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台湾の「ITの神」 オードリー ・タン

皆さんはオードリー ・タン氏をご存知だろうか。

台湾史上最年少で入閣、中学中退、15歳で起業し成功を治める、トランスジェンダー、IQ180以上……などとにかく耳目を集める経歴と特性もあり、オードリー・タン氏への注目は大きく高まった。

かく言う自分は勉強不足でごく最近知ったのだが、調べれば調べるほど「すごい」人物なので、自分のためにも、知らなかったと言う人のためにもここにまとめてみようと思う。

来歴

1981年台湾生まれ。幼少期からコンピューターに興味を持ち、インターネットの登場とともに8歳から独学でプログラミング言語を勉強。12歳でPerlを学び始めた。14歳で中学を中退し、15歳でIT企業「資訊人文化事業公司」を起業。開発したソフトウェア「搜尋快手(FusionSearch)」は全世界で約800万セットを販売した。その後19歳で米シリコンバレーに渡る。

2005年、Perl 6(現:Raku)のHaskellによる実装のPugsを開発したことで知られ、「台湾のコンピューター界における偉大な10人の中の1人」とも言われている。同年、外見と自己意識を一致させるために、名前を変更するなどの女性への性別移行を始めた。性別移行を開始した後、ブログ上において「私の脳は私が女性であると認識しているのに、社会的にはそうでないことが要求されるので、私は長年に渡って現実世界を遮断し、ネット上で生活をしてきました。」と述べている。「鳳」の英語読みを日本語の「おおとり」から取った。東森電視のニュースチャンネルは彼女のIQが180以上であると報じた。

その後、米Appleや台湾BenQの顧問を歴任。

2014年、ビジネスからの引退を宣言。同年「ヒマワリ学生運動」のネット中継に携わり、この支援を機に公共問題に関心を持つ。

2016年、蔡英文政権の行政院の政務委員(閣僚)に登用される。台湾で35歳という史上最年少かつトランスジェンダーで世界初の閣僚(デジタル担当大臣)となった。部門を超え、行政や政治のデジタル化を主導する。

2019年1月、米外交政策専門誌『フォーリン・ポリシー』の2019年の「世界の頭脳100人」に選出される

2020年、最寄りの薬局とそこにあるマスクの在庫数がリアルタイムで表示されるマスクマップの開発、東京都のコロナウイルス対策サイトの修正に参加など、コロナウイルス対策に尽力。

開発者経歴

HaskellコミュニティーとPerlコミュニティーから、Raku(Perl 6)処理系を実装するプロジェクトであるPugsの創始者兼主要開発者として知られている。また、彼女はSVK・Request Tracker・Slashを含む幾つかのフリーソフトウェアの国際化と地域化に対する貢献や、オープンソースに関連する様々な書籍の繁体字中国語への翻訳も行っている。

CPAN上において、2001年6月から2006年7月までの間にPerl 5向けのクロスプラットフォームのパッケージング・デプロイツールであるPerl Archive Toolkit (PAR) を含む100以上のプロジェクトを開始した。また、彼女はCPANのスモークテスト(英語版)の設定とデジタル署名システムのメンテナーでもある。2005年10月には、オライリーメディアがアムステルダムで開催したカンファレンス (European Open Source Convention) でPugsについて講演を行った。

オードリー・タン氏が24歳でプログラミング言語perl 6のHaskell実装「Pugs」を開発し、Perl 6の世界を大きく広げるのに要した開発期間はわずか数カ月だった。また、中学時代にはすでに海外の著名な大学教授たちと一緒にインターネットを通じて仕事をしており、その結果進学に意味を見いだせず中退を選んだという逸話もある。

優秀なプログラマーであるオードリー ・タン氏は、オープンソース・ソフトウエア・プログラムにおいては世界レベルの高い技術を持つ。19歳で創業してネット企業の社長を経験し、2014年ごろ米アップル・コンピューターのデジタル顧問に就任した。アップルでは、Siri(バーチャル・パーソナル・アシスタンス)など高レベルの人工知能プロジェクトに携わった。

当時、アップルと結んだ契約は時給=1ビットコイン(14年当時は1ビットコインが5、6万円。現在は100万円台)。氏自身が創業で作った資産と、後に価値が高騰したビットコインを合わせれば相当な金額の資産を有するようになった。

