私の発言 池田 光男氏 色覚の研究,私の場合。
立命館大学,チュラロンコーン大学 池田 光男
■レンズ評価と留学
専門は視覚情報処理ですが,私が研究を始めた頃は生理光学と呼ばれていました。
実は私がこの分野の研究に入ったのは,アメリカのニューヨーク州にあるロチェスター大学の光学研究所に留学していたときなのです。
大学があるニューヨーク州のロチェスター市は,イーストマン・コダックやボシュロムが本社を置き,ゼロックス発祥としても有名な地で,光に関する研究が非常に盛んに行われている場所でもあります。
私がロチェスター大学へ留学するきっかけとなったのは,フルブライトの交換教授としてオハイオ州立大学から大阪大学工学部に来ておられたエッチェン先生の勧めによるものでした。
留学したのは大学を卒業して1年目ぐらいのときで,当時私はミノルタで試作レンズの評価をしていました。 学生時代の専攻は応用物理学で,新しいレンズ設計法で著名だった鈴木達朗助教授の下でレンズの評価手法の研究を行っていたため会社でもレンズ評価に関する仕事に従事していたのです。 ですから,ロチェスター大学への留学も,当初は幾何光学の研究が目的だったのです。
留学した最初の頃は RA (Research Assistant) でレンズ設計の手伝いをやっていました。 当時は現在のパソコンにも劣る,大きさだけは部屋いっぱいを占める大型の汎用コンピュータしかなく,RAとしてついていた先生のレンズ設計のためにカードにパンチを打つ仕事ばかりをしており,期待していたレンズ評価の仕事ではなかったため,あまり興味がわいてきませんでした。 しかしながら,キングスレーク先生のレンズ設計や光学の実験などの授業はとても面白く非常に勉強になりました。 ロチェスター大学の他の先生もそうですが,学生に分かるまで教えるという姿勢がとても新鮮で,それは後に私の日本での教育に対する姿勢となりました。
■生理光学の世界へ
そのような時に,ロチェスター大学で視覚の研究をされていたボイントン先生に出会ったのです。 先生が受け持っていた講義は生理光学というタイトルで,その他にも色覚学を主として扱うゼミもありました。 私はそれらに出席する機会があり,話を聞いて大きなショックを受けたのです。
色彩というのは人間が色をどのように見るのかという心理的な現象ですが,ボイントン先生の講義やゼミでは,それを数値化し解析しているのです。 心理現象が物理的に取り扱われる,これが驚きでした。そしてこれを是非勉強したいと思ったのです。
それで早速,ボイントン先生にご相談し先生の下で勉強させてくださいとお願いしました。 これは大学院生のスーパーバイザーを変えることでしたが,先生は快く受けて下さり,そこで私の専攻は生理光学になったというわけです。そして,そこから私の研究者としての生活が本格的にスタートしたのです。それが留学して2年目のときでした。その後は毎日の勉強と研究がとても面白く,本当に生き甲斐のある学生生活になりました。
詳しく説明すると,私がボイントン先生の下で研究したのは "psychophysics" 手法による色覚の研究です。 "psychophysics" を日本語に訳すと「心理物理学」となりますが,日本ではあまり耳慣れない言葉であったかもしれません。 というのも,日本では心理学というと文化系といったイメージが強く,応用物理学とは相反の関係にありますから違和感を感じるのかもしれません。
しかしながら,欧米では人間の知覚や感覚を物理学的手法を用いて研究するということが広く一般的に行われており,特に私の研究対象であった色覚は,「光」という物理量を網膜で電気信号に変え,脳において「色」という感覚的な心理量というべきものに変換しますから,その解明には数理科学的な手法が必要となります。それで,心理物理学という分野があったのです。
そのようにして,色覚について研究を始め,ロチェスター大学で博士号を取得し,日本に帰国したわけです。帰国後はミノルタに復職しましたが,幸いにも私のやってきた基礎的研究を続けることができました。 日本光学会の光学論文賞を頂いたのもそのころです。
