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加賀から越中立山へ。石川→富山⑤
【前回までのあらすじ】
まだ見ぬ聖地を求めて加賀から越中に入った不思議ハンター10(ten)Qだったが、ふしぎ空間・伏木(ふしき)の七不思議を作るまで出られないトラップに捕まってしまう。得意のとんちと強引すぎる解釈によりピンチを脱したものの、空には不吉な暗雲がたれこめていたのであった。
……えーと、だいたいそんな感じです(汗
今回は3日目(11月1日)の続きから。
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海から見た27峰の写真だけでもすごいのに、立山連峰は古来「立山七十二峰」なんだぜ。
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越中一宮・高瀬神社
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当日は曇りのち雨。まだ雨は降っていない
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到着は14時過ぎ
拝殿前の鳥居が二の鳥居に相当するけど、真ん前に車を停めている不心得者がいたため撮影はせず。
神社関係者や足が不自由な人がやむなくそうしているのなら問題ありません。
しかし、やっていたのは七五三の撮影をしていた商用カメラマン。
鳥居には神域を示す意味があり、いわば結界です。
近年は道路をまたぐ大鳥居や、神社の構造によっては鳥居をくぐって駐車スペースに向かう場合があるので大目に見られているようですが、あくまで「下乗」が基本。
鳥居の前では殿様ですら馬からおりたという例もあります。
神社の公式サイトで商用撮影についての注意喚起の文言を目にすることもありますが、締めつけは年々きびしくなっているようです。
理由はこうした自称商用カメラマンによるマナー違反が主で、自分で自分の首を絞めていることに気づかない空気の読めなさ。
要するに、プロの域には達していないということ。
痛い目に遭って学ぶことも修業です。まあ、がんばりなはれ。
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大国主大神を主神に天活玉命と五十猛命を配祀
祭神は、一言でいうなら農業系の神さまですね。
先にみた一宮・射水神社が天孫系に鞍替えして、旧・射水神社から一宮の座を奪い取った氣多神社が越の国寄りの祭神配祀をしているのに比べると、高瀬神社はかなり古くから地元の鎮守として機能してきたのではないかと。
由緒にも「当神社の鎮座は遠く、農耕文化の芽生える弥生時代の頃」とありました。それはともかく、
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室町時代には、神社周辺に東大寺荘園の高瀬庄があった。この高瀬庄から多くの年貢が神社に納められたことが、東大寺の記録に残されている。
つまり、時の権力者にとっても恵みをもたらす豊かな土地であり、そこに祀られる神社が高い位を与えられるのも当然といえるでしょう。
なんでこんな書き方をしているかというと、前回冒頭に記した『日本の神々 神社と聖地』の(乱暴な)要約。
・高瀬神社は射水神社と同階・同格だった
具体的には、
古代の当社は射水神社(二上神)と並んで越中最高の神階を誇っていた。両者の神階は常に同格であり、昇叙もつねに同時になされている。
射水神社(二上)と高瀬神社との距離は一般道で約30km超え。離れていることは身をもってわかっています。
それだけに、射水神社が昇格したからといって、高瀬神社までもがなぜ一緒に昇格するのか。
前述の文献にはそこまでは書かれておらず、不思議であり謎でした。
つまりは、農耕パワーだったのですよ。
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うさぎといえば大国(だいこく)さま
大国さまはー誰だろうー♪
おおくにぬっしのーみっことっとてー♪
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たーすけなされた神ーさーまよー♪
童謡『大国さま』より
謎が解けてすっきりしました。空はすっきりしてないけど。
雨が降り出す前に富山駅に行こう。
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あいの風とやま鉄道で富山駅へ
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自転車には乗らないため一晩停めました
スーパーで買い物して、この日は早々に駅前の宿にチェックイン&爆睡。
そして迎えた最終日(11月2日)。
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立山信仰とは何か
富士や白山と並んで日本三霊山に数えられる立山は、かつては東西南北合わせて立山七十二連峰と呼ばれていましたが、現在は主部である雄山(標高3,003m)、最高峰の大汝山(3,015m)、富士ノ折立(2,999m)の三峰を指して呼んでいます。
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立山の山岳信仰を代表するのが一宮・雄山(おやま)神社です。
雄山の山頂に大汝山を拝するように峰本社があり、20kmほど東に中宮祈願殿、さらに10km離れた場所に前立社壇(大宮)があって、三社を総称して雄山神社と呼び、その神域は地獄谷(火山性ガス発生により閉鎖)や弥陀ヶ原を含む立山全域におよぶといわれています。
立山に対する自然崇拝が出発点だけに、立山信仰の本質は雄山山頂の峰本社への登拝にあります。ただし、峰本社に登拝できるのは旧暦の7~9月と限られていることと、女人禁制により女性の登拝が禁じられていた(※)ことから、中宮祈願殿や前立社壇を設ける必要があったわけです。
(※現在は登拝はもちろん結婚式も挙げられる)
その一方で、中世の神仏習合により、立山周辺の地形を地獄に見立てた新たな信仰展開が生まれます。
要するに、地獄に落ちたくなければ仏の教えを信じなさいという例のアレです。
恐山(青森県)の場合は、寺院の境内を地獄と極楽のテーマパークにすることで参拝者に死後の世界を体感してもらおうとする意図が明確にあらわれていて、実際に有意義な体験ができます。
