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第89話 露腸亭日乗 正月の思ひ出

以下、誠に非常に不快な内容を含むので、読むのは辞めた方がよろしいかと存じます。
基本的には真面目な話のはず?なのだが、
それでもよろしければどーぞ。

自分の父親は三男である。長兄は出来が良くて師範学校から外務省に入り、各国の領事館などに勤務したらしい。今でいうノンキャリア官僚。
最後は国会図書館(四谷の迎賓館時代)のナントカ係長がラストキャリアだそうだ。

戦前の話なので家をでた長男に代わり、次兄(伯父)が所謂家督を相続して墓守をしたり、祖母の面倒をみていた。

自分が子供の頃の正月行事は自宅で雑煮を食べてから父の実家に行くのがお決まりだった。

伯父と父は国鉄(今のJR)の職員であり、伯父は鉄労、父は国労に所属する労働者であった。

2人とも、戦前のことなので過酷な体験をしている。空襲で死んだり戦死していても不思議ではない。

伯父は応召して陸軍に入隊しオリンピック作戦に備えて九十九里浜で蛸壺掘りと対戦車戦闘訓練(地雷抱いて戦車の下に潜りこむ?)に明け暮れたらしい。

父は横須賀で徴用工。横須賀なので絶対海軍関係のはずだ。もしかしたら空母信濃の溶接とかビス止めでもやっていたのかもしれない。
もっと、問いただしておけはよかったと思う。

傾向として男達は戦争体験はほとんど話さない。
母親や伯母叔母の女性達のほうが、
「こんな酷い目にあった」とか「真冬に宮様のお出迎えで1時間以上直立不動で列車の到着を待っていて辛かった」
「とにかく物が無かった」等々苦労自慢じみた会話が多かった記憶がある。

男の方が、思い出したくない、あるいは人に話すべきではない、という体験をしているということか?

子供の頃は従兄弟たちと遊ぶのに忙しいので、父親たちの会話には関心がなかった。

まともに彼らの話を聴くようになったのは大人になって一緒に酒を呑むようになってからだ。
戦前の軍隊時代などのことはほとんど話さないが、国鉄時代の労働組合間の軋轢についてはよく話して(激論?)いた。
2人とも退職して暫くたっているはずだが余程腹に据えかねることがあったらしい。

特によく覚えているのは、伯父が言っていた、

「国労の奴らが、後に入るのは自分達(鉄労の組合員)だけなのをわかっていて宿直室の風呂の浴槽に雲子をしていった」
という話である。
(結局そっちかい! というツッコミは敢えて受ける)

行為として人間としてどうよ?というのもあるし自分も使うものにできるか?というメンタルの強さにに対する疑問もある。

アナタ自宅の浴槽に雲子できますか?

次の日には洗うとはいえそこに入るわけである。

たぶん、もう使うことはないだろう、と思って公衆トイレを汚く使うとかイタズラするのとはわけが違うだろう。

伯父と父はとっくに故人だし、この話を聞いたのは平成の始めの頃のことだ。
事実かどうか、もう確かめるすべはない。

昔の日本人は礼儀正しいとか、節度があったという回帰願望的な論調がある。
しかしそれは前提どおなのよ?と思う。

戦争体験をした自分らの父親世代はなんというか、図太いというか、自分らとメンタリティが違うと思わざるを得ない。

というお話でした。




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