世話になる1000円で買える電波時計のアラームは原子時計精度です。人々は高精度化にはすぐ慣れっこになってしまうのです。その時計の精度をさらに高めておけば,おそらく後世の人たちが幾らでもアプリケーションを創出するようになるだろうと期待しています。つまり,新たなアプリケーションが光格子時計というインフラを基にどんどん創出されていくイメージです。私の研究室の学生には,光格子時計をインフラとしたアプリケーションを開発するベンチャー企業を立ち上げるように今けしかけているところです。「今しかない!」と(笑)。

“わらしべ長者的発想”の実践

聞き手:これまでの研究・開発で行き詰まってしまったものの,試行錯誤された末,最終的に課題や問題を乗り越えられたご経験がありましたらお聞かせください。

香取:研究・開発を進めていく上で発生する問題は,いつも次の研究へのヒントとなります。その問題点が四六時中,頭から離れずに考え続けていると,そのうちふとした瞬間に解決するヒントがひらめく時があり,それによって解決できることが1年に数回あります。この数回が,研究に携わる中で私が心から楽しいと実感できるひとときです。研究・開発を進めていく上で起きた課題や問題に対し,必死に取り組んでいる時が,私にとって充実感を味わえるひとときです。
 出口の見えないつらさを味わったといえば,MPQでポスドクをしていたころのことですね。MPQでは当時,イオントラップの研究が着々と進められ,私はポスドクとしてその研究に参加したのです。ポスドクは大概,既存のグループ,装置に仲間入りして,その成果を発展させることが期待されます。新しい展開を始めるためには,まずはグループメンバーの説得工作から始めないといけない。いままで,一人で好き勝手にやってきた私にはそんなプロセスが面倒くさくて仕方がなかった。その当時は相当フラストレーションがたまっていました。
 自分の手を動かして自由に研究ができない反面,たくさん考える時間ができました。その時間をイオントラップに関するさまざまな論文を読む時間に充てました。読むことを通じ,これまでイオントラップの研究に携わってきた研究者がまだ考察できていないフィールドを頭の中で整理し,そこから未着手で勝算のありそうな研究テーマの方向性について考えていました。また,偶然にも,隣の研究室で単一イオン光時計を研究していたことも,私にとっては非常に勉強になりました。毎日,私の研究室に通うには必ず隣の研究室の前を通り過ぎるのですが,その度に部屋の壁にあるポスターが目に留まり,その内容が頭の中に記憶として刻まれました。次第にその研究がどうすれば新たな実験ができるかなどを日々考えるようになり,こうした蓄積が光格子時計の研究・開発に着手することにつながっていきました。そもそも,イオントラップでは不可能なことを実現したのが光格子時計であり,こうした発想はイオントラップの研究の限界と困難をよく理解することが根底にあります。
 今にして思うと,この時期は私にとって一番の“充電期間”であり,このときに得た知識や経験がその後の研究に役立つことになりました。私は,これを“わらしべ長者的発想”と称しています。たとえ研究につまずいても,わらしべ一本ぐらいは手につかむ。どうしようかと真剣に考えていれば,それを有効利用できる次の研究に巡り合う。わらしべ長者よりは,もっと能動的に考えてはいるのですが(笑)。つまり,研究においてもわらをつかんでどんどん歩んで物々交換していくと,自分自身の望んでいたことが実現するということです。

「君は“ものぐさ”だから」と言い放った恩師

聞き手:香取先生にとっての恩師とは,これまで出会ってこられてきた方々のうちのどなたになりますか。

香取:私の恩師といえば,学部生時代の指導教官であり,博士課程を中退して,助手を務めるなどして約9年にわたってご指導いただいた清水富士夫先生です。あるとき,清水先生が私に「君は“ものぐさ”だから」と言ったことがありました。その言葉に私は心の中で「失礼な!」と(笑)。当時は,私自身の評として,どちらかといえばマメな性格だと思っていたからです。ただし,清水先生が言われる「ものぐさ」の性格について,あらためて自己分析してみると,確かに心当たりがあるのです。ものぐさだから,できるだけ楽ができそうで,過去に誰も着手していないフィールドを探求し,それを研究テーマとして選択し取り組んでいるのですから(笑)。その意味では,清水先生は“ものぐさ”であることを私に気付かせてくれた恩人であり,鋭い視点や見解で指導していただける先生であり,めったに人を褒めることのない厳しい先生でもあります。私はそれを反面教師として受け止め,私の学生たちを大いに褒めるようにしています(笑)。
 初めてお会いしたのは,私が東京大学工学部物理工学科の4年次のときでした。現在も変わっていないと思いますが,学生が集中する研究室を希望する場合は最終的にジャンケンでその枠を決める習わしになっていて,私はジャンケンで負けて清水先生の研究室(清水研)に在籍することになったのです。実は,わらしべ長者の話の始まりはここからかもしれません(笑)。研究室で初顔合わせしたときの第一印象は一言でいえば,怖い先生であり,近づき難いオーラを発していました。しかし,その後は指導を受ける機会を重ねていくうちに,次第に研究内容に対する問題点や課題を瞬時に見抜き,そのポイントを鋭く指摘し,解決策を提示される洞察力にひかれていきました。
 私のころの大学教育は全般に放任主義で,清水先生もまさしく“背中を見せて学ばせる”指導でした。最も楽しい研究は,先生専用の実験室で,ご自身でされていて,それにお忙しかったんです。学生の面倒を見るよりも(笑)。研究テーマを決めるとその後は,数か月に1回順番で回ってくるミーティングのディスカッションが試練の瞬間でした。そのため,清水研に在籍する学生は,自主的に研究に取り組もうとする思考や姿勢がなければ,何も研究せずに卒業してしまう一方,研究テーマを自由に追究したい学生にはいい研究環境でした。楽しそうに実験される先生の背中は,私にとって大いなる励みでした。私もいつか清水先生みたいに,実験がしてみたいと思わせてくれました。
 約9年間,清水先生から指導を受けた後,MPQに客員研究員として留学するわけですが,このときも,清水先生がMPQのH. Walther先生はどう?と紹介してくれたので素直に従い,わらしべ第2幕が始まりました。このように振り返ると,清水先生には感謝の念に堪えません。最近も,研究会などで年に数回お目にかかります。清水先生にお会いすれば光格子時計など私の研究の内容が話題となりますが,大概は憎まれ口をたたかれています(笑)。