ところが、立山の場合は登拝期間や女人禁制の問題もあって体感しようにも限定的であることから、別の方法に頼らざるを得ません。
その方法の一端が、立山曼荼羅に代表される絵図です。
立山曼荼羅の世界
曼荼羅とは密教において「仏の悟りの境地である宇宙の真理を表す方法として、仏や菩薩などを体系的に配列して図示したもの」という説明もありますが、そんなものを100万枚描いたところで庶民はついてこれません。
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立山博物館は本書の刊行(2022年)時に現存する52点の立山曼荼羅を精査したうえで5つのテーマが描かれていると結論づけています。すなわち、
1.立山開山縁起
2.立山地獄
3.立山浄土
4.立山登拝道と様々な伝説
5.布橋灌頂会
それぞれについて細かく解説することはここではしませんが、立山信仰の精神世界をビジュアル化することで、布教活動の際に庶民にもわかりやすく印象づける意図があるのだなということは容易に読みとれます。立山博物館公式サイトの以下のページの情報が参考になるかと思います。
今回の旅の目的は、越中国に4つあるという一宮の不思議さについて自分なりに理解することと、もう一つはこの立山曼荼羅について学ぶために立山博物館に行って資料を入手することでした。
地獄と極楽の現場に立ってみたいという気持ちは山々でしたが、雨に降られてはどうにもなりません。
今回は雄山神社とその周辺を時間の許すかぎり見てきたので、その模様をお届けします。
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大きな荷物を抱えた旅人にとってコインロッカーの有無もまた大きな問題である
雄山神社に電車バスで向かうのであれば富山駅前よりもこちらのほうが空いていて便利
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連休中なのに客はほとんどいない
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運転手さんはとても親切で、雄山神社に行くと伝えたら鳥居の前で停めてくれた
雄山神社・中宮祈願殿
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一見して「一宮」の文字が使われていないことが気になりました。
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公式サイトのトップページには、日本三霊山 霊峰立山 延喜式内社・旧国幣小社の文字よりも「立山大権現」の文字のほうが大きく使われています。
明治の神仏分離令の際には、神社庁に登録する場合には祭神を明記する必要があり、「○○権現」の使用は禁じられています。権現は仏や菩薩が神の姿を借りて現れた神号であって、それでは分離したことにならないからです。
公式サイトのリンクページには神社本庁の名もあり、当時の神社庁と現在の神社本庁は必ずしも同じ組織ではないにせよ、雄山神社側の主張が強く込められているように見受けられます。
他人様が何とお書きになろうとも、われわれ立山大権現をお祀りする雄山神社は立山信仰の里であり、自ら一の宮を名乗ったことなどございません。
と言わんばかりの姿勢であり、霊峰立山のそびえ立つ頂にも似たプライドの高さときびしさを感じさせます。
降りつける雨が激しさを増してきました。
よし、行こう。
鳥居をくぐり、祈願殿をめざします。
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苔むした石が雨に濡れ、緑巌ともいうべき趣をたたえている
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斎戒とは飲食や行動を慎み、身体を洗って心身のけがれをとること
衆徒たちはこの川で身を清めていたのだろうか
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正面に立山を開山した佐伯有頼の墓所がある
(公式サイトの案内図より)
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山での不思議な体験により出家し、立山開山に尽力した
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参道右手奥にある
(慈興は出家後の名前)
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主祭神だけでなく立山全山36末社の神々を合祀
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本地は不動明王
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本地は阿弥陀如来
仏や菩薩が神の姿を借りてこの世に現れることを本地垂迹(ほんじすいじゃく)と呼び、立山の開山は佐伯有頼が阿弥陀如来と不動明王に出会って「立山を開山せよ」と告げられたことにはじまります。
有頼は天武天皇5(676)年ごろの生まれで 天平宝字3(759)年ごろに入定したといわれています。
阿弥陀如来に出会ったのは16歳の頃で、古事記が編纂される(712年)よりも前の時代の人物であることからも、タヂカラオやイザナギは神仏分離令以降に神社庁に届けるための形式上の祭神であったとみるべきでしょう。
公式サイトに各祭神についての本地の記述があるのも、雄山神社が立山開山伝説にもとづく立山信仰の社であると主張する強い意志を感じさせます。
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今のうちに写真を撮り直しておくか
立山博物館~合掌休憩舎
立山博物館
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今回は出版物を買うために立ち寄った程度で、とくに語ることはありません
まんだら遊苑
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地界から陽の道を経て天界にいたる。時間がある人向けかな。
