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どこに居ても


21時までのバイトから帰る電車の中で、商品発送のメールを眺める。前日の夜にこのメールが届いてから暇さえあれば開き、隅から隅まで読み込んでいた。普段届く広告とは違う、発送メール特有の文字の配列から、文字や写真でしか見ることができなかったアルバムが形になって自分の元へ届くという実感や非日常感が湧いてきて、何度読んでも思わずにやけてしまう。

家に着いてから宅配ボックスへ投函されていた段ボールを開け、アルバムを開封する。そこからCDと歌詞ブックレットを取り出し、CDプレイヤーを用意する。大きく「15」と描かれたCDを入れ込んで歌詞ブックレットを捲ると、

「クリープハイプ」

「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」

と、ページごとに区切られた文字が目に入り、その後にはもくじが続いて、新しく小説を読み始めた時のような感覚があった。そこからさらにページを捲ると、1曲目である「ままごと」の歌詞が見えたので、CDプレイヤーの再生ボタンを押した。


尾崎世界観のハイトーンボイスから始まるこの曲は、音に懐かしさや何度も聞いたかのような安心感があって、「今クリープハイプの新しいアルバムを聞いているんだ!」という実感をより強くしてくれる。

歌詞からは子供がままごとで夫婦のやりとりを真似しているような場面が連想される。「おかえりご飯にする?お風呂にする?それともわたし?」のベタなやりとりだとか、その後の「っていうかたわし」というフレーズから子供のあどけないかわいさが感じらるだけでなく、幼い頃に数えきれないほどやったままごとの記憶が蘇ってきた。

当時は早く大人になりたくて、ちょっと背伸びして「大人っぽい」言葉を使ってみたり、両親がしていたやりとりをままごとで真似してみたりしていた。「仕事をする」ということにも憧れがあったし、かっこいいことだと思っていたから、両親に「遊びが子供の仕事」と言われてから遊ぶことがより楽しく感じられていたのかもしれない。
きっとこの曲がなかったら思い出すこともなかっただろうから、この曲を世に出してくれたことが嬉しくてたまらない。

少しの間を置いて続くのは、歌詞にリスナーの声を取り入れた「人と人と人と人」。少し荒々しいギターの音から始まり、「朝を連れて走り出した5時」と続いていく。FM802と大阪ステーションシティとのコラボレーション企画で生まれた曲だからか、聞いていて浮かび上がる景色はは人通りの多い駅だった。
雨が降っていても風が強くても雪が降っていても晴れていてもなかなか仕事や学校は休みにならない。遅れないように暗い時間でも外に出なければならなくて、向かっている間に明るくなって朝が来る。駅には同じような人がいて、決して話しかけることはないけど、寂しさを共有しているような独特の心地良さがある。

朝早く起きるのは苦手だし、雨の日の満員電車なんか特に気分が下がる。でも、同じような不満を持った人で溢れるこの場所がなんだかんだ好きなのだと思う。

聞き心地のいい軽快なリズムを刻む「青梅」は、既に2023年の5月にリリースされている。デジタルシングルとして聞くのと、アルバムの中の曲として聞くのでは違う良さが感じられる。
ただ、具体的にここが違っててこんな良さがある!と言うことができない。無理矢理別の言葉に代えたとして、その言葉は本当に良さを表しきれていとは思えない。
逃げてるようでズルいし考えることを放棄しているだけと思われてしまうだろうが、アルバムで聞いたときのこの感じは言葉にしないで、なんか良いなと感じるままにしておきたい。

それはさておき、この曲の歌詞は韻踏みまくりで面白い。「真夏の湯気」「変な思い出」「真夏の焦げ」「そんな思い出」「砕け散る前」「砕け散る種」だとか、「出会ってる?」「であってる?」「決まってる」「知ってる」など、聞いてるだけで楽しい。個人的には「恋は幻 赤いうめぼし」の韻の踏み方が好きだ。
なにより、この歌詞をマッチングアプリの「Pairs」のために書き下ろしているのがもうすごい。「やっと見つけた運命と人だとか 笑えるそんな軽さで」をマッチングアプリに提供する曲の歌詞に書く人は尾崎世界観以外にいないだろう。