政治経歴

2016年8月、オードリー ・タン氏は林全内閣の政務委員に任命された。10月1日にデジタル担当の政務委員に就任し、35歳での閣僚就任は台湾史上最年少となった。

彼女は

「デジタル技術とシステムによって政府の問題解決を補佐し、民間と政府のコミュニケーションの促進と強化を行う。自分の役割は特定の団体の利益のために動くことでも、政府のために政策の広報を行うことでもなく、より多くのアイデアと力を結合させる『パイプ』となることだ。」

と述べ、政務委員としてこれに取り組み、若年層と高齢層のジェネレーションギャップを埋め、パブリック・アクセスのためのフリーソフトウェアの開発し、台湾の新たな共有経済が実際に機能することを示した。

また、彼女は中国(中華人民共和国)と台湾は地理的には近くても正反対の価値観を持つとし、前者が社会信用システムやインターネットを民衆の監視および制御に利用しているのに対して後者はインターネットに政府を監督する役割を求める開かれた社会を築いているとして台湾の民主主義を損なうフェイクニュースを防止する技術開発などに取り組んでいる。

さらに、理念としては「徹底的な透明性」(Radical Transparency)と呼ばれるものを挙げており、公開できる、あらゆる情報がインターネット上にあることで、政府の官僚や大臣が何をやっているのか、何を考えているのかを全部知ることができ、人々が「国家の主人」になれるというビジョンを掲げている。

オープンガバメントにまつわる彼女の具体的な取り組みとしては以下のものが挙げられる。

・情報の透明化を推進するプラットフォーム「零時政府g0v.tw」の構築
・オンラインで法案を討論できるプラットフォーム「vTaiwan」の構築
・台湾各地の課題の解決策を市民・有識者から募り、政策に取り入れるコンテスト「総統杯ハッカソン」の実施
・フェイクニュース対策に特化した「フェイクインフォメーション調査室」の運営
・オープンソースの「マスク在庫マップ」をボランティアのエンジニアらと制作・公開

その他の話

両親はともにメディアで仕事をしており、考え方は知的で開明的な人々だった。父親は読書を愛好し、お金があれば本に使うような人だった。平等主義者でもあった父親は、大人に接するのと同じ態度で接し、小学生の頃からひたすら質疑を繰り返す「ソクラテス式問答法」の対話を続け、自分の書棚にある数学や哲学の本を自由に読ませた。このような家庭で育ち早くから知性の輝きを見せた。

小学校の知能指数(IQ)測定では、「少なくとも160」を記録した。これはWSIC式と呼ばれるIQ測定では最高レベルの数字だ。オードリー ・タン氏のIQは180という説があるが、本人によれば誤解であり、本当の数字は「測りきれない」だったという。なぜなら数値が高すぎて制限値をオーバーしていたらしい。人々がIQの高さを話題にすると、自分で「皆さん、私の身長とIQを混同していませんか」と言ったり「ネットの時代はみんな誰でもIQは180です」と言ったりして、笑わせている。

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一般の子供は学校教育のなかで小学校から高校まで学び、大学に進んだり、大学院に進んだりするが、オードリー ・タン氏の学歴は中学校中退にすぎない。幼少期には9年間で3つの幼稚園と6つの小学校を替わった。彼女にとって、学校生活は、楽しさより苦痛の多い日々だったという。

先生たちの教える内容はすでに理解されており、授業で新しい知識は学べない。非常に記憶力がいい一方で、細かいことに拘らないので学校にハンカチやティッシュを忘れて先生に叱られることも多かった。聡明すぎて同級生から敵視され、小学校で優等班に編入されたあと、彼女にとって災難が始まった。

台湾では親も子供の成績に関心が強く、優等班の中では常に激しい競争が行われ、いつもクラスで一番の彼女は、同級生からいじめを受けた。一番になれないことで親から殴られた同級生は、彼女に対して「あなたが死ねばいいのよ、そしたら私は一番になれるのに」と言ったという。

彼女は先天性の心臓病を抱える。激しい感情の変化にあうと、顔色が紫色になり、卒倒することもある。「自分は身体的に怒ることができない人間」だという。あるとき、同級生に殴られて壁にぶつかって気を失い、母親に自宅に連れて帰られて服を脱がされると、胸に大きな青アザがみつかった。同級生に蹴られた跡だった。

