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【どこビュン】山形、ふたたび。②

割り当てられた列車は、東京駅09:24発の山形新幹線つばさ号。

出発を06:00~09:59発で選択した場合、通勤ラッシュ時間帯にかち合うことは避けられない。

だが、どこビュンはそもそも空席を利用したサービスであることからも、混雑時間帯の列車に割り当てられる可能性は低いのではないか。

一本でも早い列車に乗るべくみどりの窓口に列をなす乗客(彼らはポイントではなく正規の運賃で乗車するため、企業としては優先するべき理由もある)にも配慮はしているだろうと思われる。

逆に、6時台の始発列車付近に割り当てられる可能性は高いといえる。

東京駅発であろうとなかろうと、発車時刻に間に合うように行動しなければならないことは言うまでもないだろう。

【教訓その3】旅程は計画的に☆

今のわたしは、どこビュン忍者だ。

やれ庶民の信仰から日本人の心を読み解くだの、不思議の謎を解くだのといったミッションとは一切無縁である。

わたしに与えられた忍務は、東京駅09:24発の山形新幹線つばさ号に乗り、2日後の山形駅14:04発山形新幹線つばさ号で東京駅に生還すること。

だが人よ、名を問うなかれ。

闇に生まれ、闇に消える。

それがどこビュン忍者の宿命なのだ。

おっと、そろそろ到着の時間だ。

山形駅に11:46に到着し
左沢線に乗り換え
寒河江(さがえ)駅に到着
初日の忍務は寒河江市にて遂行する

そうだ。さくらんぼを狩るのだ。←え?


昼時とあって腹がへった
今回は駅前の焼肉店で山形牛のランチをいただく
カルビ、超うめえええ~!!!

寒河江八幡宮

まずは地元の総鎮守にて忍務の成功を祈願。

寒河江八幡宮・一の鳥居
ここから表参道に入る
神額には「寒河江荘総鎮守」とある
表参道の奥にも鳥居
ここから石段を登る
整備されており登りやすい石段
随神門が見えてきた
随神門をくぐれば拝殿はすぐそこだ
寒河江八幡宮・拝殿
まずは正面から
拝殿を別角度(右)から
さらに左から
拝殿の神額の文字は時の内閣総理大臣・田中角栄氏の書
これぐらい達筆でなければ総理は務まらない
今の人たち、大丈夫?
裏参道にも赤い鳥居
鳥居があるとついカメラを向けてしまう

さくらんぼ発祥の地~寒河江城址

いざ、さくらんぼ狩りに出発。

とはいえ、さくらんぼの収穫時期は6月上旬から7月中旬ごろ。

10月上旬とあっては、実物にはまずお目にかかれないだろう。

さくらんぼ管理センターももちろん閉鎖中
寒河江がなぜ「さくらんぼ発祥の地」なのか
理由は後ほど

さくらんぼを観光資源にしている土地は、収穫時期以外に観光客を呼び込む術を持たないのだろうか。

そんなことはあるまい。さくらんぼを利用した何かを行っているはずだ。

それを探ることが、わたしに与えられた忍務である。

周囲にはさくらんぼ畑
赤い実のオブジェが存在感を放つ
収穫時期を過ぎても、さくらんぼの木は青々とした葉をたたえている
これからきびしい冬を迎え、やがて春が訪れる
次のシーズンに向けて生命の営みが続くのだ
さくらんぼ発祥の地ではさくらんぼジュースが売られているのではないかと期待したのだが
冷た~いおでん缶が売られていた(笑)
近くを流れる川に架かる紅さやか橋
寒河江市の木はもちろん、さくらんぼだ
ちなみに、私が住む千葉市の木はケヤキだった
むー(コメントに困るの図)
さくらんぼ仕様の紅さやか橋
鴨くんたちが気持ちよさげに泳ぐ
ここは二の堰親水公園
そしてその正体は
やや離れた場所にある寒河江城址
北に寒河江川、東に最上川
豊富な水源を生かして、かつて堀が築かれていた
先ほどの二の堰もその一部だったのだ
赤い実を屋根に冠した謎の建物
あれはいったい何だ?