「いただきます」という言葉とおどろおどろしいベースの音で始まる「生レバ」。15周年記念公演で初めて聞いた時から忘れられない中毒性があった。
治安の悪そうな音と、歌詞ブックレットの丸いフォントとの温度差が癖になる。
曲中で繰り返し出てくる「余れば買うしなければ売って生レバ食べたい」という言葉には、「余れば買うしなければ売って生レバ食べたい」と、レバが3つも入っていて、ついついレバを強調して声に出したくなってしまうフレーズだ。

なにより、サビ前のドラムの音が気持ちよく、間奏のベースとギターの音も思わずエアーで弾いてしまうぐらい魅力的で、個人的にこのアルバムの中でそれぞれの楽器の良さが最も現れている曲だと思う。

生レバの後に続く「I」は、パチパチと鳴る火の音から始まる。
メロディーには哀愁が漂っており、こんなにも好きで好きでたまらないのに一方通行のままで相手からは返ってくることはない虚しさを感じる。

大抵の人はたとえ恋愛じゃなかったとしても、夢中になる程好きでたまらない人がいた経験があると思う。
この曲の歌詞での「好き」は恐らく恋愛においての「好き」であると思うが、「好きで好きで好きで好きで 一秒でいいから会いたい」というのは、好きなスポーツ選手でもアーティストでも何にでも共通して言えることであるから、今までの自分の経験と結びつきやすく心が動かされやすいのかもしれない。

尾崎世界観の優しい歌声や、裏で流れるアコースティックギターの暖かくて乾いた音がより一層感情を揺さぶってくる。


Iを引きずってしんみりした気持ちで迎える「インタビュー」は、ゆったりとしたテンポとコーラスが特徴的である。
歌詞では「ダサいから隠すけど 君にだけバレたい」とか「感動も熱狂も全部くれてやるから」とかが好きだが、特に「喜びと悲しみと苦しみと痛みと 憎しみと信頼と慰めと諦め」のフレーズが好きだ。
喜びと悲しみと苦しみと言えば、「君の部屋」の「僕の喜びの8割以上は僕の悲しみの8割以上は僕の苦しみの8割以上は やっぱりあなたで出来てた」という部分が浮かんでくる。今作では、それに加えて痛みと憎しみと信頼と慰めと諦めが書かれている。少し物悲しさを感じるフレーズだが、生きていく上で避けては通れない感情であり、それを感じた経験が後にいきていくから、一見マイナスに捉えられるよう気持ちも大切にしていきたい。

インタビューに続き、ゆったりとしたテンポを保ったまま「べつに有名人でもないのに」が流れ始める。曲名を見た時は、有名人じゃないくせに調子乗ってんじゃねえ!という怒りがこもった曲で、速いテンポと荒々しいサウンドを想像していたから、優しいピアノの音が聞こえた時はかなり衝撃だった。続く尾崎世界観の温かい歌声で、有名人でもないただの一般人が「活動自粛」という言葉を使う歪さを歌う。
曲中に「それが恥ずかしいってことが恥ずかしい」というフレーズが出てくるのだが、そういえば、自分に恥ずかしいと思ってしまったことが恥ずかしかった経験あるだろうか。過去を振り返ってみると、まだ小学生だった頃の記憶を思い出した。
当時は友達が裕福な家庭ばかりで広い家に、自分だけの部屋を持っている友達が羨ましかった。小さなマンションに住んでいて、1つの部屋を姉と2人で使っていた自分が恥ずかしくて仕方なくて、自分の家では絶対に誰かと遊ぶことはしなかった。今となっては不自由なく生活させてもらえて、欲しいゲーム機だって買ってもらえていたのにそう思っていたことが信じられない。
これを恥ずかしいと思えるぐらいに成長できていることに安堵している。

