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【千葉】地すりを求めて~浦安三社祭②

事前に発表された神輿の渡御ルート図をもとに、各神社の位置関係について説明しておこう。

今日的な視点でみた場合、東西線浦安駅が基準となるだろう。

稲荷神社を鎮守とする当代島(とうだいじま)は東西線浦安駅の北側にある
清瀧神社を鎮守とする堀江、豊受神社を鎮守とする猫実(ねこざね)は駅の南側

堀江と猫実は境川を隔てて隣接している。

これに対し、当代島は猫実五丁目と部分的に隣接するものの、東西線を挟んでやや離れた場所にあることがわかる。

浦安駅の開業は昭和44(1969年)で、三村合併による浦安町の発足は明治22(1889)年。

東西線が分断したわけではないことは明らかだが、当初の当代島村民には浦安村民という意識は低かったという。

『浦安の民俗』によると、生業の違いもあったようだ。

・旧堀江村と旧猫実村は境川を中心とした漁業を営み、堀江には商店が多かった

・旧当代島は半農半漁だったが堀江・猫実での漁業権がなく、葛西浦(江戸川区の南側)に属する

意識の違いがあったとしても不思議ではない。

もっとも、こんなことを指摘したところで、現在の浦安市民からは一笑に付されてしまうだろう。

浦安駅の開業は昭和44(1969)年。

そして、浦安が東京湾における漁業権を全面放棄したのは昭和46(1971)年。

山本周五郎『青べか物語』に描かれた浦安は、1970年あたりを契機に変貌を遂げた。

いや、変貌を遂げざるを得なかったのである。

漁師町だった浦安の面影は、浦安市郷土博物館の屋外展示で部分的に見ることができる
昭和初期の浦安を舞台にした『青べか物語』だが、浦安町民の間では「嘘が多い」「誇張している」などの批判の声もあったようだ
周五郎が執筆三十年後にふたたび浦安を訪れたエピソードなども、館内展示で披露されている

■当代島稲荷神社(当代島)■

浦安は漁師町というイメージが強い。

農耕神でもある稲荷神社がこの村の鎮守となったのは、当代島が半農半漁だったからでもある。

とか書いておいてなんだけど、由緒を読むかぎり一筋縄ではいかなさそうだよ、この神社。

祭神は、豊受大神、應神天皇、春日大神。

御祭神に豊受大神を祀る稲荷神社は浦安市当代島3-11-1に鎮座しており、その創建は他の二社同様に定かではないが、元禄二(1689)年に武蔵國小岩村(現在の東京都江戸川区小岩町)の善養寺から移し祀ったものといわれている。神社の記録によると少なくとも大正時代には相殿の神さまとして応神天皇と春日大神をお祀りする神社であったこともわかる。
それ以前には当代島で元村長の高梨氏所有の屋敷神の稲荷さまを氏神としていた。

稲荷神社HPより

善養寺(江戸川区)の総本山は長谷寺(奈良県)。

應神天皇と春日大神については、誰かが長谷寺詣りしたついでに八幡さんと春日大社でお札をもらって祀った可能性もなきにしもあらず。

一般に稲荷神社の祭神は宇迦之御魂神という女神さまであることが多い。

これを豊受大神としたのは、食物をつかさどる豊宇気毘売神と同一神とみなしたから。

この辺りの事情もHPには書かれている。

豊受大神といえば伊勢神宮の外宮でもあるけど、豊受神社のことも意識していたのかな。

最終的には、元村長さんの氏神さまを尊重した形で稲荷神社という名称に落ち着いたと。

ただの稲荷神ではないってことだけは覚えておいたほうがよさそうだな。

三社の中ではもっとも小ぶりながら、気軽に立ち寄って参拝できるいい神社だ。

稲荷神社の幟(のぼり)
三社の中でもっとも高かったといわれている
船圦(ふないり)緑道側の一の鳥居
個人的にはお稲荷さんの千本鳥居が圧強すぎでちょっと苦手
ここは二の鳥居をくぐれば、すぐに拝殿だ
稲荷神社といえば狐だが、拝殿の彫刻を除くと狐像が見当たらない
(撤去された可能性はある)
祭神といい、このあたりで察するべきかも
拝殿
稲荷レッドが鮮やか
大事にされてるなあ
神額
細かい彫刻が目をひく
赤には魔よけの意味もあるというが、龍の口もお色直し(笑)

