鬼と仏と。 秋田→青森③
ここから先は旅のテーマともかかわってくる。
いにしえの庶民の信仰を探ることで、日本人の心を読み解くのだ。
今回のお題は「鬼」だ。
いろんな人がいろんなことを語っている。
その多くが「まつろわぬ民」だの「鬼門」だのと為政者の視点からみた鬼をまとめているにすぎず、いわばトップダウンの鬼論だ。
俺はボトム(庶民)の立場からアプローチしてみたい。それだけだ。
鬼来迎(きらいごう)を見たときに感じたのは、虫生地区の人々は鬼を怖れると同時に共感しているということだった。
大悪人すらも救済する仏教の教えは偉大である。
その一方で、地獄で悪人を痛めつける鬼たちに理由があることも認めている。
だからこそ、観音菩薩に亡者を連れ去られて悔しがる黒鬼の姿がエンディングとしての余韻を残す。
悪役であっても、悪ではない。
そんな複雑な思いが読み取れるのだ。
少なくとも、庶民にとっての鬼とは英訳するところのdemon(デーモン)でもなければdevil(デビル)でもない。
これが仮説だ。
事例をもって検証していこう。
2日目は、なまはげをとりあげる。
■真山(しんざん)でなまはげと出会う■
旅の2日目(27日)。宿を出て男鹿線に乗り、男鹿駅へ。
08:55発の乗合制タクシー(なまはげシャトル)に乗って真山エリアに到着したのは09:20ごろだった。
なまはげシャトルは予約制。帰りの便は12:50発で予約している。
予約の電話を入れた際に職員に「3時間半ありますけど大丈夫ですか?」と聞かれた。何が?
なまはげ目当てに3時間半も滞在する観光客などいないらしい。
時間がない。まずは真山神社にご挨拶だ。
09:25 真山神社
時系列はバラバラになるけど関連施設を一挙紹介。
五社殿については勘違いしていたので記しておく。
一番鶏の鳴き真似をして村人を助けたのは天邪鬼(あまのじゃく)だった。
(観光パンフレット「なまはげの里 男鹿半島」より)
天邪鬼はいたずら者の小鬼で、人の声色をまねてだましたりもする。
そんな天邪鬼が人間のために鬼を欺くという図式がなんとも痛快である。
人間にとっての敵もいれば味方もいる。これを覚えておきたい。
ところで、先ほどの五社殿にはあっさり到着したので拍子抜けした。
どうみても999段の石段ではない。
実は、石段があるのは五社殿ではなく赤神神社の五社堂だった。
しかも、真山神社には本宮(奥御殿)があり、真山(567m)山頂に鎮座している。
ともに低山ハイクの装備が必要であり、今回はとても行けそうもない。
ほらね、3時間半じゃ全っ然足りないじゃない(笑)。
10:07 なまはげ館
なまはげに関する歴史解説や資料が豊富に展示されている。
「なまはげ」の語源はナモミハギに由来するという説が有力だ。
ナモミとは男鹿地方の方言で、いろりにあたって低温火傷することでできる水ぶくれを意味する。
ナモミが見つかると怠けていたことがバレてしまう。だからはぎ取るのだ。
そこから転じて、怠け者を見つけてしつける行為(儀式)をさして使われるようになったという。
なまはげ館では、さらに4つの起源を指摘している。すなわち、
また、なまはげを来訪神とする見方もある。
来訪神とは、仮面をかぶって(行事などに)定期的にやってくる神である。
なまはげが来訪神としてユネスコ無形文化遺産に登録されたのは2018年。
鹿児島県・甑島(むこうじま)のトシドン(2009年)に続いて9件の民俗行事が登録された。
たしかに、現在の行事としてのなまはげは、仮面をかぶって定期的に訪れる来訪神ではある。
では、獅子舞はどうなのか、柱舞はどうなのかと考えた場合に、少々違和感をおぼえないこともない。
世界が認める民俗行事になれたのだから、その点はよしとするべきか。
■真山地区におけるなまはげ行事の実際■
11:00 男鹿真山伝承館
TVなどで部分的に見ているなまはげのイメージはというと、冬の一般家庭に鬼が入り込み、「悪い子はいねがー」と暴れ回り、子供が泣こうがわめこうが一方的に脅かしまくるという暴力的な印象でとらえてしまいがちだ。
実際のところはどうなのだろうか。
真山地区のなまはげの実演を見ることができるイベントが行われているというので、一も二もなく参加した。
重要なところだけをかいつまんで紹介する。
ポイントは3つある。
上記の2つはTVなどで見ていたイメージと異なり、「思っていたのと違う」印象がある。
ただの乱暴者ではないという意味では、なまはげの4つの起源であるところの「山の神の使者説」や「修験者説」に近いものがある。
四股の回数については、陰陽説の奇数(陽)に従っているのだと思う。
つまり、縁起がよい数字だ。
陰陽説が祭りに用いられている実例として、浦安三社祭の神輿担ぎについて考察しているので参考にしてもらいたい。
7回から数が減っていく理由については、大暴れするつもりで屋敷に入ったものの、主人にもてなされ、言いくるめられてじょじょにトーンダウンしてゆく様を表現しているのではないか。
もちろん、根拠のないこじつけにすぎないのだが。
神事としての相撲の四股は、反閇(へんぱい)という歩法の流れをくむ。
陰陽道および修験道では反閇を用いて地(陰)を踏み固めることで、地に潜む悪霊を鎮める意味がある。
力士がひとたび四股を行えば、足を高く天(陽)に上げることで陰陽合一のスーパーパワーを生み出し、さらに大地を踏みしめることで五穀豊穣や調和(平和)さえももたらすという。
なまはげの所作をみた限りでは、天はそれほど意識していないようだ。
行進の足踏みの要領で腕を振り、ドスドスと床を踏みならしている。
しかし奇数(陽)は意識しているのだから、ただ暴れているわけではない。
その家にふりかかる悪事や災難を払う意味があるのだろう。
有意義な体験をさせてもらった。
なまはげを生で見るなんて、4~5年前までは思いもつかなかったことだ。
なまはげという行事は、なまはげが暴れるというよりも、もてなしてお帰りいただくイベントなのだと感じた。
怠け者がいない家で暴れられても困る。
それでも魔を払う霊力を持ったなまはげには来てもらいたい。
そこで、もてなして早々にお引き取り願うのだ。
しかし、これはあくまで怠け者がいない家の話。
本来は怠け者を叱る意味があるわけだから、他のエリアのようにツノがあってもいいし、包丁も方便というものだ。
なまはげ館に展示されたさまざまな衣装や面からは、神にも鬼にもなれるなまはげの多様な姿が見てとれるのである。
■弘前市へ大移動■
12:50発のなまはげシャトルで男鹿駅前に着いたのは13:20ごろ。
男鹿駅13:54発の秋田駅行きで秋田駅に到着(14:48)後、15:52発の特急つがるで弘前市へと向かう。
弘前駅に到着したのは18:01だった。
[津軽の鬼に会いに行く ④につづく]