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宮脇綾子の「いま、ここ」からの芸術と主夫だったクレーの「絵本」
宮脇綾子は対談で、アプリケを始めたのは「敗戦の日に、急にこれをやろうと思った」と語っています。「男の人っていいなと。女はうちのことだけして疲れ果てて」とも思っていたそうで、「主人に仕えて、子供を育てながらやるには、うちでやれること」を考えたのが始まりだったとか。
お姑さんが「すごい貧乏」のお侍の家の生れで、「何でも、もったいない、もったいないと、ものを大切にする人」で、「ぼろは捨てるなと言われていたから、家には割合たくさんあった」とのことで、「その前から布で何かとやっていたみたい」だったこともあり、アプリケを始めたそうです。「いいきれはなかった」そうで、「うちのことだけして疲れ果てて」いた彼女が、そんな「うちでやれること」を見つけることができたおかげで、私たちはこんなに美しいアプリケを目にすることができるわけですね。
そのやさしく深い味わいは、「いいきれはなかった」ことでさえ、作品の美を深める材料にしてみせた宮脇芸術の偉大さを痛感させてくれます。
芸術への道というと、はるかなものと思いがちですが、作り手の思い次第では「うちでやれる」ことを教えてくれる感動的な対談です。
この対談を読んで思い出したのが、主夫でもあったクレーという画家の作品です。日本では、詩人の谷川俊太郎の『クレーの絵本』でもおなじみの画家ですが、妻が家計を支えていたクレー家の料理や子育てといった「うちのこと」は彼がこなしていました。まさに絵本を思わせる彼の作風は、今日の児童文学の挿絵から広告のイラストまで、多くの作品に大きな影響を与えています。
じつは私自身も、絵の道に進みたいと思ったきっかけは、学校の廊下に貼ってあったクレーの作品にありました。こんな絵本のような絵でも芸術と呼ばれるのなら、芸術の世界もいいかも知れない、と、なにやらさかさまのような気もする志望動機であったわけですが、それも子育て中の主夫クレーならではといえる絵のやさしさのおかげであったように思います。
「うちでやれること」つまり「いま、ここ」から始る芸術こそが、むしろ芸術の世界そのものを豊かにして、やさしく救ってくれているように思うのは私だけでしょうか。
(文中でご紹介した対談は1986年に求龍堂から刊行された『宮脇綾子 アプリケの世界』に掲載されています)