落ち着きのあるテンポ感の曲が2曲連続で続いた後に「星にでも願ってろ」のイントロが聞こえてくる。一曲前と同じぐらいのテンポの曲なのかと思ったら、ドラムの音で一気にスピードが上がり、一瞬で空気が変わる。
歌詞からは一方的な思いをかなり拗らせていて、あの娘は手の届かない遠い存在に思える。そんなあの娘が生きているだけで幸せで、何をしたのか知るだけで充実した1日になる。2番の歌詞に「あの娘の煌めく指輪から 禍々しいものを感じた どうにかして闇に葬らなきゃ 指ごとくれませんか」というフレーズがある。ここの「煌めく」の音階が絶妙で、背筋がゾワゾワする感覚がある。煌めくと言ったら綺麗で輝かしい様子を想像しがちだが、この音からは歌詞にあるように不穏で禍々しい何かを想像してしまう。その後に「指ごとくれませんか」ときて不穏さが増す。もしこれが指輪ではなくネックレスだとしたら、「指ごと」から「首ごと」になってしまうのではないかと考えると恐ろしい。それこそ冗談では済まないだろう。

大体の曲は最後の音が終止感の強い主音になっている。この曲は恐らくイ短調であるから、最後の音は主音である「ラ」の音かと思いきや、「ド」の音になっていて少し違和感というか、不穏さが残ったまま終わる。この曲の「僕」はきっとこの先もずっと拗らせた思いを抱えながら生きていくのだろう。


曲名のインパクトがかなり強い「dmrks」は癖が強めなギターの音が特徴的である。歌の裏で「ポーン」と鳴っている不安になる音がこの曲の深みを増幅させていると感じる。

歌詞にある「窓に映した自分の名前に願いを込めて」の「窓」は検索窓のことだろうか。この曲の1番では、自分の名前で検索してエゴサーチをして、こんなことならしなきゃよかった、見なきゃよかったと後悔を募らせていく様子が思い浮かぶ。
エゴサーチこそしたことがないものの、しなければよかったと後悔したことは幾度となくある。そういう時は一週間ぐらい引きずって、寝る時に「しなきゃよかったな、なんでやっちゃったんだろう」と考え初めて眠れなくなった日がかなりあった。不思議なもので、それがある日突然気にならなくなるかと思えば数年後にまた気になるようになってしまう。

2番に入ると、神社のみたいな神秘的な雰囲気を感じる音が漂っていて、そこに尾崎世界観の低い声が混ざり合ってくる。そのあとは1番と同じ音に戻るから、何かの儀式や妖怪、もっというと人の本音などの本当は見てはいけないものだし、見えるはずないものを見てしまった感があってソワソワしてしまう。

一通り聞いた後に、この曲で1番好きなところはどこかと聞かれたら、「こんなことなら」の後の歌詞になっていない「あぁあぁあぁあぁ」と歌っているところだと答える。歌詞はもちろん良いのだが、この部分からは後悔や、やるせなさ以外にも言葉では形容できない気持ちがこもっている気がしてならないのだ。

次に、イントロの1音目から既に明るさを感じる「喉仏」が続く。この曲はドラマ「滅相も無い」の主題歌となっていて、滅相も無いという言葉が仏教に由来しているからなのか、歌詞には「あみだ」「念仏」「仏」「ブッダ」など、仏教に関する言葉が多く見られる。このような遊び心に気付いた時の快感は、手こずっていた謎解きの問題が解けた時と似ている。

冒頭にあるように、涙を流しながらブツブツ言い訳して、何かを隠しているというシチュエーションは「浮気現場に鉢合わせ」ぐらいしか思いつかない。
それを踏まえて歌詞をよく読んでみると、曲を聞いている時はあまり気にならなかった「誰それ」という言葉が文字として見ると不信感や冷たさを感じ、隠している相手に対する失望を感じ、「またそうやって謝ればいいと思ってる」からは許す気などさらさらないことが伝わってくる。
最後は「お前は誰だ」という言葉で締め括られ、隠されていた人と対面でもしたのだろう。この後どうなるのかまでは書かれてないから想像するしかないが、それはそれで楽しくて良い。

たくさんの独特な表現があった中で、口を「言葉漏れる穴」、耳を「言葉入る穴」喉を「言葉逃げる道」と形容するセンスには度肝を抜かれた。きっとこの先どんな経験をしてもこれを自分の力で思いつくことはないだろうから、こんな捉え方があることを知れたことで視野が広がったような気がする。