彼女はその後、学校に対して恐怖心を抱く。登校拒否、復学、休学、復学などを繰り返し、中学中退後、2度と学校の門はくぐらなかった。

14歳のとき、家族の同意を得て、台北郊外の烏来という場所で、数週間1人で閉じこもって考え抜いた結果、彼女は、ある結論にたどり着いた。

学校に学ぶものはない。

当時、彼女は中学校の科学コンテンスで入賞しており、名門高校への推薦入学が保証されていたが、その道を選ばなかった。学校での知識は、ウェブで知り得ることに比べて10年は遅れているように思えた。もしそうであるばら、直接ウェブから学べばいいではないかと考えたのだ。

天才は語学にも強く、小学校のとき、母親と一緒に欧州に1年修学しており、ドイツ語やフランス語にも通じている。ウェブで世界各国の学者や専門家から教えを受けることができた。質問を受けた外国人は、相手が知的好奇心の強い大学院生か何かと思い込んでいたらしいが、実際は中学校を中退したばかりの若者だったのである。

学校から永久に離れるという決断は、家庭にも大きなインパクトを与えた。自己学習で、しかも起業したいというのだ。祖父母や父親は反対したが、賛成したのは母親だった。母親はメディアの仕事をやめて実験的な学校を設立した経験もあり、学びは決まった一つのルートだけではないという考えを持っていたので、彼女の最大の理解者となった。

14歳で学校を離れたオードリー ・タン氏は、16歳でコンピューター会社の経営に参画し、企業社会に足を踏み入れた。プログラマーとしても、経営者としても、順調な歩みを続けた。複数の企業を立ち上げ、アップルやオックスフォード出版など著名会社のデジタル顧問に就いた。

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デジタル担当大臣になったあと、オードリー ・タン氏は政策についてパブリック・オピニオンを募るネット上のプラットフォームをつくり、国民に対して、実施可能な政策アイデアを出すように求めた。政府と民衆の境界線を打ち破り、社会の本当の声が、政府にしっかり伝わる仕組みを作ったのだ。

台湾は環境保護を重視しているが、2019年7月にはプラスチックのストローを全面的に禁止した。この政策の出発点は16歳の高校生の女の子が、このプラットフォームで提案したものだ。このアイデアに5千人が賛同し、環保署(環境省に相当)が政策として法制化した。台湾はタピオカミルクティーが有名で一年で10億杯ものドリンクを消費すると言われる。その大きな変革は、彼女の作ったプラットフォームで1人の女子高校生の提案から始まったのである。

台湾は長きにわたり中国の圧力で国際組織から排除されていたが、オードリー ・タン氏は国際連合の会合に参加できる方法を思いついた。デジタル方式の参加であり、台湾の声を世界へ送り届けるにあたり、科学技術と外交を組み合わせる方法を編み出している。

大臣ではあっても、彼女にはまったく「壁」や秘密というものがない。すべての仕事の議事はネット上で公開されている。政府の政策会議に参加するとき、その場で自分のパソコンに議事録を打ち込み、会議が終わった途端に10ページ以上に及ぶ議事録がネットで公開されてしまうこともある。

毎週水曜日のオフィスアワーは対外開放となっており、政府に何らかの提案がある人は、年齢や職業を問わず、彼女とアポイントをとることができる。そのほか、夜には、台湾内外のグループや専門家、クリエイティブな人材を集めた会議を開く。食べ物も用意され、時には深夜11時まで議論が続くこともある。

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25分間仕事するごとに5分間の休憩を取る。また、毎日必ずメールボックスのメールを捨て、「To Do リスト」のやるべきことを残さない。

多忙な日々のなかでも、毎日8時間の睡眠を確保することが、彼女の健康の秘訣だ。「問題を考えながら眠り、起きたときには答えが出ている」。彼女にとって、睡眠は大脳に癒しと閃きをもたらすようだ。

もう一つの癒しは、毎週決まった時間にフランスにいる精神分析医と45分間の対話を行っていることだ。この対話は、日本の小説家である村上春樹が毎日行なっているマラソンと同じで、彼女にとって常にベストのパフォーマンスを発揮するために必要な精神的なデトックスとなっているのだ。


参考

唐鳳 - Wikipedia

台湾の「ITの神」オードリー・タン 若き天才デジタル大臣の歩みと“すごさ”をわかりやすく解説!

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