■清瀧神社(堀江)■

龍神さまだよ。気を引き締めていかねばなるまいて。

農村部における龍神は水神、雨乞いの神さまとしての要素が強い。

浦安は漁村でもあった。となれば、海(竜宮)との結びつきもあるはず。

ところが、竜宮と結びつく痕跡がほとんど見つからない。

唯一見つけたのが浦安市漁業記念公園で見つけたこれ。

竜宮ぼんぎ(モニュメント)

ぼんぎ(棒木)は漁場の目印として建てられたもの。

言ってしまえば縄張りのようなもので、うっかりよその舟が入り込もうものなら大ゲンカにもなりかねない。

由来についてもいろいろ書かれているようだ。

しかし、肝心なことが書かれていない

なぜ「竜宮」ぼんぎなのか。

浦安の漁民は、ぼんぎの向こうに竜宮があると信じていた。

竜宮の入口は浦安沖にあると信じて、祭祀をとり行ってきたのだ。

浦安は、1970年あたりを契機に変貌を遂げた。

今さらだけど、街の景観をもう少しでも残していてくれたなら、と思わずにはいられない。

清瀧神社の話に戻る。

祭神は大綿積神
出ました、竜宮の王!
拝殿
こちらは2023年4月に参拝したときのビフォア
なんということでしょう
匠の手によって華やかな祭りの飾り付けが云々なアフター
いいよいいよー
摂社・龍神社
ん? 豊玉姫さまじゃなくて?
宮前通りには祭りや年末年始には提灯が飾られる
その数、なんと約850張

三社祭の前夜に催される宵宮では、この提灯の点灯をもって祭りのはじまりを告げるという。

よし、宵宮はここで見よう。

■豊受神社(猫実)■

堀江と猫実は境川を隔てて隣接している。

と、冒頭では簡単に記したが、事はそう簡単ではない。

両村の神輿は境川沿いを渡御することが多く、橋の上でかち合うこともたびたびあった。

神輿は神さまの乗り物であり、後退することは許されない。

進行方向と逆に進む場合は、先頭の担ぎ手が方向転換(Uターン)することになる。

血気盛んな村の若い衆が担いだ神輿が橋の上でかち合った場合、どうなるか。

ケンカ神輿になることは避けられないだろう。

昭和30年代には祭りをめぐっての大ゲンカが原因で機動隊が出動したこともあったという。

これが原因となり、4年に一度の祭りが二度にわたり中止(禁止)の憂き目にあった。

ふだんはこんな川沿いの光景が
こうなってしまうのだ
宮神輿 退くに退かれぬ 橋の上(お粗末)

このため各社の世話役は神輿の渡御ルートを考える際に、幾度も協議しながらすり合わせを行った。

ルート図をみるかぎり、宮神輿が路上でかち合う進行は回避されているようだ。

とはいえ、祭り当日は大小合わせて80基以上もの神輿が町を練り歩く。

どこかでかち合うこともあるのだろうが、ケンカになったといううわさは聞かない。

威勢のよさ、きっぷのよさと粗暴さは異なる。

祭り、かくあるべしと思う。

豊受神社の祭神は豊受姫大神
当代島稲荷神社の祭神・豊受大神と一文字違うというあたりに
いやなんでもない(笑)
拝殿
神仏習合の名残を残す秋葉大権現

秋葉大権現像の足元にある「清心元講」が気になった。

清心とは御瀧山で修行した漁師出身の佐藤清吉である。

上総湊でコレラが流行した際に祈禱により多くの命を救ったが、自らもコレラで病没。

聖者だよ、清吉っつぁん……。あんた、聖者だよぉ(涙)。

地元では清心さまとして信仰を集めている。

豊受神社の向かいにある華蔵院には清心大菩薩を祀るお堂がある
ご詠歌まである
清吉が修行した御瀧山とは御瀧不動尊金剛寺(船橋市金杉)のこと
枯れることなく流れる竜頭の滝が御瀧不動の名の由来
船橋市を流れる海老川の源流ともいわれ、水行の場となった

浦安三社祭の動画を見ていると豊受神社関連のものが圧倒的に多かった。

それだけ規模が大きいということなんだろうな。

最終日の神輿の宮入りはここで見届けよう。

ところで、猫実(ねこざね)という地名。

水害が多かったこの地に堤防を築いたことで水が木の根を越さなくなった。

根を越さないから「ネーコサネ」→猫実となったのだという。

なんだ、猫は関係ないのか。

と、思うじゃん?

俺は知ってるぞ。

猫ちゃーん☆
華蔵院(猫実3丁目)境内
そして
猫ちゃーん☆
左右天命辨財天(猫実2丁目)敷地内

ゆえに猫実は猫の町なのである(俺認定)

[御霊入れとは何か? ③につづく]

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