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なぜ、『モナ・リザ』の瞳には輝きがないのか?!
「画竜点睛(がりょうてんせい)」という言葉があります。
中国の皇帝に仕えた絵師が、壁に描いた龍に睛(ひとみ)を入れると、たちまち竜が命を得て天に昇ったというエピソードから出た言葉で、ものごとの最後の仕上げを意味しています。
西洋の肖像画でこの画竜点睛にあたるのがハイライトと呼ばれる瞳の光の点を描き込む作業で、これによりいきいきとした輝きを得た眼は、画面に描かれた人物に生命を吹き込むことになります。が、西洋絵画の最高傑作とされる『モナ・リザ』の瞳には、このハイライトが描き込まれていません。この絵は、レオナルド・ダ・ヴィンチが亡くなる直前まで手元に置いて加筆修整を加えていたことから未完成に終わっており、したがって名画の中の名画といわれる『モナ・リザ』はじつは「画竜点睛」を欠いているということになるかも知れません。
にもかかわらず、まさに生けるがごとき存在感を誇るこの絵に、もしハイライトが描かれ画面が完成されていたならば……。今でさえ、不気味だとか、怖いとか言う人も少なくないこの絵のリアルな存在感は、どれほどのものとなっていたことでしょうか。実際のところ、ダ・ヴィンチが描いた他の肖像画のハイライトは、精緻を極めた針の穴の光のような描写で、画面に驚くべき生命感を与えています。
上の画像の左側の顔は、『モナ・リザ』を描き始める十年少し前に描かれた『白テンを抱く婦人』(1490頃)という作品を拡大したもので、ダ・ヴィンチの針の穴のようなハイライトの効果を物語っています。
以前の「なぜ、『モナ・リザ』は未完成に終わったのか?!」という記事でもご紹介しましたが、異常なまでの凝り性だったダ・ヴィンチにとっては、作品の完成への道のりは、他の誰も想像のできないはるかなものであったのかも知れません。おかげで『モナ・リザ』も未完成のまま残されることになったわけですが、もしかするとダ・ヴィンチがあえてハイライトを描かなかったのかも知れない、という推理も成り立つのかも知れません。やはりダ・ヴィンチが最後まで手元に置いた作品に聖ヨハネを描いた絵があるのですが、このヨハネの瞳にもハイライトが描き込まれていないからです。
晩年のダ・ヴィンチは通風で手が麻痺していたといいますから、そのせいと言ってしまえばそれまでなのですが、『モナ・リザ』にも通じる不可思議な笑みを浮かべた聖ヨハネの顔を見ていると、あるいはダ・ヴィンチは、あえて瞳に輝きを与えてリアルな人間としての存在感を与えることを避けていたのかも知れない……などと、想像をふくらませたくなるほどに、この聖者は意味ありげな笑みをたたえています。
むしろ深い余韻を画面にただよわせるために、あえて完成すなわち画竜点睛を控えたのではないか……などと、なにやら東洋的な幽玄の境地に通じるような想像をたくましくさせる雰囲気が、この絵に備わっているようにも思えるのです。
この絵にダ・ヴィンチが着手した当時のフィレンツェは東洋とのシルクロード貿易で栄えていましたし、この絵のモデルとなったリザの夫は絹の東洋貿易で財を成した人物でもありました。東洋絵画をダ・ヴィンチが見ていたことは確実ですし、背景に水墨画を思わせる描写が見えることも指摘されています。
もしかすると、彼女の「神秘の微笑」は、私たちが思うよりはるかに東洋的であるのかも知れません。
(『白テンを抱く婦人』と『聖ヨハネ』の画面は下記アドレスで見ることができます。かなり大きなサイズのデータですので、細部までじっくりと見ることができます)