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連続するふたつの。(詩とエッセイ①)

今回のnoteは壹岐による詩とエッセイです。 

 こんにちは。壹岐です。
 今回から、「詩とエッセイ」というあいまいな枠組みをつけ(「詩と批評」、「詩と思想」があるというのに……)て、エスキースを、iPhoneのノートに残されていた行動の記録を頼りに、いくつかの文章を書こうと思います。


            ☆


2023/06/28
 水曜は、二限にあるドイツ語だけで、そのあとは大抵バイトが入ることが多いのだが、今日はバイトもなく、午後がまるまる空いていたので、散歩に出ることにした。最近はずっと暑いので、もう靴下を履かない。あたらしいクロックスをこの間買った。もう何年も履いていたのが、ついに地面とあと数ミリになる、そのくらい薄くなっていたので、買い換えだと思った。まだ捨てていなくて、適当なときにサッと履けるので重宝している。

 動物の糞のにおい、獣のにおいを嗅ぐと詩が書ける気がする。すごく個人的だ。動物園のベンチに座ってじっと待つ。感覚が冴えるような場所だ。
 久しぶりに上野に行こうか。このところ美術館も行けていないし、なにより上野は江古田からだと意外と遠い。

 先週は日暮里で降りて上野迄歩こうとしたのだが、結局鶯谷で乗ることにしたのだった。暑くてたまったものではない。


 それで今週は、上野動物園に行くことにした。東博ではメキシコ展がやっていたりするのだが、博物館美術館の気ではなかったということ、平日でもやはり上野は混んでいて、どこ行っても人、だったらまだ屋外のほうがいいのかもしれない。チケットはアイアイだった。
 パンダを中国へ帰したからといって、パンダブームが去ったというわけではなさそうだ。売店、たくさん並んだパンダの顔が、白、黒、白、白、白……とオセロみたくなっている。ゾウもいるしペンギンだっている。カモシカもいた。
 バイソンのにおいはいい。これぞ動物といった感じがするのだ。暑そうだ。

 いろんな言語が混ざり合って一つの言語を形成しようとしているみたく、ああ、あっちからは英語が仏語(かもしれない)が独語(かもしれない)が中国語が、また日本語だけれど「エグい」「エモい」とか、新しいことばが入り込んできた。
 毒をもつトカゲ、荒野のような展示室を闊歩したカメ、ハイギョが絡み合いながらひとつの筋みたくなった。

カモシカが岩場にいる。草を食んでいた。

 カモシカが高台から見下ろしていた。牛の仲間らしい。


            ☆


彗星 尾を引いて

閃光 夜の空に 広がる

幼虫 蝶になって

空中弧を描いて 消え去る

誕生 消滅
繁栄 衰退

天体 膨張

惑星 回転
現在進行中

(Cornelius「無常の世界」より)

 蝶が飛ぶのを見るようになって、ぼくは蝶が嫌いなのだが、蝶になるまでにいちど液体になるのだと聞いたとき、この世のものではないような気がしてならなかった。蛹の中の、元は幼虫だった生物が、液体から翅をつくる。膨張をつづける宇宙ではそんなことなどありきたりなのだ、それに地球は回転もしているし、無数のエネルギーが張り巡っている。
 Corneliusのあたらしいアルバム『夢中夢‐Dream In Dream‐』は、夢の中を、あるいは時間/記憶の中でいまにも溶けていくようなものを、確かに掴もうとする。夢と永遠があり、しかしここには終りがある。輪郭が曖昧になりながらも、みずからの夢を見失ってはいけない。

植物
草は緑色をもたない
縦横無尽に生えてる細長い髪の毛みたいな白い根っこ
歩いてくる手に
なにか包まれている
  いたよ

(青柳菜摘『そだつのをやめる』から「土のなかのチョウ」より)

 動物園、また今日歩いていた中で何匹も虫を見た。もう三〇度を超えたのだという。虫はこわい。しかし、遠くから見ている限りは、どこか儚さを伴ったやつらの飛行軌道を、ずっと見ていたいという矛盾をかかえている。
 青柳菜摘氏の詩集『そだつのをやめる』にはたくさん生物が登場してたのしい。造本のうつくしさも見事だ。また、視点、語り手が人間ではない詩が収録されているというところもおもしろい。虫の視点から語られる諸行無常。うまれて、そだつことに対する違和感。この世界では均等に、生きるもの達すべてに青柳氏の視線が注がれる。種の垣根をこえて語られる、生命の可笑しさ、儚さである。


 動物園を一周する間もなく、途中で退園してしまった。あまりにも暑い。動物たちも、心なしか萎びれて、ほっそりしているように見えた。サイが、砂場でぐるぐる回って、中央に垂れたオレンジ色のボールが惑星みたいで、サイの周りに立つ砂埃が、靄みたいで幻想的だった。
「オオサンショウウオどこ!」、こどもが両生類爬虫類館で、展示ケースにびたっとくっついて見ていた。ぼくもオオサンショウウオを見つけることはできなかった。背景に同化していたのだろうか。
 オカピを見つけることもできなかった。ほんとにいるのだろうか……オカピ、と書かれた檻の中に、なにか、幽かな気配を感じ取ろうともしたのだったが、隣のキリンに目を奪われる。首のしなやかさ、模様のおもしろさ、舌のあまりにも長いのを見ていた。
 カンガルーの疲弊して、だらんとして、もう胡坐をかいているような姿勢に笑ってしまう。まったく泳ごうとしないペンギンもいた。いい。


            ☆



 そうして帰ってきて、ひとつ詩を書いた。あるいは、詩になる以前のエスキースのようなものである。歩くこと詩を書くこと見ること。なにか生物の観察日記をつけたいと思ったきょうである。(続く)

「悪い旅」


(文責:壹岐)

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