その後数年して再度転機が訪れました。それは,アメリカに再び渡ってボイントン先生のところで研究するか,招きのあった東京工業大学に移るかという選択です。いろいろと考えた末,後者を選びましたが,結果的にはその選択はとてもよかったと思っています。
■色覚のメカニズムの研究
東工大での研究により生理光学が日本でも注目されるようになり,さらには生理学的な見地からの色覚の解明も進み,われわれの研究も成果を上げることができました。
というのも,それまで不可能だった動物の目にさまざまな種類の波長の光を入れ,その電気信号を取り出すという電気生理学の研究が世界的に進歩し,色覚の解明につながる数多くの貴重なデータが発表されたからです。
ここで簡単に色覚について説明しますと,そのメカニズムに関しては,古くからヤングやヘルムホルツ,またヘーリングらが予想しており,その説も数種類あります。
それらのなかで,現在支持されているのが,ヤングやヘルムホルツの「3色説」と,ヘーリングの「反対色説」です。
3色説というのは,網膜には,赤・緑・青を感じる3種の要素があって,それらの3つの要素がいろいろな割合で反応することで色を感じるというものです。この考え方はテレビのカラー表示の原理としても一般的になじみの深いものです。
一方,反対色説というのは,白と黒,赤と緑,黄と青の3つのお互いにうち消し合う反対色的に反応する物質が存在し,それによって色を見るというものです。具体的に説明すると,例えば,光が「赤対緑」の物質に入ったとすると,赤の反応と緑の反応が互いにうち消しあい,残った方の反応だけが大脳に送られるというものです。赤の反応が残れば赤が見えるという具合です。
色覚のメカニズムは,長い間この両モデルの間で論争が繰り広げられていたのですが,1950年代半ばにベネズエラのスペッチンという電気生理学者が魚の網膜の細胞から反対色の理論を裏付けるデータを得ることに成功し,世の中はヘーリングの反対色説に傾いたのです。
しかしその後,慶應義塾大学医学部の冨田先生が,金魚の目の細胞を使った実験で3色説を裏付けるようなデータを得てその研究成果を発表するに至ると,今度は学会に「3色説」の一大センセーションが巻き起こったのです。
現在はそのどちらの理論も正しく,網膜の最初に3種類の視細胞があり,それらの反応が反対色の細胞に送り込まれ,大脳にはそれからの出力が伝達されるという考えに落ち着いています。
そのように1950年代の後半から1960年代の初めにかけて,生理学的方面から色覚解明の大きな進展につながるような要素が次々に発見されていましたから,われわれ心理物理学者としては,それらの結果を裏付けるような実験結果を得るべくさまざまな実験に取り組むことになったのです。
しかし,日本においてわれわれを取り巻く環境は非常に厳しいものがありました。というのも,色覚に関する研究は昔からありましたが,その多くは文学部などで行われていた文化系的な研究で,それは理科系のような複雑な光学系を使う実験や演習による研究ではなかったからです。そこで,色覚研究におけるこのような日本の状況を何とか変えるべく,早稲田大学の大頭先生,千葉大学の江森先生と共に,生理光学研究会を立ち上げたのです。学術会議へも視覚研究の重要性を説明し援助をしてもらいたいとの訴えをしたものです。その研究会は今では発展して日本視覚学会になっています。
東工大では,そのように新たな領域として色覚の研究に取り組みました。当時の研究成果の1つとして思い出に残っているものに国際照明委員会(CIE)で提起された「明るさによる眼の分光感度の標準化」があります。
それまでも,人間の眼の分光感度の基準はありました。それは1920年頃に実験的に求められ,1924年にCIEが採用した比視感度関数V(入)で,今もすべての測光器に入っています。しかしこれが明るさの分光感度かというと,そうではないのです。眼で見ると分かりますが,測光器で測って同じ光の強さにしていても,赤色や青色で鮮やかな色はとても明るく見えるのです。そのため,現存の測光方法で設計したディスプレーでは色の鮮やかなところが明るすぎるという問題が出てきたのです。
