加藤智大が入っていた四角い箱
このツイートは日本社会の空気をよくとらえている
ただ人を処刑しても問題の根がなくなることはない
東武伊勢崎線に小菅という駅があって何年か前に一度降りたことがあった
この駅のホームから東京拘置所がみえる
それは、あれは有名な私立の大学なんだといわれればそう思ってしまうようなモダンで清潔なデザインの建物である
午後で通勤客が乗り降りする時間帯ではなかったので駅はひっそりしていた
東京拘置所はものものしい塀で囲まれた一般的な刑務所とはイメージが違う
道にそって用水路があってそこをくろぐろとした大きな鯉がゆったりと泳いでいた
写真をパチリパチリと撮っていたのだが、撮影禁止の掲示があって慌ててカメラを鞄にしまった
しばらくは職員がカメラを没収しにくるような気がしてちょっと怖かった
そのときオウム事件のMや首都圏連続不審死事件のKや今朝、処刑された加藤智大があの建物の中にいるのだと考えたがどうも実感がわかなかったことをおぼえている
そのまま歩いていると国鉄総裁だった下山定則の轢死体が発見された場所に出た
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
この事件は戦後最大のミステリーなどともいわれ結局、下山定則という人物が轢死体で発見された、ということ以上のことはなにもわかっていない
さらに歩くと公園があって親子が楽しそうに遊んでいた
周辺は普通の住宅街であった
加藤智大が書いた本は何冊か読んだことがあった
それは並の哲学書より難解であった
この本は犯罪の防止という大義名分のもとに書かれているが、実際は加藤の“言い分”を極めて屈折した形で記したものである
その屈折の具合が常人の思考をはるかに超越しているため理解するのは極めて難しい本となっている
というかあまり理解しようと思って読んでいる人はいないかもしれない
個人的に思うのは、人が無意識の欲求を知るのは大変難しいということである
加藤には自身を虐待した母親への憎悪があった、はずである
しかしその憎しみは何重にもプロテクトがかかっていて加藤の意識上に浮上することはなかった
しかし欲求は無意識の中で一切消えることはなかった
その憎悪を何か代理的に発散することもなかったようだ
抑圧があまりに強かったために
しかし加藤はこういう“解釈”を完全に否定すると思う
そうではない、そうではないと否定するが、ではなぜあのような凶行におよんだのかと訊かれても答えを出すことができない
ただほとんどの人は加藤智大と同じレベルの意識状態で生きている
なにか決定的なことをやってしまったあと、になぜああいうことをやってしまったのだろう、と考えても答えは出せないのである