
自由の女神は民衆をどこへ導いているのか?!
そう疑問に思われたことはありませんか?
フランス革命を描いた絵ですから、バスティーユの監獄を解放に行くところだと思う人もいるようですが、民衆によるバスティーユ監獄襲撃は1789年のこと。ドラクロワのこの絵は、1830年に起きた「七月革命」の民衆の蜂起を描いているので、行く先はバスティーユではありません。
となると、この女神は民衆をどこへ導いていくところなんだろう、なんて思っていたんですが、フランス革命で人々の心がどう変わったかということを研究した本を読んでいて、ふと思ったのが「幸福」でした。この絵は「民衆を幸福に導く自由の女神」を描いているということですね。
なんだか抽象的な話で答をはぐらかしているように思われるかも知れませんが、なぜ、そう思ったかというと、その本によれば、市民革命がもたらした最大の意識改革のひとつに、幸福というものが自己責任になったことがあるそうだからです。
革命によって、王を宮殿から引きずり出してギロチンで処刑し、教会の権威も引きずり下ろされ神が追放されたおかげで、人々は王政による弾圧や重税から免れることになり、地獄に堕とされることに脅えて教会の言いなりになることもなくなったものの、かわりに自分で自分の幸福というものに責任を負わなくてはならなくなったのだというのです。
それ以前、人々の幸福は、王の忠実な臣民であることや、神の敬虔な信徒であることによって確認される、いわば他者に依存したものであったのが自己責任となり、人々は自分にとってなにが幸福なのかという難問を筆頭に、自分の幸せを自己責任において各人それぞれが追求せざるを得なくなったのだというのです。
と、多少は面白く誇張した書き方をしてしまいましたが、この話の元ネタは、パリ第一大学でフランス革命史を教えた学者で革命の二百周年国家式典の委員長もやったミシェル・ヴォヴァルの『フランス革命の心性』という本で、この本によれば、革命当時の指導者が、幸福はヨーロッパの新しい思想だと説いたというのです。サン=ジュストという革命家の言葉で、この人は最初は騎士道物語のエロティックなパロディを地下出版して追われる身になって、革命に身を投じてからは「死の天使長」の異名をとる冷酷な活動と美貌で知られたという異色の人物です。
確かに今日でも、誰かの忠実な臣下であることや、なにかの忠実な信者であることは、大変ではありますが、いわば自己承認を自分以外のものに預けられるわけで、自分にとってなにが幸せなのだろうという悩みからは解放されているのかも知れませんね。
そうした献身や信心から解放されて自由になることは、自分にとってなにが幸せなのかを自分で考えなくてはならなくなることを意味していますから、これはこれで大きな難題を抱え込むことになります。
自分にとってなにが幸せなのかという問題は、答が自明のように思えて、じつはそれほど自明ではなく、だからこそ私たちはいろいろなことで選択を間違えてばかりいるからです。幸せになろうと思ってなにかを選択した後になって、その選択をすることで手放したものこそが、自分に幸せをもたらしてくれるものだったと気づかされたことも少なくないからです。
そういう意味では、自分にとってなにが幸せかを考えることほどむずかしいことはない、という難題を抱えていることこそが、私たちの最大の幸せなのかも知れませんね。(画像はドラクロワの『民衆を導く自由の女神』1830。文中でご紹介したヴォヴェルの『フランス革命の心性』は岩波書店から翻訳が出ています)