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私の発言 辻内 順平氏 光をどう使うかということを考えるような“本当の光学工業”の到来を期待したい。

東京工業大学 像情報工学研究施設 辻内 順平

☆天体志望が光学屋へ。

 天体物理に大変興味をもってまして,星から来る光を分析して,その星がどういう物質でできているのか,どのくらいの年齢であるか,そんなことをやりたくて,学校は天文へ入ったんですけど,実際に入ってみると,星の観察は11~2月頃しかできませんしね。私自身,理論よりもむしろ体を動かして実験をやる方が性に合っておりますし……実験なら,分らないところがあれば積極的に条件を変えて,トライする――そういうアクティブなところがあるんですが,天体では常に受身なんです。星の分光は光を使った分光の中でも一番面白いと思って入ったんですけど,それは素人としての想像であって,実際に中に飛び込んでみて,これは大変なところにきたと思ったわけです。
 そのうちに観測器械に非常に興味を持ち出しまして,望遠鏡だとか分光器だとか,デンシトメーターとか……それで観測器械をやる手もあると思い出したわけです。それで物理の方の講義を一生懸命聞いていたわけです。
機械試験所(今の機械技術研究所)へ入って最初に取り組んだのが顕微鏡なんです。私は望遠鏡をやりたかったものですから,大きなものから小さなものということで最初は分らなくて困ったなと思ったんです。ただ顕微鏡の測定は幾何光学でやるには小さ過ぎましてね,それで光の干渉を使ってレンズの収差やその他の測定をやろうというプロジェクトが試験所でスタートしてまして,そのための干渉計に最初取り組んだわけです。
 何年かは顕微鏡ばかりやってましたが,それが非常に良かったんです。あれで私にとっては道がついたような気がします。というのは顕微鏡というのは下から照明しますでしょう。望遠鏡やカメラはそれ自身は照明のことを考えなくてもよいわけです。顕微鏡は照明する光の質とか,光の方向とか,目的に応じた照明を選ぶことができるんです。干渉顕微鏡とか位相差顕微鏡とかいろんな種類のものがありますが,みんな照明の方法と関連があるわけです。これが後になって光学情報処理とかホログラフィをやった時の考え方と基本的には同じなんです。
 それからもう一つは,顕微鏡の分解能――カメラの場合は標本作って写真を撮してどこまで分解しているかを測ることができるんですが,顕微鏡の標本は小さすぎて作れません。ですから珪藻という植物の死骸を使っていたんです。骨があって,それが非常にperiodicな綺麗な構造をしておりましてね,その種類によってperiodが何μmと大体決まってますので,それが見えるか見えないかで分解能を決めていたのです。その珪藻の標本がドイツでは売ってたんですが日本にはありませんでしたので私どもは他の方法で顕微鏡を検査する方法を確立することをやってたわけです。それで収差の測定はまあ上手くいきましてね,大分細かいところまで測れるようになったんですが,分解能――これは駄目なんですね。それでなんとかして測定した収差からレンズの分解能を計算できないものかということばかり考えていたわけです。でも駄目だったんです。できなかったわけです。

☆プライオリティ

 そんな時にOTFの理論というのが来たんです。嬉しかったですね。あれは。あれを読んでね,目の前の霧が晴れるような感じで,夢中になって文献を読んだんです。大変楽しかったですね。
 それで収差から分解能を数値計算したんです。表面を10個のゾーンに分割して,コーリレーションですけどね,オートコーリレーション。当時は今日のようなコンピューターがありませんでしたからそれを手廻しのタイガー計算機でやったんです。役所でやってるだけでは間に合わなくてね,家へ持って帰ってやったんです。夜遅くまでガチャガチャ音がするものだから近所の人が何をやっているんだろうと不思議に思ったという話を後から聞いたんですけど。
 その計算から出た結果を実験的にチェックする方法を考えてやってみたら大変よく合いましてね。もう1つは顕微鏡というのは照明の方法を変えると分解能がどんどん変るんです。それを式で導き出して,実験と計算をやったらその通りになる――そんな仕事もやったんです。
 秋の応物のOTFシンポジウムになんとか間に合いましてね。発表したんですけど,久保田先生が非常にほめてくださいましてね,外に出せと言われて機械試験所の所報に出したり,浮田さんといっしょにOptica Actaに英語で書いたんです。当時その雑誌はフランスから出していたんですけど,その本屋さんが左前になってしまってイギリスに移る寸前で,2年間ホサれたんです。その間に残念ながらプライオリティをとられちゃったんです。おそらく世界で一番早かったと思うんですけど,発表が遅くなってしまって……それで私はこりたんです。いい仕事だと自分が思ったら発表をうまくしないと損をするぞという気がしたんです。それで私は原則として外国の雑誌に書いているんです。反対する方もいるでしょうけれど……。