道の駅 さがえチェリーランド

国道112号沿いに建てられた道の駅。その名もチェリーランド。

蔵王・月山地域リゾート構想の一環として1992年にオープン
さくらんぼを模した巨大オブジェは2024年6月に設置された
高さおよび幅はともに約2.3m
総重量は500kgにもおよぶという

賢明なる読者諸君はすでにお気づきのことと思う。

前回の山形旅のラスト(山形、ぐるり⑤)で示した山形県の印象について。

あれは旅に出る前に記した『旅のけいかく ~山形』において示した山形県の印象と対になっており、旅に出ることで大きく印象が変わったと見せかけておいて、実は同じだったというくり返しのギャグになっている。

ところが、9月末の山形旅終了の時点で、さくらんぼに関する写真が一切撮れなかったのだ。シーズンオフ、恐るべし。

『旅のけいかく』の時点では山形県は未踏の地であり、やむなく借り物の画像を使ったという体(てい)で記事を書き、実際の山形旅の記事では現場で撮った実物の写真を載せることで対比の意味を持たせようとしたのだが、もし今回チェリーランドでこのオブジェを撮って差し替えることができなかったら、くり返しのギャグが破綻するところであった。

このように、わたしの忍務は常に(ギャグがすべる)危険と隣り合わせなのだということも記しておこう。

どこビュン旅で山形駅が割り当てられたのは、わたしにとっては渡りに舟…いや、運命という名の必然だったのかもしれない(汗

さくらんぼ自販機
だがチェリー飲料は販売されていなかった
(りんごジュースならある)
チェリーランドさがえ
さくらんぼ関連の土産物屋をはじめ食堂やカフェが入った総合施設
シーズンオフでも一年中さくらんぼにふれることができる
チェリンのグッズが販売されているコーナーも
ところでチェリンって何だ?
チェリンは右の頭脳に良心回路(佐藤錦)、左の頭脳に悪魔回路(紅秀峰)を組み込まれた人造人間である
Dr.ラ・フランスの率いる破壊フルーツロボット軍団の悪の野望を砕くべく孤独な戦いを続けている
バナナマシンガンとの死闘を描いた#22「バナナマシンガン悪夢の12時間」はシリーズ屈指の高視聴率をマークした
といったことが書かれているように見える
手作りアイスとな?
矢印に導かれるようにさくらんぼ会館へと向かう
さくらんぼ生産の歴史についても学ぶことができる

わが国のさくらんぼ生産は1872(明治5)年、明治期の北海道開拓期にアメリカ人ホラシケプロンの助言にもとづいて、他の果樹苗と同様にさくらんぼを導入したことがきっかけとなった。

山形県においては1876(明治9)年に県令・三島通庸がさくらんぼ、りんご、ぶどうの苗木300本をとり寄せ植栽。

このとき、同行した井上勘兵衛の手により寒河江でのさくらんぼ栽培がはじまった。

1888(明治21)年には半官半民の山形興業会社が自園のさくらんぼを人力輸送により仙台に出荷。渡辺藤右衛門が柴橋村(現在の寒河江市柴橋)に郡立農産物試験場をつくったことで、寒河江がさくらんぼ生産の拠点となった。

その後の鉄道(奥羽本線など)の開通により山形からの県外出荷が増え、栽培面積も急激に増加していったのである。

手づくりアイスの購入はチケット制
アイスの日(毎週火・水曜)には2食盛(390円)と同価格で3食盛にできる
というわけで3食盛(バニラ、ラ・フランス、チェリーを選択)をいただく
10月だけあって、さすがに身体が冷えた

道の駅さがえチェリーランドの存在により、シーズンオフでもさくらんぼを堪能できることが判明した。

思いもかけず、さくらんぼアイスまで食べられて満足だ。そして寒い。

少し周辺を散策してみよう。

帽子型の外観をした建物はトルコ館
トルコ共和国ギレスン市はさくらんぼの原産地でもあり、寒河江市と姉妹都市になった
トルコの衣装、装飾品などの土産物が販売されている
秋はコスモスが咲く季節でもある
コスモス 宇宙(そら)をー 駆けー抜けてー♪
祈りをー いーま きーみーのもとへー♪
(歌:戸田恵子)
近くを流れる寒河江川
西村山郡および寒河江市を流れる最上川水系最上川支流の一級河川である

かくして、初日の忍務は果たされた。

だが、どこビュン忍者に安息の時は許されない。

寒河江川は西村山郡河北町溝延で最上川に合流する。

松尾芭蕉が句に詠んだ、あの最上川である。

明日は山形県民の母なる川、最上川をめざすぞ。

そして寒い。

【教訓その4】アイスをたくさん食べると身体が冷える

[最上川三難所舟下りに挑む ③につづく]

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