古代の南極
Forbesの元編集長ベンジャミン・フルフォードが、スコットが1912年に行った南極探検の写真を公開した。
以下のリンクが公開された写真だ
https://prepareforchange.net/wp-content/uploads/2022/12/Artic.pdf
以下は、これら写真の一部である。
驚くべきことに、古代の文明の遺跡のようなものが写真に収められているのである。
かつて、南極には、文明が存在していたのであろうか?
以下はローマのPalazzo Farnese(ファルネーゼ宮殿)の地図室である。
部屋全体が世界地図のフレスコ画で装飾されている。
南極大陸が緑色で描かれ、南米への陸橋が描かれているのがわかるだろう。
このフレスコは1574年に描かれたものだ。
かつて、南極への行き来が可能であったっと思わせるものだ。
ハンコックのピリ・レイス地図がある。
この地図で最も重要な点は、南極大陸の描写であろう。
南極大陸が正式に発見されたのは1773年で、ジェームズ・クック船長によるものだった。
しかし、この地図では凍った大陸が現在よりもはるか東に描かれており、雪と氷の覆いも少ない
南極大陸が氷のない状態だった最後の時期は紀元前4000年だったとする多くの研究結果があるが、米国空軍偵察技術飛行隊(SAC)は、この謎の地図は「海岸線が氷冠に覆われる前に測量されていたことを示している」と信じている。
ケンブリッジ大学の歴史家で地図製作者のクリストファー・アダム氏は、「歴史上最も不可解な地図の1つは、1513年にトルコの提督ピリ・レイスが南極大陸の海岸線を500年以上前に測量した地図である」と述べている。
ピリ・レイスの地図の正当性は、1960年にハロルド・Z・オールマイヤー中佐がチャールズ・ハプグッド教授に宛てて書いた地図のさらなる調査の要請を受け入れる手紙によって裏付けられている。
ピリ・レイスは、南極大陸に入っていた可能性は高い。そして、人の居住もあった。
以下南極大陸の地図、上部の拡大部分には、Philippopolisという町が南極大陸の対岸に存在している。
ピリ・レイスが地図を描くのは、さほど難しくなかったに違いないだろう。
そして、南極大陸は、緑豊かだったのである。
不可解なことは一つある。
上の1598年の地図をよく見てみれば、Tropic Capricornと書かれた線が見えるだろう。これは南回帰線である。
現在の南回帰線は上の地図の赤いラインである。
この南回帰線の解釈は、大陸が移動したのであろうか?