☆日仏学院へ通って留学生試験を受けた。

 それから収差のあるレンズを簡単な方法で補正することはできないかということを考えまして……収差の測定をやってた時の干渉縞の写真――あれをレンズのフィルターとして使ったらどうなるんだろうと考えたんです。その実験をやったんですけど,なかなかうまくいかなくてね。それで計算をしたら,かなり収差が補正されるという結果が出ましてね。これは面白いと思ってしばらくやったんです。そしたらうまい関係がつかめましてね。さらに,それの特殊なケースとして二重焦点のフィルターもやったんです。
 で,どんなレンズでも補正できることが分ったんですけど,完全に補正できなくて,どうしてもちょっと残るんです。それを何とかして取れないかということが残ってまして,でき上がった写真をいじくって,良くする方法というのがあるはずだと思ったんですが,あったんです。フランスでやっていたんです。これはピントがはずれてボケた写真を良くするということではなく,コントラストの悪い写真を良くする方法という短いpaperが,フランスの学士院の報告に載っていたんです。それをたまたま見つけてね。光学ニュースの抄録に書いたんです。その当時の私のフランス語は幼稚でして,パーシャルコヒーレントだとか,インコヒーレントとかいう言葉がいっぱい出るものですから大変面白かったんですが,随分苦労して読んで書いたんです。そしたら抄録委員長の石黒先生から,ちょっと分りにくいから,もう少し文章を練りなおして出してくださいと注意されたんです。
 自分でも何となく吹っ切れないものがあったものですから,また一生懸命読んだんです。それでようやく大変面白い方法であるということが分りましてね。これをぜひやってみたいと思ったわけです。
 ちょうどアメリカのボストン大学のオニールさんが全く同じ方法のpaperを出したんですが,その時アメリカに行ってた久保田先生からオニールさんのところへ行かないかと話がありまして。半分行くことになっていたんです。そしたらボストン大学の研究所がアイテックという会社に身売りしてしまって行けなくなってしまったんです。
 じゃフランスだということでね。フランスへ行くために日仏学院へ通って留学生の試験を受けてようやく望みが達せられたんです。

