月を眺められたら
満員電車。
さすがに発車のアナウンスが流れながら駅員の方にぎゅうぎゅうに押されて乗る満員電車はしばらく乗っていません。
緊急事態宣言後の電車はけっこうまばらでリュックも前に持ってこなくても大丈夫なくらいパーソナルスペースが確保されておりました。
最近はというとリュックを前にもってこなくてはいけない人の密集具合で例えるならジェットコースターを待っている列くらいの人口密度であります。
リュックを意気揚々と背負っていたあの日々がいつの間にか消え去り毎朝のストレスの原因になっていた満員電車がやや息を吹き返しつつあります。なんてことでしょう。
そもそも見ず知らずのどこの馬の骨(古い?)かもわからない人たちと肌が触れ合う距離で長い事拘束されていた事がおかしかったのです。温度も匂いも伝わる空間では本を読むかケータイをいじることぐらいしか気を紛らせませんでした。
満員電車にも時間帯によってタイプが変わります。ここで挙げる違うタイプは終電間際の電車が該当します。
終電間際の電車は匂いもまた朝とは違う匂いで騒がしい車内というのは想像に難くないかと思われます。飲み会帰りの人で充満する空間はシラフでその局面を迎えたらより一層地獄です。
さらに吐瀉られたら一生の地獄で、そんなリスクを孕んでいる密閉空間というのは今考えるととてつもなくおそろしいものです。
酔いも回り本も中々中身が入ってこなく、ケータイも充電が切れてしまった終電間際の電車は周りの人を観察するくらいしか気を紛らわせないもんでした。それでも僕は何か気を紛らわせたいときおしゃれな事を言いたいわけではないのですが月を眺めていました。
今にも気絶しそうな吊革に掴まるおじさんや近くでほぼ前戯にちかいレベルでイチャイチャしている飲み会帰りの男女も仕事帰りの方もいる空間。そんなそれぞれの人間味の溢れた空間にいることから離れた今でこそ電車の中から無心で月を眺めてはいかがでしょうか。
僕は何も思いませんでした。きっとこれからも何も思いません。それでも意味のないことを無心にできるという事が自分自身に何かをもたらしてくれると期待をしてしまうのです。
余裕のない今だからこそ月を眺められたら。
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