多様な分野の知識と体験を獲得しよう

アート、デザイン、テクノロジー、スポーツ等の各種分野において参考になる書籍の読破に加え自らの身体で体験する事で初めて、知識が身体に宿る。即ち「知識が無意識下に落ちる」と言える。

「東山魁夷館」に行って中国のモノトーンの絵画を見て絵画から伝わってくる引き寄せられる世界に溶け込もうとしてみたり、「ランウェイで笑って」で衣装を通して伝えたいデザイン性等を汲み取ってみたり、デザイン性の良い服を選んで着てみるものの、身体の無意識下に落ちた感覚となるのは程遠い。これは実際の現場で主に視覚とこれらメディアから得られるものであって、言語を通して認識、理解できているわけではないため、感覚や意識が身体の上で踊って着地できていないと言える。言語化された後の無意識下で無く、言語化されない意識上にいるとも言える。しかし、この意識上に散りばめた状態でカオスの欠片として置くことは脳を拡張させる観点や、言語化されていないからこそ起きるシナプスの連鎖、発火による新しいイメージの想起が多く、重要でな状態である。これは「非言語意識下の連鎖反応」とでも言えるだろうか。ただ、複数の事を考えると意識から飛んでしまうため、定期的に言語化して着地させてあげる必要がある。僕にとってNoteはその一端を担ってくれるものだと思う。

落合洋一の「魔法の世紀」は、無意識・意識を絶えず横断させてくれる良本であり、テクノロジーが社会に溶けて意識されなくなる魔法の状態(魔法の世紀)を身体に教えてくれる。

これら多様な分野に触れる事で新たな着想が生まれる事が多い。

しかし、多くの事をやるために高速で行おうとすると、脳への疲労が多く緊張型頭痛が悪化している気がする。いずれにせよ治らないため、身体に集中、瞑想することで対応したい。今日も限られた時間の中で楽しくやることを心に留める事、そして精神の不断の集中により想像できる限りの世界を、シャノン、アイバン・サザランド、ジェームズ・クラーク、アラン・ケイ、ジョン・ワーノック、エド・キャットムルが紡いで夢見た魔法の世界を実装していきたい。

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