そこで,正確な明るさに対する眼の分光感度の確立が急務となり,東工大の研究室で学生たちに実験に参加してもらい彼らの眼から多くのデータを取ったのです。ただ,日本人だけのデータでは国際的なものとは言えませんので,それまで出ていた関連する論文をサーベイしたり,中国の研究機関に出かけて行って人のデータを取るように勧めたりして,明るさの分光感度の形を整えていきました。結果として得たのはV(入)のようなスムーズな曲線ではなく,凹凸のある曲線でした。つまりこれは,人間はものを見るときに色の情報を加味して明るさを判断しているということを意味します。
このようにして,明るさによる眼の分光感度をCIEに報告しました。それはCIEの技術報告書となりました。しかし,それを実際の測光器に使うにはまだまだ解決しなければならない問題があります。東工大の卒業生らの何人かはいずれ国際基準に採用されるべく問題解決の研究を続けています。なおCIEでは,視覚と色の部会の副部会長を2年間,部会長を8年間務めさせていただき,各国の思惑もある標準化という仕事の困難さも体験しました。
■色の見えの研究へ
東工大にはほぼ20年間いました。そこでの実験はほとんどが複雑な光学系によるもので,細かい骨の折れる実験の連続でした。その後京都大学の建築学教室に招かれ京都に移りました。その頃京大の建築学教室では,建築物に人間の知覚や感覚を考慮した照明を取り入れようとした動きがあり,その結果として私に声が掛かったのです。
京大では建築学科の学生に色覚を教えることになりましたが,これまでのような光学系を組んで実験をするような方法では建築学科にはそぐいません。学生が興味を持たないのです。そこで,東工大の時とは方向を変えて,“color appearance”つまり「色の見え」といった点を中心に研究を行うことにしました。私にとっては大転換です。ある人はこれを,「輝度人間から照度人間へ」と表現しました(笑)。
これまでの研究は,眼をセンサーとして考え,この光を入れたらどのような反応が生じるかを調べて眼の中の構造を推測するもので,このとき光の強さを示すのが輝度です。
一方,建築の世界では,建物や室内で物はどのような色に見えるかということになりますが,このときの重要な条件は部屋の明るさ,つまり照度です。
これは,光学系を覗く実験から部屋の中にいて物を見る実験に変わったということを意味しています。
色の見え方を研究していて面白いと思ったのは,人間の眼のもつ「色の恒常性」です。写真を撮られている人は,色の恒常性という言葉は知らなくても,この現象を1度は経験していると思います。例えば,白熱灯の下で白色のYシャツの写真を撮ったとすると白色のYシャツがオレンジ色がかかったものになります。実際にYシャツからの反射光の色を測定してみても,それは少しオレンジ色です。ところが,人間がその状況下でYシャツを見ても誰もそれがオレンジ色とは思いません。ちゃんと白色のYシャツとして見えます。つまり,われわれ人間は網膜という撮像センサーから得た情報だけによらずに,物体そのものの色を見分けることができるのです。これが色の恒常性です。
色の恒常性を理論的に説明するならば,色というものは網膜レベルで感じるのではなく,脳の信号処理により作り出されるものであると結論づけられます。つまり,白熱灯の照明下に入ってきた人間は,ここはオレンジ色に照明されているということを瞬時に判断し,オレンジ色の部分を大脳のなかでさっ引いてしまうのです。これは非常に面白い色覚のメカニズムといえます。
京大では,このような研究を学生達と一緒にずっとやってきました。
この研究は京大から立命館大学に移った後も続けました。そして多くの成果を出したと思っています。私は両大学を定年で退職しましたが,京大では石田先生が,立命館大では篠田先生が,それぞれの視点で研究を続けておられます。
