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箱根、江之浦を行く(3) 小田原文化財団 江之浦測候所 (Enoura, 2019.10)

Day1(Sat.) 東京→箱根
Day2(Sun.)箱根→小田原→江之浦→東京(本記事)
この旅の動画はこちらからご覧ください。

江之浦測候所は注文の多い場所(アート空間またはランドスケープ)だ。

見学は日時指定の予約・入替制。当日券も若干あるようだが、基本は事前にウェブサイトから購入してコンビニで発券し、当日持参しなければいけない。前売券は3,000円、当日券は3,500円。

アクセスも良いとはいえない。小田原駅から約7分のところにあるJR東海道本線 根府川駅(無人駅)から送迎バス、もしくは車でしか来場できないし、周りにはコンビニをはじめとしてお店はほぼ無い。

極め付けは見学者に対するスタンスだ。

近代以前の人口密度を体感していただくため、入場人数を限らせていただいております。 (略)
※施設内の特性とお客様の安全性を考慮し、中学生未満のお客様のご来館はご遠慮いただきます。(公式webサイトより)

"近代以前の人口密度を体感"とは…?

どのような場所なのか調べようとして公式webサイトを見ても、正直何が何だかわからない。ついでに言うと、設計者である杉本博司氏のこともいまだに掴めない。彼は写真家なのか?蒐集家なのか?古美術商か?それとも現代美術作家か?(…ひとつの肩書に絞ろうとすることがナンセンスだと言われているかのようだ)

そんな杉本博司氏が、これまで蒐集した宝物を惜しげも無く公開しているのがここ江之浦測候所だ。
こちらの記事によると、ギャラリー・屋外舞台・茶室・庭園などで構成されており、杉本氏が蒐集したコレクションを展示する場として「構想10年、工事10年」の年月をかけてつくられたものだそう。いわば氏の"秘密基地"のような場所なのだろう。
※杉本氏自身の思いや考え方はこのインタビューに詳しい。この土地は元々は蜜柑畑だったのだという。

前置きが長くなった。このように"客を選ぶ"場所ではあるのだが、結論としては最高の空間だった。訪問した今なら、公式webサイトに並ぶ意味深長な文言(コンセプトなど)がある程度理解できる。建築や石庭が好きな人、かつ足腰がある程度丈夫な人には是非とも訪問を勧めたい。

江之浦測候所へ到着

日曜日13時過ぎ。江之浦測候所の駐車場へ到着。スタッフの方が丁寧に説明してくれる。13時30分からの見学開始に向けて、続々と車がやってくる。

13時15分、入り口付近。既に開門しており、待合棟へ通される。36ページからなるパンフレットが配られ、見どころや注意事項が説明させる。

その後は、"どうぞご自由に。16時30分まで滞在できますよ"ということで、自由に園内を見て回る(園内の案内はなく、パンフレットを片手に自分たちで探しまわる)。どこから見ようと、どう見ようと見学者の自由で、まずは作品や空間との出会いを大切にしてその後パンフレットの解説を読んでもいいし、解説を読み込んでから回ってもいい。

夏至光遥拝100メートルギャラリー

園内は大きく分けて竹林があるエリアと、建築・石庭がメインのエリアに分かれており、両者は徒歩数分の距離だ。我々はまず、建築・石庭のエリアにあり待合棟の目の前に位置する100メートルギャラリーに入ってみることにした。

このギャラリーの正式名称が"夏至光遥拝100メートルギャラリー"だ。夏至の朝、相模湾から昇る太陽光がこの空間を数分間に渡って駆け抜けるように設計されているされているらしい。夏至の朝に訪れてその様子を見てみたい。

