知識ゼロから見に行く相馬野馬追②
などとヘヴィな口調で語っておいてなんだけど、初日は宮城におったんよ(※)。
(※宮城県で行った場所については構成上、後回しにする)
■相馬野馬追の概要を簡単に説明■
相馬野馬追は3日間かけて行われる。
初日は御繰り出しと宵乗り。
・御繰り出し 各地区(標葉郷、宇多郷、小高郷、北郷、中ノ郷)から騎馬武者が出発
・宵乗り 祭場の潔が終わった後で試走する
2日目が本祭。
・甲冑競馬と神旗争奪戦が行われる他、祭場に向かうお行列や式典など
最終日が野間懸(のまがけ)。
甲冑競馬と神旗争奪戦を目当てに訪れる観覧客が圧倒的に多いことと思う。
しかしながら、神事としての相馬野馬追は相馬小高神社で行われる野間懸で結実する。
野馬懸も見たほうがいいよとお勧めしたいところだが、敷居は高そう。
・2日目の日帰り客に向けて特急相馬野馬追号(臨時列車)が運行され、利便性が高い
・相馬小高神社は小高駅から徒歩15分強で、常磐線は1時間に1本ペース
・泊まるにしても宿の確保が困難
開催2か月前あたりで祭場の最寄り駅(原ノ町)付近の宿はすべて満室に。
スケジュールが発表されたら早めに宿を押さえる必要がある。
Xなどを見ていると、九州から新幹線を乗り継いで駆けつける兵(つわもの)もいるようだ。
彼らの前で「困難」などとは、むしろ禁句に近い。
それぐらい情熱を注ぎこむ何かが相馬野馬追にはあるのだろう。
■スケジュール変更について■
相馬野馬追は長らく7月下旬に行われていたが、2024年から5月下旬の開催に変更された。
この記述は正確ではない。順を追って説明する。
スケジュール変更の理由は人馬への負担軽減。これに尽きる。
2023年には気温35度の猛暑の中、参加者および観覧客が熱中症で救急搬送される事態が相次いだ。
さらには馬2頭が死に至ったのである。
かねてから日程変更の検討を重ねていた執行委員会は予定を前倒しする形で今回の開催となった。
明治から今日に至るスケジュール変更の経緯については南相馬市博物館にパネル展示されていた。
1.明治7(1874)年~36(1903)年
旧暦五月中の申の日に開催
→新暦に改めたことにより、7月2日(申の日に相当)を中心とする7月1~3日に
ここから約90年にも及ぶ梅雨との戦いがはじまるのである
2.明治37(1904)年~昭和35(1960)年
→日程を10日間繰り延べて7月11~13日に
雨天開催が多かったことによる観客減少への対策でもあった
皮肉なことに変更後の初開催年はどしゃぶりに見舞われたとのこと
3.昭和36(1961)年~昭和40(1965)年
→7月16~19日(4日間)開催に
初日の行事を2日間に分けたことで北側の宇多郷、南側の標葉郷からの移動の負担を減らした
神旗争奪戦の模擬戦や馬装競争(裸馬に和装させる)なども行われたが4日間開催は短命に終わった
4.昭和41(1966)年~平成22(2010)年
→7月23~25日に
梅雨明けを待っての日程変更となったが真夏の開催となり、今度は暑さとの戦いに
5.平成23(2011)年~令和5(2023)年
→7月最終土~月曜日に
日付固定で行ってきたが、平日開催となった場合に観客数や騎馬武者の職務に影響が出てしまう
国重要無形民俗文化財に指定(1978年)されて以来初の日程変更には難色を示す意見も出た
平成23(2011)年よりの日程変更が決まったが、この年は東日本大震災の年でもある
さらには2020年のコロナ禍により規模を縮小しながらも継続してきたのである
その他、雲雀ヶ原祭場地や騎馬武者たちの陣容などについては本祭の中で触れることとする。