■タイでの研究
立命館大在籍中に,日本政府のプロジェクトの一環として,タイのチュラロンコーン大学で色彩について研究指導をすることになり,チュラ大の客員教授として,もう7年間も教育を続けています。
そのプロジェクト自体は昨年で終了しましたが,フォローはまだ必要です。いい研究者を育てるにはいい教科書が必要ですから,教育のフォローとして,現在 "Color and Color Vision" というタイ語の教科書をチュラ大の先生と共著で執筆しています。
また来年6月には所属している学科に懸案事項であった後期博士課程ができる運びとなり,さらなる学生の指導も必要ですから,まだしばらくはタイに行くことになるのではないかと思っています。
■色の恒常性研究の実際
チュラ大でも色の見えについて,色の恒常性の観点から研究していますが,実際の研究についてちょっと紹介してみましょう。
一つの部屋から窓を通してもう一つの部屋を観察するとします。そこに小さい色票を置いて,その色の見えを判断します。窓が小さいと向こうの部屋は分からず,窓いっぱいを満たしている色票だけが見えます。図1のW1がそれを示しています。今こちらの部屋の照明を赤色にしておき,向こうを白色にしておきます。するとこの色票はもしそれが元々灰色であっても,人はこちらの部屋の赤色の照明に順応した眼でそれを見ますから赤色の反対,緑色に見えてしまいます。では窓を少しずつ大きくしていきましょう,W2,W3,W4,W5というふうに。W2ではまだ色票だけしか見えません。W3ではどうでしょうか。色票の周りにはまだほんの少しだけしか向こうの部屋の物体が見えません。でもこれで十分です。向こうに別の部屋があることを大脳は十分に認識するのです。するとその瞬間,色票の色が本来の灰色に変化します。向こうの部屋の照明に対する色の恒常性が成立するのです。
それを示すデータが図2です。カラーネーミング法と呼ばれる方法で色の見え方を判断します。白丸のデータが今例としている灰色の色票の結果です。細かい説明は省きますが,W1,W2と書いた辺りの点は色票の色が左の方向つまり縁方向にずれていることを示しています。W3〜W5の辺りの点は中心に来て,元々の灰色に返っていることを示しています。向こうの部屋の存在の認識のあるなしが色の見えを変えていきます。これが大脳で色を見ている証拠です。
色の恒常性に関しては,このような研究成果が認められて2003年に国際色彩学会(AIC)においてジャッド賞を受賞しました。
なおこの学会では副会長と会長をそれぞれ4年間勤めていましたので,それも評価されたのかと思います。
■網膜から大脳へ
若いときに留学したアメリカのロチェスター大学のボイントン教授の研究室には著名な視覚研究者が多く訪れていました。後にノーベル賞を受賞したハーバード大学のウォールド教授もその1人で,研究室のスタッフや学生への講演の最後を先生はこう締めくくられました。
「人間の網膜の構造はほとんど明らかになった。これからは大脳というジャングルに分け入らねばならない」
それから40年が経ちましたが,多くの視覚研究者はまだまだ網膜レベルの研究を続けている状況です。ミノルタと東工大では私も網膜の研究を中心に行ってきました。
京大では網膜ではなく色の見え方の研究をやらざるを得ない環境に置かれて大変苦しみましたが,その結果,色の見え方は空間の照明認識の上に成り立つという照明認識視空間の概念に到達することができたのです。
立命館大ではその概念の詳細を作り上げ,チュラ大ではさらにその概念を色の見え方をもたらす大脳のメカニズムとして確立しようとしています。
かつてウォール下先生が言われた大脳のジャングルへ,私自身はもう入り込んでいると思っているのです。(文賁 Y.F.)
(OplusE 2006年11月号(第324号)掲載。肩書などは掲載当時の情報です)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?