パンフレットによると、海抜100メートル地点にこの100メートルギャラリーを建てたのだそうだ。壁面には写真家としての杉本氏の作品が展示されている。

重い扉を開けて外に出ると、ギャラリーの先端部分は吹きさらしとなっており、竹林・蜜柑畑のエリアを眺めることができる。

ところどころに配置された光学硝子(プリズム)の支柱が美しい。

光学硝子舞台と観客席

100メートルギャラリーから出て、根府川で採石された石を使った"浮橋"を渡り、門をくぐる。このレリーフは、ベネチア、グランドキャナルの商館のファサードに嵌め込まれていた12-13世紀のものなのだそうだ。旧約聖書に書かれたエデンの園にあったとされる生命の樹をモチーフにしているらしい(というような蘊蓄が49項目(箇所)にわたりパンフレットに記載されている)。

鉄製と思われるトンネルの上を歩くことができる。正確にいうと、先ほどの門をくぐったときから上を歩いていたのだが、門を抜けたところでようやく構造に気づいた。

先端にちょこんと置かれた止め石が可愛い。止め石の先にも足跡が付いていたので、以前は置かれていなかったのか、はたまた止め石があっても進んでしまう猛者がいるのか・・。

トンネルの上のすぐ横は、檜の懸造りの上に硝子が敷き詰められた舞台になっている。そして、その周りには古代ローマ円形劇場を模した観客席が作られている。

穏やかな海、豊かな自然、そして硝子や金属を使った作品。瀬戸内海、特に直島で見た景色が思い起こされた。景色と芸術が融合している(インスタレーションと美術館から構成されており、景色があってこその作品群である)点でも類似している。

硝子舞台が印象的なので、様々な角度から撮影した。普段は立ち入り禁止だが、イベント時には演者がこの舞台に立つそうだ。スタッフの方に聞いたところ、硝子が割れることはないのだが、滑るので危険なんだ・・というようなことをおっしゃっていた。

続いて、竹林エリアに向かう。

竹林エリア

先ほどの硝子舞台とトンネルが見える。

さりげなく配置されているこの木は、6500万年以上前の新生代の木化石だ。"悠久の昔、地震による土砂崩れなどによって地中に埋もれ化石化した樹木"なのだそうだ。

先ほど直島との類似性について言及したが、直島との違いは園内全体が杉本氏の美意識やこだわりで埋め尽くされていることと、"石"にフォーカスがあてられていることだと思う。まるで全体が茶室と露地であるかのように計算された空間だ。緻密・繊細である一方で、場をつくってもてなす側の自由な精神が発揮される点でも茶室・露地との類似性が見られる。

昭和30年代、蜜柑栽培が盛んだった頃に使われていた道具小屋を整備して、化石のコレクションが展示されている。

化石のみならず、昭和30年代のものなのか、ひょっこりひょうたん島がプリントされた水筒も無造作に配置されていた。その他、豊臣秀吉軍が建てた禁制の看板や、縄文後期の石棒(祭祀用具)なども展示されていた。10月だというのに何箇所も蚊に刺された。夏の間は虫除けスプレー持参必須だ。

これは、実に杉本博司氏らしい作品だ。"数理模型 0010"という名前が付けられている。いわく、"数学上の双曲線関数を目に見えるように模型化した"とのこと。

こちらも硝子部分が美しく、見入ってしまう。

蜜柑畑の小道を抜けて、竹林エリアから再び建築・石庭エリアへ戻ってくる。

100メートルギャラリーを横から眺める。

冬至光遥拝隧道

円形石舞台(大名屋敷の大灯篭を据えていたという伽藍石を中央に配置し、その周りを京都市電で使われていた敷石で囲んでいる)まで来ると、先ほど見た鉄製のトンネルへの入り口が。

このトンネルは、"冬至光遥拝隧道"と命名されており、冬至の朝、相模湾から昇る陽光がこの70メートルあるトンネル(隧道)を貫き、石舞台向かいに配置された巨石を照らすように設計されているそうだ。
名前のとおり、"夏至光遥拝100メートルギャラリー"と対比されている。夏至の日の出と冬至の日の出を極限まで意識した設計だ。そして、パンフレットによると春分・秋分の日の陽光が貫く道もきちんと設計されている。