ここ最近本を読むことに夢中になっていたので、アルバムの曲目が公開されてから「本屋の」という曲がどんな感じなのかずっと気になっていた。なにより「の」という助詞で終わっているこの曖昧さがワクワクを倍増してくれている。

この曲では、一貫して「なんて事ない一日の情景」が描かれていて、ほとんどの人が一度は経験していたり、たとえ経験していなかったとしても想像に容易い情景描写が目立つ。ページの間に挟んだ指に残る文字の感触は、こうして歌詞ブックレットを読んでいる今まさに感じているものだから、臨場感がある。

「散々迷って何も買わずに帰った本屋の帰り道」なんかは、心当たりがありすぎる。時間が余ってる時に本屋に寄りがちなのだが、平気で1時間迷った挙句、何も買わずに帰ることがザラにある。本のタイトルを見ているだけで楽しくはあるけど、時間を無駄にしている気がしてなんとも言えない気持ちになる。

雑誌の付録が捨てられないのはなぜだろうか。付録といえば、よくトートバッグが付いているのを見かける。表紙に載っているものは大きくてちょうどよく見えるのに、実際に買って出してみると微妙に小さくて使いづらい。それでももったいなくて使っているうちにだんだん愛着が湧いてきて、汚れていても使ってしまう。

ここ数年は買った本はほとんどベッドに積んでいる。せっかくだから本棚に仕舞おうと思い、本棚と言えるのかも怪しいほど物置と化している棚を覗いてみた。大して量もないのに「こんな本あったっけ?」と買ったことすら忘れている本がいくつかあった。それでもカバーがくたびれているから、確かに読んだはずなのに、中身を読んでみても全く思い出せない。所々水のシミみたいなものも見かけたが、なんでこんなことになっているのか皆目見当がつかない。自分の記憶力の悪さに嫌気がさすが、ポジティブに考えてみれば一度読んだ本を二度も楽しめるのはお得だとも言える。一石二鳥だと思うことにしよう。

こんな出来事も長い年月の中のなんてことない一日の情景に過ぎなくて、いつか忘れられてしまう。そんな寂しさや悲壮感をこの曲から感じる。
それでもずっと印象に残っているものは確かにあるわけで、悲しい時に、やりきれない気持ちを抱えた時に、励ましてくれるものなんかがそれに当たると思う。
この歌詞ブックレットが私の夜道を照らして、この先もずっと印象に残ってくれればいいな。


この「センチメンタルママ」も、曲名のインパクトが強い。「センチメンタル」というぐらいだから、感傷にふけってしまうような曲なのかなと想像を膨らませながら曲が始まるのを待つ。
それから聞こえてきたのは、想像に反するような、疾走感のあるクリープハイプらしいメロディーだった。そこにのせられるのは風邪をひいている時特有の体調の悪さと、それに対する不満。音からは頭が働かなくて考えがまとまらなかったり、でかい金属音とか、うなりの「ウワァーン」みたいな音がずっと反響しているあの感じを思い出した。

つい最近風邪を引いたばかりで、そのころは喉は燃えてるし体は重いしなにも考えられなかっくて、今まで「体調不良かもー」とかほざいてた時は体調不良ではなかったことに気づく。ゆっくり寝たら治ると言われたが、そもそも辛すぎて寝ることすらできず「もう殺してくれ!」と思ってしまうこともあった。それでもこの体の不調は体が生きようとしてる証拠で、細胞がこんなにも生きようとしているのだから、死ぬわけにはいかない。
風邪をひいたり体調を崩したときはこの辛さが誰にも伝わらなくて寂しかったけど、この曲があるからもう大丈夫だ。

ライブ特有の、曲の最後をアレンジを加えながら引き延ばしている時のような音で始まる「もうおしまいだよさようなら」は、トムブラウンのポッドキャスト番組に書き下ろされた曲。

普段漫才を見ることがほとんどないのだが、M-1の漫才でなにも理解できてないのにめちゃくちゃ笑ってしまった。頭を叩いた時のあの音がツボ。その後に「ニッポン圧縮計画」を聞かせていただいて、話のテンポ感が心地よく、いつのまにか聞き終わってしまって、長いはずの1時間があっという間に感じられた。

