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忘れられない映画 ①

おそらく、ほとんどの日本国住民は「忘れられない映画」「思い出の映画」を1本とか2本は胸に秘めていると思う。コマツにもあります、そういう映画。
前回 書いたように「映画チラシ保存帳」をパラパラとめくっていくと、その映画を観た時の感情とか感慨とかだけでなく、観ながら食べたものの味とかまで思い出すこともある。

たとえば『セメントの記憶』というドキュメンタリー映画。 2019年7月15日に桜坂劇場で観ました。これは、「中東のパリ」と呼ばれるベイルートで摩天楼を建設しているシリア人移民労働者達を描いた映画で、チラシには『世界60ヶ国の映画祭でグランプリ34冠!』と書いてある。
物語は、ひとりの男性が、出稼ぎ労働者だった自分の父がベイルートから持ち帰った一枚の絵の記憶を回想する場面と移民労働者達の過酷な労働と居住環境をつぶさに伝える場面を撚り合わせて進んでいくのだが、医者として最も胸を衝かれたのは、移民労働者の住居だった。

終業のサイレン(だったかベルだったか・・・)が鳴り、遥か高みで危険な作業に従事している労働者達は地上に三々五々と戻ってくる。そして、隊列を組んで ぽっかり開いた洞穴をくぐって階段らしきものを辿って地下に降りていくのだ。 夜間、彼ら移民労働者は外出できないきまりになっているらしい。
その地下の「居住空間」は、ドアがなく洞穴をきちんと覆う屋根も不十分なので真ん中には降り注いだ雨がたまっている。(映画では その地下空間に雨が降り注ぐシーンも撮影されていた)文字通りの土間であり、その水溜まりでない部分におのおのがダンボールを敷いたりして、わずかな煮炊きの道具と衣服などが見える。寝具といっても、ダンボールの上に敷かれた敷物が主であり、当然 地下の万年床である。 「雇用主がこの場面の撮影を映画素材として許可した、ということは、これは彼の国ではまだまだ『移民労働者の居住空間としてはマシな部類』なんだろうな・・・」と想像してしまった。

その昔、産業革命時代のイギリスでは、「囲い込み」で農地を追われて都市部に移住せざるえなかった元・農民達が工場労働者となり、「ホット・ベッド」(1台のベッドを日勤・夜勤のペアが交替で使うのでベッドに体温が残っていて冷めることがないため)が当たりまえの環境で1日12時間以上働いていた。鉱山の地下坑道などでの児童労働もごく普通の現象だった。それやこれやで栄養状態も悪いから、結核などの感染症が持ち込まれたら、あっと言う間に蔓延した。ちなみに、当時の結核はひところのAIDS以上に恐ろしい「伝染力の高い死病」だった。  今でも空気感染する結核は要注意の感染症のひとつであるけれど。当時のイギリスの労働者達の平均寿命は30歳に満たなかったと言われている。

公衆衛生の講義か何かで聞きかじった、そんな知識がふいに蘇る。「あ~、ここも誰かひとり結核になったら一発だな・・・」と思ってしまう環境。彼らが作っている、まばゆいばかりの摩天楼とのあまりの格差に目がクラクラする。

そんな劣悪な環境で生活しているのに、移民労働者達は誰もがスマホを持っている。夕食時には故国に残した家族と連絡をとっているのだろう、真剣な表情で画面をのぞき込む人、笑顔を浮かべる人、さまざまである。 人はパンだけでは生きられない、故国の家族との絆が唯一の救いであり、生きる糧なのだろうな、と胸を衝かれた。 現代では、スマホなどの携帯電話維持費用こそが、新たなエンゲル係数とカウントされるのだろう。

この映画の英語版タイトルは“Taste of Cement”、そのまま訳せば『セメントの味』である。 映画の中で男性のお父さんが『お父さんの手はセメントの味がした』という事を言うシーンが確かあった。
原題はそこから取られたのだろう。でも、あの、雨も風も吹き込み放題の「居住空間」には、地上で使われたセメントの微粉末も漂っていそうだし、そこで煮炊きして作った食事にもセメントの味が残っていそうだ。 
映画を観ながら、映画館のコーヒーをすすり、持参のカロリーメイトを齧っていたコマツは、その味の対比にもクラクラしてしまったのでした。

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