このあたりで、ようやく、測候所という名称の意味と、掲げられた「天空のうちにある自身の場を確認する作業こそがアートの起源」というコンセプトとの一致を理解し始めた。

新たなる命が再生される冬至、重要な折り返し点の夏至、通過点である春分と秋分。天空を測候する事にもう一度立ち戻ってみる、そこにこそかすかな未来へと通ずる糸口が開いているように私は思う。(公式webサイトより)

何とも壮大な話だ。

トンネルの途中には"光井戸"という採光のための井戸が設置されている。井戸枠は室町時代のもので、そこに光学硝子の破片が敷き詰められている。雨が降るとどのようになるのか興味がわく。

トンネルの先には相模湾を臨む景色が広がっている。直島の護王神社の裏手には同じようなトンネルがあり、瀬戸内海を臨むことができた。同じ作者(杉本氏)なので当然といえば当然なのだが、直島での記憶が蘇って懐かしい気持ちになる。

茶室「雨聴天」

石舞台からさらに東に進むと、茶室が見えてくる。雨聴天(うちょうてん)と命名されている。

なんだか、有頂天のような愉快な名前だなぁと思っていると、

軸に書かれているのは"日々是口実"。言うまでもなく"日々是好日"のパロディだ。

と、こういったパロディ的要素はパンフレット中には一切触れられておらず、以下のように解説されている。

茶室「雨聴天」は千利休作と伝えられている"待庵"の本歌取りとして構想された。(略)ここ江之浦の地には、同じく利休作と伝えられる茶室「天正庵」跡がある。(略)秀吉が利休に命じて作られたと伝えられる。利休切腹の1年前の天正18年(1590)のことであった。私はこの土地の記憶を茶室にも取り込むことにした。(公式パンフレットより一部引用)

茶室の躙口前に置かれた光学硝子の沓脱ぎ石が美しい。

石舞台と石庭

もう一度、100メートルギャラリー近辺の石庭エリアに戻ってきた。

写真を撮りそびれたが、能舞台の寸法をもとに作られた、真四角の石舞台が設置されている。舞台の橋掛りに据えられているのは23トンもの巨石で、春分・秋分の朝日が相模湾から昇る軸線に合わせて設定されるらしい。演能が薄闇のなか始まり、背に朝日を受けながら舞台を去るという構想で設計されたとのことだ。

石舞台以外にも、配置されている石は、白鳳時代(645-710)、天平時代(710-784)など歴史のあるものだ。ただの石かと思ってスルーしそうになっていたが、パンフレットを読むと法隆寺の礎石、元興寺の礎石・・など詳しく解説されていた。

この井戸枠は、昭和7年頃、北大路魯山人が信楽の旅の途中に買い求めたものだそうだ。雨に濡れると緋色が映える・・とパンフレットに書かれていた。

野点席

石舞台の南にある、"野点席"。ここで、期間限定のイベント(現代アーティスト ティノ・セーガルによるプロジェクト)が開催されていた。

時間を変えて2回ほどパフォーマンスを見た。ミニマルな音楽を奏で(歌い)、身体で表現するパフォーマー(男性、女性など時々によって異なる)を横目に、盆略の点前を始める・・というなんとも不思議なパフォーマンスだった。できることなら抹茶をいただきたかった。

そこまでじっくり見たつもりでもないのに、気づけば滞在時間は約3時間。16時を回ってしまっていた。海や空の青、木々の緑、光学ガラスの反射、石やコンクリートのグラデーション・・本来何の解説もいらないような美しい景色を、パンフレット片手に読み解いていく楽しさ。

1点悔やまれるのは、パンフレット中の以下の記述について検証せずに回ってしまったことだ。日本の建築史をもっとよく知り、それと照らし合わせて検証しながら見学してみたかった。

財団の施設が、我が国の建築様式、及び工法の、各時代の特徴を取り入れてそれを再現し、日本建築史を通観するものとして機能する。よって現在では継承が困難になりつつある伝統工法をここに再現し、将来に伝える使命を、この建築群は有する。

この江之浦測候所には、この日記で紹介できなかったものも沢山あるので、興味と機会があれば是非訪問してほしい。私も、いつか再訪しようと思っている。