印象に残ったスポットを3枚で語ると、
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炎熱の轟音と地獄の鬼たちの叫びが周囲を包む
(パンフレットの説明より)
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女人禁制を破って入山した尼の一人が姥石に変えられてしまい、もう一人は「せめて手鏡だけでも」と投げたところ、鏡石に変わったという
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那由他は数字の単位としては10の72乗
仏の教えによるところの宇宙の広大さを示す
合掌休憩舎
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残り時間も少なくなってきたな。
最後に布橋と閻魔堂を見に行くか。
布橋~閻魔堂
布橋
立山信仰が盛んになったのは平安末期から江戸時代まで。立山の地形を地獄に見立てて、「立山を登拝すれば極楽往生できる」というのが立山曼荼羅にも描かれた布教の宣伝文句でした。
一つ問題があったのは女性の存在です。男性は生前の罪によって地獄に堕ちるかどうか判断されますが、女性は問答無用で地獄に堕ちるとされてきました。立山を登拝しようにも女人禁制でそれもかないません。いったいどうしたら、女性は極楽往生できるのでしょうか。
そこで立山の衆徒たちは女人救済の儀式を行うことにしました。それが布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)です。
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立山博物館によると、閻魔堂側を「この世」、うば堂側を「あの世」ととらえ、両岸に架かる布橋を境界と考えた
白装束に身を包んだ女たちは目隠しをした状態で橋を渡り、うば堂に向かう。うば堂に入ると目隠しを外して戸を閉め切り、暗闇の中で僧侶とともに読経し、一心不乱に祈り続ける。
やがて全員がトランス状態に陥ったところで、突然、戸が開けられ、女たちは立山の神々しい姿を目にする。そして「これで地獄に堕ちずにすむ」と涙を浮かべて喜んだという。
立山の頂は夏でも雪がふり積もっています。
越中国司として赴任してきた大伴家持は、立山を見て感動した気持ちをこう表現しています。
立山(たちやま)に ふり置ける雪を常夏(とこなつ)に 見れどもあかず 神(かむ)からならし
現代語訳:立山に降り積もった雪は夏のいま見ても見飽きることがない。神山(神霊)にそむかない山だからであろう。
暗闇の中で一心不乱に救済を祈り続け、トランス状態にまで陥った女たちが開け放たれた扉の向こうで光とともに見たものが、大友家持も神を感じた立山だったのです。ある種の宗教体験ともいえるでしょう。
布橋灌頂会は明治の訪れとともに廃絶され、うば堂も破却されました。
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平成8(1996)年に復活させたところ応募が殺到したため、現在では3年に一度のペースで行われているとのこと
閻魔堂
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電灯のスイッチはこれか
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十王像はここにはないのか
閻魔大王像もいろんな場所で見てきたけど、こんなに美しい姿形のものははじめて。本当に南北朝時代作なのかな。いや、疑うのは失礼にあたるか。
閻魔堂じたいは明治期に取り壊されて、昭和に入ってから再建されたって書いてあったな。この像も、誰かが必死に守ってきたんだろうな。
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ここにいる像はみんな穏やかな笑みを浮かべたりユーモラスな顔をしたりで、一つとして同じ表情のものはない。この像に、どれだけ多くの女性が救われてきたことだろう。
最後にいいものを見せていただきました。
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いやいや、ちょっと待って!
今回はまだ終わりではないのですよ。あと一つだけ。
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富山市立郷土博物館
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富山といえば越中富山の薬売り。
売薬関連の史跡めぐりなどしてみたかったけどそれは次回以降にして、博物館の企画展『富山の浮世絵ー売薬版画』だけでも見ておこうかと。
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(10月5日~11月17日まで)
薬売り(売薬人)は得意先にいろいろおまけを手渡すことで販路を拡大しつつリピーターを増やしてきました。
おまけの中でもとくに人気があったのが江戸期に流行した浮世絵。
そこで売薬業者は絵師を雇って浮世絵を描かせて、彫り師に版木を彫らせて版画として大量に刷ることで、売薬版画は出版物としてのものづくりへと発展していったのです。
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メディアミックスなんて江戸期の頃からあったんじゃん
ふう。今回も中身の濃い3泊4日でしたよ。
一宮争いをしてきた社がある一方で、歴史と伝統を墨守し続ける社もある。
地獄と極楽についても、今のうちからいろいろ調べておかないと。
あとは大伴家持卿ですね。
越中国司としてのびのびと歌を詠み続けた幸せな時代があった反面、人生の後半は政治家として不遇な時期が続いたことも指摘されるところではあります。
でも、ふしぎ空間・伏木(ふしき)において彼は永遠のヒーローなのだから、やはり俺のようなタイプの物書きがその功績を称えなければいかんと思うのですよ。
だから、最後はマーベル映画の例のエンディングで締めることにします。
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大伴家持は戻ってくる
[2024年10月30日~11月2日]