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お魚を美しいと思う宮脇綾子の心が美しい
もう三十年も愛読しているので、ボロボロになってしまった本『宮脇綾子アプリケの世界』(1986求龍堂)の一ページです。鮭の切り身もアプリケになるのですね、とほめて下さった方がいたと書かれていますが、ほんとうに美しい作品ですね。まさしく和の美そのものとしての親しみがあり、日本美術史の教科書に載っているような風格もただよわせています。
この本の最初で宮脇綾子さんは、「あなたの作品は魚が多いですね」と、よく人に聞かれると書いておられます。魚を美しいと思ったのは、「ずっと前、海の見える所へ旅行した時。朝早く魚河岸に行って、漁から帰ったばかりの船から降ろされた魚が宝石のように輝いて見えた時」のことで、「思わず、感嘆の声をあげた」とのこと。「それが病みつきになって、海のあるところへよく出掛ける」ようになり、「泳いでいるのが見たくなり」水族館へよく通うようになり、「結局そんなことから、知らぬ間に仲よしになったのだろう」と書かれています。
なんて、素敵な文章だろうと思います。それで、鮭の切り身をアプリケにされても、こんな素晴しい作品になるのですね。「宝石のように輝いて見えた」という魚が、お能や歌舞伎の衣装を見る時のような華やかさで私たちの目を楽しませてくれます。自然へのまなざし、命を支えてくれる自然への感謝の結晶といえるでしょう。
私の師匠の師匠である柳宗悦は「美しいと思うあなたの心が美しい」と言いましたが、この作品を見ると、鮭の切り身を、美しいと思う宮脇綾子の心が美しい、としみじみ感動させられます。
(画像は、『宮脇綾子 アプリケの世界』96ページを撮ったものです。柳宗悦の「美しいと思うあなたの心が美しい」という言葉については、プロフィールの「はじめまして いま、ここ 美術館 です」を御参照下さい。)