「もう終わりなのか」と寂しさを感じているところに「気になる続きはまた今度」ときて、また次があることに安心する。「寂しくなったらまたおいで」「会いたくなったらまたおいで」なんて言われたらもう通うしかないだろう。文字でみるとより優しさが感じられて泣きそうになる。
この曲をライブで演奏された時には一生心に残るだろう。


春の陽気を感じる音で始まる「あと5秒」。何かを待っているときは5秒後が待ち遠しくて、長く感じられるのに楽しいことをしているときはあっという間に過ぎてしまう。1秒でも10秒でもない、泡のように儚い「5秒」だからこそ良い。

5秒といえば、動画を見ている時に出てくる広告をスキップするまでの時間も5秒であることが多い。曲中では叶わない恋をしてしまった「あたし」のことを広告と自虐している。スキップは飛び跳ねる方と広告などを飛ばす方の両方をかけているのだろうか。ゆっくり歩いて、せめて影だけでも一緒に歩いていたかったのに、スキップされて距離が空いてしまう様子が思い浮かぶ。
「思い出をかき集めても足りない やっぱりただのCMだ」から、今までのどんな思い出を足してもメインの動画には届かなくて、所詮広告ぐらいにしかならいことの寂しさを感じる。このフレーズがギターソロに挟まれていて、歌詞ブックレットの中でも

こんな感じに

改行されていて、孤独感がより強く感じられる。
「あたし」は残りの5秒で想いを伝えられたのだろうか。いずれにせよ、幸せな人生を歩んでいくことを願う。

心の中で5秒間数えると、ちょうど始まる「天の声」。15周年という節目のアルバムのラストを飾るに相応しい曲だと思う。この曲を一言で表すとしたら、「クリープハイプを必要としている人全員をちゃんと見つけてくれる、そんな人たちのための曲」だと個人的に思う。

だいたいの曲の歌詞は、自分の事だとは思えないものが多く、涙が出るときはそこに出てくる人への同情がほとんどだった。この歌詞を読んでいると、他人事のように思えなくて、自分の事が書かれているんじゃないかと勘違いしてしまうぐらいだ。
部屋に1人でいる時に、リビングから家族の楽しそうな笑い声が聞こえてきて、私がいる時よりも楽しそうで、なんとなく疎外感を感じてしまう。笑い声が聞こえるのと同じように、こちら側の音もきっと聞こえやすいだろうから、なるべく小さい声でバレないように泣いていたことを曲を聞きながら思い出した。今でこそこういうことはほとんどないものの、当時はかなり思い詰めていたと思う。そんなあの頃の自分に、掬い上げてくれる曲に出会えるって言ってあげたい。なにより「大丈夫それなら曲の中でぶっ殺すから」という言葉が心強すぎる。これからどんなに辛いことがあっても、乗り越えられる気がする。

来年から始まる全国ツアーのタイトルにもなっている「君は一人だけど 俺も一人だよって」という、真っ直ぐじゃなくて、捻くれたような励まし方をする言葉が大好きだ。本当にそうかもわからないのに一人じゃないよって言われるよりも、俺も一人だよって言ってくれた方が同じ境遇にある人がいるんだ!と、それこそ一人じゃない気がして安心できる。
「どのみちダメなら寄り道しながら そのうち着くから寄り道しながら どのみち雨なら寄り道しながら そのうち止むから ずっとずっと」も、一人一人に寄り添って、真っ直ぐになれない生き方を肯定してくれる。綺麗事なんかよりずっと良い。


余韻に浸りながらCDをしまって、聞き終わってしまった寂しさから注意書きを読むあの時間がたまらない。
改めてアルバムのアートワークを見てみると、聞く前とは何かが違って見える。
警戒色とも言われるぐらい目立つ黄色と黒の組み合わせが、どんなに遠くて目立たなかったとしても、「こんなところに居たのかやっと見つけたよ」と言って見つけ出してくれるような、そんな安心感を抱いた。

こんな私でも見つけ出してくれる、寄り添ってくれるクリープハイプが大好きだ。最高の作品を届けてくれてありがとう。

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