光技術の基礎を学ぶ最後のチャンス

聞き手:最後に,光学分野でこれから活躍を目指す若手の研究者とか学生さんに向かって,先生の方から何かメッセージをお願いします。

香取:現在,光学分野ではレーザーその他のコンポーネントが広く使われ,そのおかげで非常に安価に入手できるようになりました。この意味で,応用を考える上でもいい環境になりました。20年前なら,レーザーを買うといえば,1000万円単位のお金がかかったのでおいそれと始められない研究でした。
 私は子どものころ,エレクトロニクスの工作が大好きで,必要な部品を買ってきてはそれを組み立てて,無線(ワイヤレス)にワクワクしてラジオやFM放送局を作るなどしていました。その当時(今から40年ほど前)は,光を使って遊ぼうにも道具がなく,光源は豆電球の他にはようやくLED(発光ダイオード)が手に入るようになったころでしたが,エレクトロニクスの工作を通じて,いろいろな物(モノ)を製作できた時代で“作りがい”がありました。ところが,今ではたとえラジオやFM放送局を作ったとしても「スマホがあるのに,なぜ作っているの?」という話になるわけです。


 現在,利用価値のあるモノを作ろうとすれば,ブラックボックスを組み入れたモノしか製作できなくなっています。一昔前は,テレビを分解すると,中からトランジスタ,抵抗などの部品を取り出せたため,その中身が理解できましたが,今は分解しても取り出せるのはカスタムICだけで,その構造を知る機会にはなりえません。
 光学分野は現在,エレクトロニクス分野のようにブラックボックス化へ向かう過渡期にあり,大変面白い段階を迎えています。例えば,実験室では微調台に取り付けた鏡をたくさん組み合わせて“光の配線”をしますが,これはエレクトロニクス分野でいえば,自分ではんだ付けして配線していく“真空管やトランジスタの時代”です。光学もやがては導波路がシリコンの中に詰め込まれるなどでブラックボックス化が進んでいくことでしょう。ブラックボックス化を進めていかなければ,私たちが満足できるモノ(製品)にはならでしょう。“真空管やトランジスタの時代”が突き進めたのはせいぜいラジオやテレビの時代までです。この延長には今の便利なスマホの時代はあり得ません。実用になる便利な光技術も同じことでしょう。でもこの過程で残念なのは,分解してモノの構造を自分の目で確かめることはできなくなることです。つまり,ブラックボックス化とは,技術が進展していく上で必要不可欠な過程ではあるものの,学生や研究者が中身を理解する機会がだんだんと失われていくでしょう。
 半導体レーザーが市場に出回るようになったのは,トランジスタに遅れること30年くらいですが,光技術全般も,エレクトロニクス技術からそのくらいのギャップがあります。そのおかげで光技術はまだ見て理解できる装置になっています。今はブラックボックス化の前段階であり,光に慣れ親しんで光学関連の研究開発の基礎を学べる“最後のチャンス”といえるでしょう。光格子時計の研究・開発を通じて思うのは,光格子時計がまだ“真空管やトランジスタの時代”にあるということです。真空管やトランジスタがICによってブラックボックス化しなければ,スーパーコンピューターは絶対に構築できませんでした。光格子時計を“スーパークロック”へと進化させるためにはレーザーモジュールのブラックボックス化が必要でしょう。私たちの研究室(香取研究室)でも,今後そうした工学に本気で取り組む必要があると思っているところです。
 以前,私は『O plus E』2009年4月号の「一枚の写真」に“光格子時計・硬い原子と柔らかい地球”と題して寄稿し,この中で「将来的には,18桁の精度で光格子時計の時間比較ができるだろう」と書きました。これは私にとって“今後こういう方向で研究を進めていきたい”との決意表明でもあったので,これで賛同者が現れるといいなという期待も込めてまとめました(笑)。現在,時間比較の研究を進めている状況を鑑みると,「これを実現したい」と強く思い続けて考えてきたことは現実になるものだと感じています。日々こうした思いを口に出したり,記述して発信することで,おのずとそうした方向に進んでいくように思います。10年後,20年後にこのインタビューを振り返るのが楽しみです。

(OplusE 2013年5月号(第402号)掲載。肩書などは掲載当時の情報です)

いいなと思ったら応援しよう!