☆レンズがかわいそう。

 それでパリの光学研究所のマレシャル先生のところで実験をやったんですけど,その頃は,何となくボケた写真を少し鮮明にする程度で,もっとボケた写真がなおらないかと思ってたんです。そんな時,またちょっとひらめいたことがありまして,要するに画像のフーリエスペクトルの位相をπだけ変えればよいわけで,薄膜をある特殊な条件で一部分だけつけるというやり方だったんです。同じ研究所にいた薄膜の大先生のアベレスさんところへ相談に行きましたが駄目だと断わられたんです。
 それで日本にいた時キャノンの伊藤さんに紹介されたフォトエッチング屋さんを思い出して,手紙でやり方を書いて注文したら1ヵ月くらいでできてきまして,それでやったら,それこそバッチリでね,うまく行ったんです。それがピンボケの写真を修正した最初のpaperになったんです。
 その頃の私の一つの考え方は,レンズというのは完璧に作ることはできないんだというです。設計がむつかしいし,それ以上に加工もむつかしい。新しい研摩法もでてこない。だから像が悪い責任をレンズだけに背負わせるのはかわいそうだと思ったんです。レンズに半分やらせて,後の半分を何かの方法で像を良くすればいいんじゃないかと。
 ネガを見て,どうのこうのという人はいないわけなのに,現在ではネガにうつされた写真を最大限忠実に紙に焼こうとだけ考えています。ですがフィルムにとったものを,また引き伸ばすんですから,その時に何かやったっていいわけです。それでレンズが安くなるなり,作りやすくなるなり,あるいは性能がもっと上がるんなら,その方がずっといいじゃないかと思ったんです。レンズ自身を後の処理がやり易いような恰好に作っておけばいいのではないか。そういうレンズを作りませんかという提案をしたこともあったんです。
 ですから画像処理というのは特殊な技術でもなんでもなくて,映像システムの中でのレンズの性能なり記録材料の性能なりを最大限に発揮するための一つの過程だと考えませんかということです。私の一つの夢は,不鮮明な像を画像処理で鮮明で極めていい像にする技術をきちんと確立させることです。おそらくできないかもしれませんがね。そのために提案されている方法は干渉縞のアィルターからコンピューターまで全部やったような気がします。それぞれいいところと悪いところがありますからね。どれが一番いい方法なのかをはっきりさせて,一番いい方法が決まったら,それだけを一生懸命やろうと思ったんです。……まあ最近はコンピューターを使うのが一番いいらしいですけど……これは大変つまらない結論でして……ね。

☆ホログラフィは幻どころではなかった。

 最初のホログラムーー例えばリースのpaperなんか見ると,あれは私が使ってた装置をちょっとひねってるものでして,ですからホログラフィの研究に取りかかるのに全然抵抗がなかったんです。
 ホログラフィというのは前から知ってたんですけど,私は実用にならない技術だと思っていたんです。20年ぐらい前東大の講師を頼まれまして>フーリエ光学を講じたときもホログラフィの話をしたことがあるんです。非常に面白いけど実用にはならない。あれは幻の技術だと講義で言ったことがあるんです。嵩をくくっていたわけです。それで62年にリースのpaperが出て,なかなか面白いな程度しか感じなかったですね。あの頃は情報通信理論を光学に導入するというのが流行りでして,その一つとして読んだんですが,写真を見て安心したんです。大したことはないと……。ところが,その翌年ですが,すごい写真が出たんです。まだ今でも憶えているんですが,大変なジョックだったですね。幻どころじゃなかったわけです。
 リースが最近書いた本を見ると,彼はかなりの期間レーザーと水銀燈の両方でやってたんです。つまりレーザーでやってそんなにうまくいくかどうか疑問を持っていたようですね。
 ですから当時はこんなすごいのができるとは誰もが思わなかったですね。……あれはショックでしたね。

