【どこビュン】山形、ふたたび。②
割り当てられた列車は、東京駅09:24発の山形新幹線つばさ号。
出発を06:00~09:59発で選択した場合、通勤ラッシュ時間帯にかち合うことは避けられない。
だが、どこビュンはそもそも空席を利用したサービスであることからも、混雑時間帯の列車に割り当てられる可能性は低いのではないか。
一本でも早い列車に乗るべくみどりの窓口に列をなす乗客(彼らはポイントではなく正規の運賃で乗車するため、企業としては優先するべき理由もある)にも配慮はしているだろうと思われる。
逆に、6時台の始発列車付近に割り当てられる可能性は高いといえる。
東京駅発であろうとなかろうと、発車時刻に間に合うように行動しなければならないことは言うまでもないだろう。
【教訓その3】旅程は計画的に☆
今のわたしは、どこビュン忍者だ。
やれ庶民の信仰から日本人の心を読み解くだの、不思議の謎を解くだのといったミッションとは一切無縁である。
わたしに与えられた忍務は、東京駅09:24発の山形新幹線つばさ号に乗り、2日後の山形駅14:04発山形新幹線つばさ号で東京駅に生還すること。
だが人よ、名を問うなかれ。
闇に生まれ、闇に消える。
それがどこビュン忍者の宿命なのだ。
おっと、そろそろ到着の時間だ。
そうだ。さくらんぼを狩るのだ。←え?
寒河江八幡宮
まずは地元の総鎮守にて忍務の成功を祈願。
さくらんぼ発祥の地~寒河江城址
いざ、さくらんぼ狩りに出発。
とはいえ、さくらんぼの収穫時期は6月上旬から7月中旬ごろ。
10月上旬とあっては、実物にはまずお目にかかれないだろう。
さくらんぼを観光資源にしている土地は、収穫時期以外に観光客を呼び込む術を持たないのだろうか。
そんなことはあるまい。さくらんぼを利用した何かを行っているはずだ。
それを探ることが、わたしに与えられた忍務である。
道の駅 さがえチェリーランド
国道112号沿いに建てられた道の駅。その名もチェリーランド。
賢明なる読者諸君はすでにお気づきのことと思う。
前回の山形旅のラスト(山形、ぐるり⑤)で示した山形県の印象について。
あれは旅に出る前に記した『旅のけいかく ~山形』において示した山形県の印象と対になっており、旅に出ることで大きく印象が変わったと見せかけておいて、実は同じだったというくり返しのギャグになっている。
ところが、9月末の山形旅終了の時点で、さくらんぼに関する写真が一切撮れなかったのだ。シーズンオフ、恐るべし。
『旅のけいかく』の時点では山形県は未踏の地であり、やむなく借り物の画像を使ったという体(てい)で記事を書き、実際の山形旅の記事では現場で撮った実物の写真を載せることで対比の意味を持たせようとしたのだが、もし今回チェリーランドでこのオブジェを撮って差し替えることができなかったら、くり返しのギャグが破綻するところであった。
このように、わたしの忍務は常に(ギャグがすべる)危険と隣り合わせなのだということも記しておこう。
どこビュン旅で山形駅が割り当てられたのは、わたしにとっては渡りに舟…いや、運命という名の必然だったのかもしれない(汗
わが国のさくらんぼ生産は1872(明治5)年、明治期の北海道開拓期にアメリカ人ホラシケプロンの助言にもとづいて、他の果樹苗と同様にさくらんぼを導入したことがきっかけとなった。
山形県においては1876(明治9)年に県令・三島通庸がさくらんぼ、りんご、ぶどうの苗木300本をとり寄せ植栽。
このとき、同行した井上勘兵衛の手により寒河江でのさくらんぼ栽培がはじまった。
1888(明治21)年には半官半民の山形興業会社が自園のさくらんぼを人力輸送により仙台に出荷。渡辺藤右衛門が柴橋村(現在の寒河江市柴橋)に郡立農産物試験場をつくったことで、寒河江がさくらんぼ生産の拠点となった。
その後の鉄道(奥羽本線など)の開通により山形からの県外出荷が増え、栽培面積も急激に増加していったのである。
道の駅さがえチェリーランドの存在により、シーズンオフでもさくらんぼを堪能できることが判明した。
思いもかけず、さくらんぼアイスまで食べられて満足だ。そして寒い。
少し周辺を散策してみよう。
かくして、初日の忍務は果たされた。
だが、どこビュン忍者に安息の時は許されない。
寒河江川は西村山郡河北町溝延で最上川に合流する。
松尾芭蕉が句に詠んだ、あの最上川である。
明日は山形県民の母なる川、最上川をめざすぞ。
そして寒い。
【教訓その4】アイスをたくさん食べると身体が冷える
[最上川三難所舟下りに挑む ③につづく]