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“死”を考えること

保守の論客(何とも恥ずかしい呼称ではある)と呼ばれた福田和也や唐沢俊一の訃報があって高齢男性独身者のリアクションが多少あった気がする
先に独身男性の平均寿命が67歳であるという統計があって、これはあくまで平均だから別に67で死ぬと決まったわけでもなんでもなくて場合によっちゃあ67を待たずして亡くなるというケースもあるわけで、気にしない気にしない自分はそんなの気にしないよ迷信だよ迷信さ、だけどちょっとだけどちょっとボクだって怖いなオバケなんてないさあるわけないさ寝痴けた人が見間違えたのさ的なアレがある人もいたというわけである
結局ハイデガーの入門書ってなんで売れるのか知ってますか?
死の哲学だからですよ
なんのかんのいってみんな死が怖いから更には無意味な人生が恐いからハイデガーに走るのです
ハイデガーがどんなに否定しても結局ハイデガーは人生論として読まれてるわけです
そうじゃないですかハイデガーさんよおあなたは実存的に自己啓発的に読まれたからこそ歴史にその名が遺ってるわけぢゃないんですか?
もし実存的に読まれなかったらあなたの名前なんざどこにも遺っちゃあいませんぜ
ナチドイツの御用学者の一人としてしか遺ってなかったんぢゃあありませんかねそうぢゃあありませんかハイデガーさん
でも死を考えるってそんなに意味があることなんですかね
スピノザさんは死を考えても意味はないといったそうです
確かそんな話を聴いた覚えがあります
実際、意味なんてないんだよ
生や死について考えても
何も考えないのが一番なのさ
学を絶てば憂い無しとはよくいったものさ
二千年前に既に答えは出てるのさ
あとは哲学なんて同じことの繰り返しだもんね
みんなごちごちの保守反動の反ユダヤのドイツのプロテスタントのハイデガーさんなんか早々に見限ってそのまま人生を生きようね
繰り返しになるけど自覚しようが考えようがどうしようもない煮ても焼いても喰えないのが人生であり存在なんぢゃないですかね?


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