☆物理から切り離された光。

 今ある光学会社のどこを見ても,光というものをどうやって使おうか,というようなことをやってる会社はあんまりないわけです。カメラとか顕微鏡とかは,極論すれば光がどうであろうが,知らなくてもよい。ただ磨いて組立てて……要するに精密機械工業なんですよね。
 で,私はエレクトロニクスは素人でして,大変独断的偏見に富んだ考えかもしれませんが,電気会社も過去エレクトロニクスが登場するまでは何十年もモーター類や発電機などを作ってきており,これも電気のことなんか知らなくても設計してしまえば,できてしまうというようなことがあったと思うんです。つまりあれも機械工業ですよね。
 それで,今の光学工業というのはちょうどその頃の電気工学と同じ状態にあるのではないかと思うんです。その後電気に何が起ったかと言いますと,エレクトロニクスというのが出てきて,電子がどういう振舞いをするかということを調べて,それをどうやって使おうかということを考えて,やっているわけです。要するに電流がどう流れて,電圧がどうかかって,つまりエレクトロンがどう振舞うかということが分らないと何もできないんじゃないかと思うんです。
 おそらく光も,光を使って何をやろうかとか,こんなことをやるには光をどう使おうかということをやる時代が来るんじゃなかろうかと,ちょうど電気工業から電子工業が出たみたいにね。つまりカメラや顕微鏡を作っているのと較べて,もう少し光というものをよく考えないと話ができないようなものを作ったり使ったりする時代がくるんじゃないか,光工学とか光エンジニアリングとか,フォトニックスとか,どういう言葉がよいのか分りませんが,そういう時代がくるんじゃないかと思うんです。これが本当の光学工業ではないんでしょうかね。
 例えば光通信産業というものが定着してくれば光を使ってどうこうするということをみんな考えはじめると思います。そうしますと,エレクトロニクスが登場した時と同じに,必ず波及効果が光学の他の分野にも及ぶんじゃないかと思うんです。そうしますと,光学ないしは応用光学というのが,もう一度息を吹きかえすのではないか――物理の1分科としての光学ではなくて,実際的応用と密接した――最初から物理と切り離された,一つの工業としての中心的な媒体として光がくるんじゃないかと思うのです。
 ひとつね,光が大変損なのは目に見えるということなんです。光だけを使って,つまりレンズと鏡だけを使ってボケた写真が元に戻ると言ったって,専門家は別として普通は皆さん信用しないんですよ。フーリエ変換だって,あんな大変な計算が光ができるはずがないというわけです。ところが,コンピューターに入れると綺麗な像になりますよ,画像もこう変わりますよというと皆さんは信用するんですね。
 なぜかというと光は目に見えますからね。ですから光というと,分ろうとする前にある一つのイメージを持っちゃうんです。光――ああ,あれだ……大抵の発想はそこで止まってしまうんです。

☆光だけで全うする機械はもう出てこない。

 光学屋さんのまずい点は,光で始まって光で終わらないとやらないような,特に産業界の方ではその傾向が強いですね。電気屋さんは逆でしてね。少しでも電気を使えば電気器具だ……つまり乾電池一個しか使ってない石油ストーブも電気器具の範ちゅうに入れてしまう――大変積極性があります。その点,光の方は大変保守的で,他人の領域に踏み込まないところがありますね。そんなことを言ったって電気屋さんに儲けさせるだけだとか,部品メーカーに成り下がってしまうとか何百年の歴史が泣くとかね。
 しかし,私は光だけで全うするような機械はもう出てこないと思うんですよ。双眼鏡が最後ですね。エレクトロニクスの入ってないカメラはもうないですし,光源を内蔵していない顕微鏡もないでしょう。そのうちに電気会社が豆球1個使うからといって顕微鏡を作り出すかもしれません。光だけで成り立つようなインストルメントはこの先ないはずです。そうなりますとね,電気屋さんに儲けさせるのではなくて,電気屋と一緒にやらないと光学の生きていく道はないわけです。ですから,重要と思われる――光通信にしろ何にしろ,これと思う重要な部品だけは,あるメーカーさんが抑えていて,他の誰も作れないというものを,一つでも二つでも確保するということが大事なことだと思います。間もなく電気会社,光学会社の区別が,そろそろなくなってくるじゃないでしょうか。
 ただ残念なことは,今の光学会社はレーザーのようなものに,あまり興味をお示しにならないですね。レーザーを使ったものをお作りになるとい積極的な気配もあまりありませんし,レーザーを作ろうというところもありません。あれは別のものと思っておられるところがないでしょうか。大変残念ですね。レーザーに関係あるコンファレンスとか講習会にもっと出てきていただいてね……ただ研究者は別ですよ。光学会社の研究者にはレーザーとかホログラフィをやっている人はかなりおります。しかし残念ながら会社全体のフィロソフィから言いますとあれは別のものだと。レーザーは電気屋さんのもので真空管と違わないんだと。そういうお考えをお持ちのところが多いんじゃないでしょうか。(文曜M.M.) 

(O plus E 1981年1月号(第14号)掲載。肩書などは掲載当時の情報です)


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