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小説家になりたいという夢を打ち砕いた小説

僕は若いころ、小説家になりたいと思っていた
将来は小説家になるもんだと勝手に決め込んでまともな就活もしなかった
ただそんなに小説を書いてはいなかった
一篇だけ完成させて群像に応募したが落選した
三十年以上前のことである
ワープロは持っていた

大量の原稿がないという時点でそれは夢であった
小説家になりたいという夢を持っただけであった
フロイトのいう理想自我であって白昼夢に近いものであった

小説家になるという夢だけを持ってバイト生活する傍ら小説を読みつづけていた
あるときモーリアックのテレーズ・デスケールーという小説を読んだ
それを読んで打ちのめされた
ものすごい力でなぎ倒されたような気がした
遠藤の訳ではなく杉の訳だったと思う
今となってはなぜこの小説にそこまで衝撃を受けたのかわからない
暗い小説であるのでそのときの気分にマッチしていたのかもしれない
杉の訳がよかったのかもしれない
内容はもう、あまり憶えていない
寒々としたフランスの因習まみれの田舎町で激しさや強さはあるがそれを発現することもできず退屈な日々を送っている人妻が凡庸を絵に描いたような夫を毒殺しようとする話である
話としてはどうということもないものだが語り口、小説としての技巧が恐ろしく優れていた、ような気がする
で、こんなものは自分は死んでも書けないと悟ったのである
小説家になりたいという夢は霧散消滅した

のちにモーリアックがカトリック作家だと知ってちょっとがっかりした
所詮は護教かと思ったのである
カトリック作家(なぜかプロテスタント作家というのは聞いたことがない)は絶望的な話を書くことが多い
神がいないとそうなっちゃうよということがいいたいのかもしれない
あるいは人間の罪を描くのかもしれない
たとえば、ベルナノスなどはひたすら絶望的な話を書く
少女ムシェットは親がアルコール依存症で悲惨な環境で生きている少女がレイプされ、それでも健気に生きようとするが最後は池に落ちて死ぬという話である
ベルナノスはいくらなんでもこれは暗すぎるだろという批判に対して彼女は最後まで勇敢でしたと答えたという

余談だが太宰治に魚服記という小説がある
山奥で父親からレイプされながら無意味な人生を生きている少女が最後は滝壺に飛び込んで自殺する話である
少女ムシェットに似ていると思ったが執筆されたのは魚服記の方が先であった
むろんベルナノスが太宰治を読んでいるはずもないので偶然の一致であった

同じころに同じくカトリック作家のジュリアン・グリーンのアドリエンヌ・ムジュラを読んだ
これも若い女性が懊悩のはてに自殺する話でただただ暗いなんの救いもないものであった
ただ読後、不思議な感動があった
暗い救いのない小説を探している方はカトリック作家の小説を読んでみるといいかもしれない

僕はキリスト教神秘主義の自己が不可知の曇の中で解体され絶対的な無に至るプロセスに興味を持ってはいるがクリスチャンだったことはない
ある日、公民館の書棚にトルストイのイワンのばかがあることに気づいた
適当に開いたところ読んだ
人はなにによって生きるかのミハエルが光かがやく天使に姿を変える場面を読んでいて唐突に目に涙があふれてたえられなくなった
これはいまだに理由がわからない
人の多い公民館でイワンのばかを読んで号泣しているおっさんというのも引きでみるとかなり異様なのでなんとかこらえた
まわりに人がいなければ大泣きしていたと思う
護教であれなんであれ文学には人の心を破裂させる力があるようである

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