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山形、ぐるり。①
2024年は東北6県をめぐろう(できれば雪が降る前に)。
そんな思いで宮城→福島→岩手→秋田→青森と旅してきて、最後の地が山形になった。
……け、けっして後回しにしていたわけじゃないんだからねっ(汗
でもごめん、山形ってさっぱりわからないや。
というのが旅する前の印象。
ふつうは行ったことがない土地でも何らかのイメージは持っているはず。
たとえば、宮城といえば松島だったり、福島といえば「ならぬものはならぬ」、岩手といえば宮沢賢治、秋田といえばマタギやナマハゲ、青森といえば恐山。
うん。地元民には聞かせられないよね。
でもそれがどんなに偏見に満ちていようとも、具体名が出るだけマシ。
山形にいたっては、「さくらんぼ」「将棋の駒」「藤沢周平」ぐらいしかワードが浮かばなかった。産業と人物のみで歴史観ゼロっていう。
これについては前にも書いた。
他にも「冷麺」「出羽三山」が浮かんだけど、恥ずかしすぎて書けなかった。
ごたいそうに庶民の信仰から日本人の心を読み解くだとか、不思議の謎を解くなんてうたっているからには、その土地について知っているのは基本中の基本。
だから、今回の旅は山形の入門編、という名の根性試し。
例によって、気合いと根性で山形を知る旅なのである。
■山形県の4つの地方■
ところで、山形県には4つの地方があることをご存じだろうか。
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ホテルのTVで見た天気予報でもこの4地方で紹介されていた
・最上地方の中心は最上町というよりは新庄市
・庄内地方の中心は庄内町というよりは鶴岡市
・村山地方の中心は村山市というよりは山形市
・置賜地方の中心は旧置賜郡というより米沢市
合併や編入の影響で、本来の地方名称よりも中心都市が目立っているというのが旅人の理解をややこしくしている要因ともいえる。
しかも東北新幹線が開通してからは、ますますこの傾向が強くなっている。
山形のもっとも南側の新幹線駅は米沢駅で、終着駅は新庄駅。
「米沢に行ってくる」とはよく聞くところではあっても「置賜に行ってくる」と言う旅人が果たしてどれだけいることか。
だがしかし、こんなものはただの行政区分だ。
山形を知るためにもこの4地方、片っ端から踏破するまでのこと。
ただ足を踏み入れるだけでなく、何か目的地となる場所がほしいな。
資料を読んでいるうちにイザベラ・バード『日本奥地紀行』を知った。
■ミッション01:イザベラ・バードの6つの碑を探せ■
1878(明治11)年7月13日に福島から山形に入り、18日早朝に秋田に抜けるまでにイギリス人旅行家のバード女史は各所を訪れ、記録を残している。
その記録をもとに、山形県内には彼女の功績を称える碑が6か所に建てられているという。
碑が建てられているのは置賜地方に2か所(飯豊町、川西町)、村山地方に3か所(上山市、山形市、天童市)、最上地方に1か所(金山町)。
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要するに、福島側から秋田にいたる南北のルートに6つの碑があると。
山形の観光協会界隈は、この碑をなんとか盛り上げようと努力はしているようだ。
スタンプラリーでもやればいいのにね。
しかしながら、そこには大きな3つの障害が存在するのであった。
・南側の碑から北側の碑までの距離は120km超え
・駐車スペースがない場所もある
・電車バスで行こうにも本数が少ない
どれをとっても「マジかよ!」の一言。
まあ、バード女史も後世のフォロワー(観光客)たちのことを考えて旅をしているわけではないのだから、これは致しかたのないところではある。
観光云々ではなく、小学校の自由研究レベルでお父さんお母さんに連れて行ってもらってでも6つの碑を見つけたうえでイザベラ・バードとは何者かについてレポート書いたら評価高いと思うんだけどなー。俺が教師ならゾウさんスタンプ押すね。5個押しちゃう(笑)。
6つの碑はネット上でもいくつか紹介されているけれども、実際にすべての碑を訪れて記事を書いた者はいないようだ。理由は推して知るべし。
よーし、だったらやってやろうじゃないか。
1日でコンプすることは難しいので、他の場所をめぐりつつ2~3日に分ければなんとかやれそう。
あとはルートにない庄内地方だな。
■ミッション02:一宮、国府跡、出羽三山をめざせ■
東北6県というけれども、令制国の区分では陸奥国と出羽国の2つになる。
陸奥国については一宮(鹽竈神社)、国府が置かれたとされる多賀城跡など見てきた。
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出羽国は一宮(鳥海山大物忌神社)、城輪柵跡(国府推定地)、出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)などがあり、これらは庄内地方に集中している。
登山している時間的余裕はないので、出羽三山に関しては羽黒山頂にある出羽神社・三神合祭殿への参拝をもって入門編にしようかと。
一宮と国府についても書いておこうか。小学生が自由研究のネタ探しにこの記事読むかもしれないし(笑)。
全国に一宮が定められ、国府が置かれるきっかけとなったのは、701(大宝元)年に大宝律令という法律が制定されてからのこと。
それぞれの地域は令制国という単位に分けられ、東北の場合は陸奥国と出羽国に政治の中心となる国府が置かれ、行政長官ともいうべき国司が派遣されたのです。
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(東北歴史博物館の展示より)
派遣された国司は担当地域のすべての神社に参拝することが義務づけられていました。
参拝は各地域でもっとも位が高い神社を「一宮(いちのみや)」とし、国司は位の高い神社から「一宮」「二宮」「三宮」と順番に参拝していくことがならわしでした。
ところが、国によっては神社の数が多すぎて、すべてまわっていたのでは仕事に差し支えてしまいます。
そこで平安時代(794年~鎌倉幕府成立まで)以降は各地域の神社を「総社」として一つにまとめ、総社の参拝をもってすべての神社を参拝したことにすると定めたのです。
ちなみに大宝律令が公布されたのは第42代文武天皇の御代です。
即位されたのは15歳の頃ですが譲位後も文武天皇の後見役を務められた41代持統天皇と補佐役の藤原不比等の業績をおぼえておくと古代中国の陰陽説に従うならば男神であるはずの太陽神(天照大神)がどうして女神なのだろうかなどいろいろなことがわかってきます。わかってきますよー。←こらこら、小学生に変なこと吹き込むんじゃありません!
以上の2つのミッションを大枠で設けて、あとは旅程を組む段階で気になったもの(神社仏閣、博物館など)を見ていけば、山形に対する理解も深まってくれるであろうと期待できる。
それでは、次回から実際の現場を見ていくことにしよう。
まずは初日の村山地方から。
[山形の庶民信仰を探る ②につづく]